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昨日の影、過去の風第2話

この話は約1707字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

「文咲、耳が遠いのか?詩織にコーヒー淹れてやれって言っただろ?」律真の苛立った声に、現実へと引き戻された。

深く息を吸い込み、私は自分に言い聞かせた。

あと三日。我慢して、三日経てば、あの二人から解放される。

そのとき、不意に詩織が私をかばうように口を挟んできた。

「律真さん、そんな言い方しないで。文咲さん、最近ずっと看病してくれて疲れてるんだよ。だから気づかなかっただけじゃない?」

その視線が、ほんの一瞬、律真の脚へと滑った。

それが、彼の地雷だった。

律真の目に怒りが灯った。

「文咲、いい加減にしろよ。俺の世話をするのはお前の当然の義務だろ?だって、俺の『彼女』なんだからさ」

その声には、ねじれた支配欲と苛立ちが滲んでいた。

私は、目を逸らさず、静かに言い放った。

「もうすぐ、『元』になるけどね」

彼は、何かを聞き間違えたようにきょとんとした。

いつものように、私が怯えて取り繕うのを期待していたのだろう。でも、私は何の動揺も見せなかった。

それを見て、彼は私を睨みつけると、詩織に命じた。「ちょっと外に出よう。気分転換だ」

二人が出ていったあと、私は荷物の整理を始めた。

律真に関係するものは、何もかも、すべて捨てた。

半分ほど片付いた頃——彼が戻ってきた。

車椅子に座り、ドアの前で腕を組んで冷たく私を見つめていた。

「ちょっと注意しただけで、その態度か?

まったく、すぐに被害者ぶる。詩織みたいに、強くて優しい女になれよ」

その言葉のすべてが、私を傷つけるために選ばれていた。

でも、もうどうでもよかった。

私は、間もなくここを出て行く。

律真が近づいてきて、ベッドに置いていた小さな服を手に取った。それは、半年前に私たちの子どもが生まれてくると信じて買っておいた、ベビー服だった。

彼の指先が微かに震えていた。

「文咲、また子ども作ればいい。今度こそ、大切にするから」

その言葉が、虚しく響いた。

半年前のあの日、あの出来事。今でも私の心に、深く刺さったままの棘だった。

産婦人科の定期検診の日。

病院の前で、偶然詩織と出くわした。

彼女は全身に痣を作り、顔も腫れ上がっていた。

「階段で転んじゃって……」と笑っていたけれど、私はすぐに異変を感じた。

そして——律真は、私を放って詩織の診察に付き添った。

ホルモンの乱れで情緒不安定だった私は、彼に強く当たってしまった。

「どうして私を置いていくの?」

その直後だった。突然走ってきた子どもとぶつかり、私は地面に倒れた。

彼は——私ではなく、詩織をかばった。

目の前が真っ暗になり、その日を境に私は子どもを失った。

そして医師に告げられた、今後の妊娠は難しいという現実。

律真はしばらく返事を待っていたが——いつまで経っても私の声が聞こえない。不審に思って振り返ると、私はもうとっくに部屋を出て行っていた。

彼はその場で呆然と立ち尽くしたまま、しばらく動けずにいた。——まだ拗ねているだけだろう。そう勝手に解釈すると、彼は鼻で笑い、大して気にも留めず、ふっと息をついた。

ゴミ捨て場で彼と鉢合わせたのは、その数分後。

「それ、なんで捨てるんだよ?」

私が手にしていたのは、律真が私に贈ったプレゼント。

「いらないから」

冷たく言い放つと、私はそれを容赦なくゴミ袋に落とした。

律真は、何も言えずに立ち尽くした。

夜十時。私は、すべての荷物を詰め終えていた。

彼はようやく異変に気づき、焦った声で問いかけた。

「何で、急に荷物まとめてるの?」

私は彼を見もせず、ただ一言だけ返した。

「断捨離よ」

彼は安心したように息を吐き、不機嫌そうに続けた。

「捨てる前にちゃんと言えよ?俺が前に買ったネックレス、間違って捨てられたら困るから」

その手のひらには、あのネックレスがあった。どこか安っぽく、錆が浮き出て、彼の掌の上にぽつんと横たわっていた。

付き合って四年、初めて彼からもらったアクセサリー。

実は、それがただの露店の安物だったことを、私はあとで知った。

私はそれを宝物のように大事にしていたのに。——ばかみたい。

ひとつ、乾いた笑いがこぼれた。

「それ、大事にしまっておけよ」

そう言う律真を無視し、私はそのネックレスを手に取り——迷いなく、ゴミ箱に投げ入れた。

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