私の偽装死で、夫が一夜で白髪になった第2話
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……笑える。
幸せな暮らしだと思っていたものは、最初から蜃気楼だった。
いま、手の中の大判焼を見ても、もう食指は動かなかった。
「食欲、ない」
箱を脇へ置こうとすると、隼人が手で止めた。
「どうした?……もしかしてさ。俺が先に梓を助けたこと、まだ怒ってるのか?
ごめん……あのとき、本当に見間違えたんだ。だから先に……」
まっすぐ頭を下げる隼人に、胸の奥が冷えていく。
見間違えた?本当に都合のいい言葉だ。
じゃあ、水の中のキスも、見間違えたってこと?
嘘も百回言えば、真実になるとでも思ってるの?
私は口元を引きつらせて、薄く笑った。
「うん。わかってる。だから、それに怒ってないよ」
「機嫌が直った」とでも思ったのか、隼人はほっと息を吐いて、優しく言う。
「何が食べたい?シェフに作らせるよ」
スマホを取り出したとたん、隼人の顔色がわずかに変わった。
「ごめん、会社で急用ができた。あとでまた来る。
食べたいものは秘書に言って。すぐ届けさせるから」
そう言い残すと、私の返事も聞かずに隼人は出ていった。
彼と入れ替わるように、今度は梓からDMが届く。
【ついてきて。いいもの見せてあげる】
行けば、心が折れる光景が待っている。頭ではわかっていた。
それでも私は、何かに引かれるみたいにタクシーを拾って、隼人のあとを追った。
案の定、隼人は梓の家の前で降りた。玄関のドアは閉まりきっていなくて、隙間から中が見える。
ソファに腰を下ろした隼人が、梓の指先をそっと持ち上げていた。
豆粒ほどの切り傷——たったそれだけで、彼は胸が痛むように眉を寄せた。
「何やってんだよ。りんごを剥いただけで指切るとか……」
口では文句を言いながら、それでも隼人の手は当然のように救急箱を開けた。傷口を丁寧に消毒し、包帯をくるくる巻くと、今度は包丁を握り、りんごを剥き始める。視線を手元に落としたまま、甘やかすように笑って言う。
「俺がいなかったら、どうすんだよ」
その言葉、前は私にも言っていた。
なのに今は、同じ温度で梓に向けている。
利用されているって知っていたのに。別の女に優しくする隼人を見た瞬間、胸がきゅっと締まった。
手を引こうとした梓は困ったふりをした。
「隼人のお嫁さんは彩音さんだよ。私なんかより、彩音さんを大事にして……」
けど隼人はその手を掴み、迷いなく言い切った。
「バレないよ。ずっと隠してきた。俺はただ、梓を守りたい。そばにいたいだけなんだ。
そうだ。A市の大判焼、食べたいって言ってただろ。買ってきたんだ。梓の好きな、こしあんのやつ」
取り出したのは、綺麗な箱。中には大判焼がぎっしり。
私はちょっと泣きそうになってきた。
——二つ、買ってたんだ。
私に渡したのは、あり合わせの包装。
けど梓には、贈り物みたいな箱。
わかりやすい。私の分は「ついで」だった。
私は隼人の中で、梓の代わりですらなかった。
ぼうっとしている間に、隼人は梓の頬に両手を添えて、身を屈めた。
唇が、重なる。
最初だけ拒むふりをしていた梓は、すぐにそれを受け入れた。
二人はもう、誰にも引き離せない。
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