春とは、巡り逢えぬまま第2話
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寒夜の漆黒の瞳は、深い淵のように璃宛を見つめていた。だが次の瞬間、彼は隣にいた菫を強く抱き寄せ、その腕に収めた。
「璃宛、俺がまだお前を気にしてるとでも?
お前が死んだふりして去ったあの時、どれだけあっさりしてたか、自分で分かってるだろ?俺がお前に何度も騙されるほど愚かだと思ったか?
俺にはもう愛する人がいる。お前が勝手に騒がなきゃ、二度と会うこともなかった」
愛する人。
菫は反射的に彼の顔を見やった。けれど、その視線は始終目の前の璃宛に釘付けで、一瞬たりとも自分に向けられることはなかった。
その言葉を聞き終えたとき、璃宛の瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。しかし青ざめた顔には、どこか慈しむような表情が浮かんでいた。
「たとえ、あの時私に事情があったと信じてくれなくても、そんな言葉で自分も私も騙さないで……あなたがどれほど私を愛してくれていたか、みんな知ってるのよ……」
菫は寒夜の手が自分の腰に触れたまま、微かに震えているのを感じた。
璃宛は哀しげに彼を見つめ、何か言いたげだったが、不意に彼の背後の壁に掛けられた絵に目を移すと、その体がぴたりと硬直した。
菫もその視線を辿る。そこには、彼女が描いた寒夜の肖像画があった。
ほぼ描き終わったとき、どうしても彼の腕が寂しげに思えて、ついでに自分自身もその絵の中に描き加えてしまった。
その後、彼にうっかり見つかってしまったのだ。
あのとき彼はしばらく絵を見つめていた。絵の中の菫が、彼の「昔の人」にそっくりだと思ったのかもしれない。そしてこう言った。
「リビングに掛けておけ」
璃宛はその絵の中の二人の親しげな様子を見て、ふらりと体を揺らし、今にも倒れそうになった。
「これ……あなたたちなの?本当に……」
寒夜の表情が僅かに変わった。次の瞬間、彼は暗い目で菫を見て、低い声で囁いた。
「片付けとけと言っただろ?」
菫は彼に手首を強く掴まれ、痛みに顔をしかめた。
こんな彼を見るのは初めてだった。
これまでの彼は、いつも冷たく、遠ざけるようで、誰とも深く関わろうとしなかった。外の世界がどんなに騒がしくても、一切心を動かされることはなかった。
菫は静かにその場に立ち、手首の激痛に耐えていた。
「ごめんなさい」
小さな声でそう呟いた。
お金をもらって頼まれたことを果たす――そういう世界なのだ。もっと早く気づくべきだった。自分の不注意だ。
寒夜はしばらく冷たい目で彼女を見ていたが、すぐに璃宛のもとへ歩み寄り、今にも倒れそうな彼女の体を支え、食いしばった顎を震わせて言った。
「全身びしょ濡れじゃないか。風呂に入れ」
だが璃宛は、その言葉が耳に入らないかのように、突然もがき出して外へ出ようとした。泣きながら叫ぶ。
「もういい、あなたに嫌われたままなら、ここにいたって意味ないじゃない!」
雨に濡れた彼女の服は彼の胸元にも張り付き、寒夜の長い眉が濡れて垂れる。その瞳の奥には、抑えきれない痛みと、哀しみと、深い愛情が見えた。
最後に、彼は璃宛を強く抱きしめ、その後頭部に手を添えて、身をかがめてそっと唇を重ねた。
「ん……」
璃宛は短く鳴くと、もう何も言わなくなり、最初こそ彼の胸を弱々しく叩いていたが、やがて力なく身を預け、彼の口づけに応えた。
男は、壊れ物を扱うように、世界に一つしかない宝物を慈しむように、そっと少女に口づけた。
菫はふと、去年のことを思い出した。
あの時も、こんなに寒い日だった。腰の古傷がぶり返し、立っているのもやっとで、体中が震えて、水に濡れたみたいになっていた。
よろめきながら彼の書斎に行き、病院に連れて行ってほしいと頼んだ。
だが男は、冷たい顔で一度も視線を上げることなく、ただ一言。
「自分で行け」
この言葉を、彼女は何度も聞かされてきた。
今、目の前の光景を見て、こんな男でも愛する人には、ちゃんと優しくできるのだと知った。
菫は立ち去ろうとしたが、呼び止められた。
寒夜が背中越しに言う。
「菫、今夜は103号棟の別荘に泊まれ。壁の絵も外して持っていけ」
菫は一度、ドアの外に降る冷たい雨を見やった。ちょうど稲妻が走り、冷たいタイルの床から刺すような冷気が、まだ靴も履いていない足元からじわじわと這い上がってくる。
彼女は少し黙り、「わかりました」とだけ答えた。
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