和紙文私の偽装死で、夫が一夜で白髪になった · 第1話設定≡

私の偽装死で、夫が一夜で白髪になった第1話

この話は約2475字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

私は橘彩音(たちばな あやね)。幼なじみの一条朔也(いちじょう さくや)に、告白を百一回も重ねたけれど、返事はいつだって同じ。全部、断られた。

朔也は結局、想い人の白石梓(しらいし あずさ)と結婚した。

心が折れた私は、一条隼人(いちじょう はやと)と結婚することを決めた。朔也の弟で、ずっと私のことを追いかけてきた人だった。

そんな隼人は、私のことを骨の髄まで愛している。大胆で、熱くて、惜しげもない愛し方に、周りは口を揃えてこう言った。

「そんなに愛されるなんて、前世で徳でも積んだんじゃない?」って。

あの日までは、私もそう思っていた。

混乱の中、梓と私は海へ落ちてしまった。泳げないはずの隼人が迷いもなく飛び込み、必死に梓を水面へと押し上げようとした。

波に叩き返されるたび、息を分け合うように唇を重ねた二人。

私は絶望の中でもがいた。一度でいいからこちらを見てほしいと願った。

それなのに彼は、梓だけを岸へ引き上げることに必死で、私が海に呑まれていくのをただ見捨てた。

意識が遠のいたとたん、世界がすっと暗くなる。

どれほど時間が経ったのか分からない。ようやく声が聞こえたのは隼人の怒鳴り声。

「お前らの幸せを邪魔されないために、俺が身を切って彩音を繋ぎ止めたんだろ!頼むから今回だけ、梓に会わせてくれ!」

一条兄弟が、梓の「付き添い」を奪い合っていたらしい。

——ああ、そういうことだったんだ。

最初から、誰も私のことを愛してなんかいなかった。

いっそこのまま、死んだことにして消えよう。この世界から。

「偽装死サービス」

ふと、そんな言葉が頭をよぎった。どこかのサイトで、胡散臭い広告に表示されていた名前。目を覚ました私は迷う暇もなく予約した。死んだことにして、全部から抜け出すために。

その後、私の「死」の知らせを聞いたあと、いつも冷静沈着な彼は、慰めようとする梓を振り払った。倒れて血を吐き、たった一夜で白髪になった。

* * *

私は橘彩音(たちばな あやね)。幼なじみの一条朔也(いちじょう さくや)に、告白を百一回も重ねたけれど、返事はいつだって同じ。全部、断られた。

朔也は結局、想い人の白石梓(しらいし あずさ)と結婚した。

心が折れた私は、一条隼人(いちじょう はやと)と結婚することを決めた。朔也の弟で、ずっと私のことを追いかけてきた人だった。

そんな隼人は、私のことを骨の髄まで愛している。大胆で、熱くて、惜しげもない愛し方に、周りは口を揃えてこう言った。

「そんなに愛されるなんて、前世で徳でも積んだんじゃない?」って。

あの日までは、私もそう思っていた。

混乱の中、梓と私は海へ落ちてしまった。泳げないはずの隼人が迷いもなく飛び込み、必死に梓を水面へと押し上げようとした。

波に叩き返されるたび、息を分け合うように唇を重ねた二人。

私は絶望の中でもがいた。一度でいいからこちらを見てほしいと願った。

それなのに彼は、梓だけを岸へ引き上げることに必死で、私が海に呑まれていくのをただ見捨てた。

意識が遠のいたとたん、世界がすっと暗くなる。

どれほど時間が経ったのか分からない。ようやく声が聞こえたのは隼人の怒鳴り声。

「お前らの幸せを邪魔されないために、俺が身を切って彩音を繋ぎ止めたんだろ!頼むから今回だけ、梓に会わせてくれ!」

一条兄弟が、梓の「付き添い」を奪い合っていたらしい。

——ああ、そういうことだったんだ。

最初から、誰も私のことを愛してなんかいなかった。

いっそこのまま、死んだことにして消えよう。この世界から。

「偽装死サービス」

ふと、そんな言葉が頭をよぎった。どこかのサイトで、胡散臭い広告に表示されていた名前。目を覚ました私は迷う暇もなく予約した。死んだことにして、全部から抜け出すために。

……

「一条彩音さま。この度は『偽装死サービス』のお申し込み、本当にありがとうございました。確かに承りました。当日は身分情報の抹消から、ご希望に沿った『死』の演出まで、すべてこちらで手配いたしますので、どうぞご安心ください」

電話越しに丁寧な声が響く。私は淡々と「はい」とだけ返した。

「それじゃ三日後でお願いします。片付けたいものがあるので」

通話を切った瞬間、胸の奥だけが妙に静かになった。軋むような身体を引きずるように廊下を戻り、病室の扉に手を伸ばしたところで、隼人と鉢合わせてしまった。

「身体、まだ回復してないだろ。勝手に歩くな。ほら、横になれ」

私を見つけるなり、隼人は慌てたように駆け寄ってきた。肩を支えられ、そのままベッドへ戻される。毛布を整えられるたびに、やけに細やかな手つきが肌に残る。

落ち着いたところで、隼人はダウンの内ポケットを探り、小さなパッケージを取り出した。私の手のひらへ、温もりごと預けるみたいにそっと置く。

「はい、大判焼。A市まで飛んで買ってきた。名物だぞ。温かいうちに食べて」

A市?ここから何県も先じゃない……?

「いいなあ……A市から買ってきたってことは、冷めないように服の中に入れて温めてたんでしょ?」

ぼんやりしている間に、隣のベッドの人が羨ましそうに声を上げた。

「それに入院してからずっと付き添ってたじゃん。背中を拭いたり、ごはんを食べさせたり、ジュエリーまで買ってきたりして……もう、羨ましすぎる」

その言葉に押されるみたいに、私も隼人を見つめた。

鼻先は真っ赤で、髪にはまだ雪が残っている。愛してるとでも言いたげな瞳には、いつもの冷たくて気高い隼人の影なんて、どこにもなかった。

隙のない演技。誰だって騙される。

……思えば、私も騙されていた。

ここ数年、私が足をくじいただけで顔色を変えるほど、隼人が私を溺愛しているのは周知の事実だった。

そう。海に落ちた、あの日までは。

隼人が迷いなく梓のほうへ泳ぎ、水の中で口づけた、その瞬間までは。

朔也と「梓の世話をする役目」を巡って取っ組み合いになり、ぽろりと本音を漏らした。そのとき、私はようやく分かった。

隼人がずっと欲しかったのは梓だった。私との結婚も、私が朔也にしがみつかないよう繋ぎ止めるため——ただ、それだけだった。

縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)