幾千の舟の涯てで第2話
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乙音が目を覚ますと、病室の窓の外はすっかり暗くなっていた。
無人の部屋を見回し、彼女の瞳に冷たい嘲笑が浮かぶ。看護師が検査結果を説明し、翌日の退院手続きを告げて去った後も、枕元の携帯は震え続けていた。
美穂からのメッセージだった。
数十枚の写真が送られてきている。青野に背負われて帰る姿、善次がエプロンを締めて料理する様子。二人の男性に囲まれたみほの足元には、贈り物の山が写っていた。
「お姉ちゃん、善次お兄ちゃんと青野さんが本当に優しいの。私って世界一幸せな女の子かも」
乙音は一瞥するだけで返信せず、翌朝退院手続きを済ませて家路についた。
玄関を開けると、リビングで映画を観る三人組が目に入った。ソファに挟まれたみほに、善次が果物を、青野が飲み物を手渡している。昨日の階段に広がっていた血痕はきれいに消え、誰の記憶にも留まっていないようだ。
乙音は視線を逸らし、黙って自室へ向かった。段ボール箱を引っ張り出し、思い出の品を次々と放り込む。箱が満杯になると、彼女はそれを抱えて庭へ出た。
焚き火の炎が上がった時、青野と善次が駆けつけた。
「乙音!何をしているんだ!」
答えず、箱からベールを取り出す。七歳の頃、公園の砂場で「おままごと」をした日のこと。青野が枯れ枝で作った花冠を差し出し、「大きくなったら絶対俺の嫁になれよ」と真っ赤な顔で宣言した。その時に被せてくれた白いハンカチだ。
「これ、燃やすの」
炎が布を飲み込む瞬間、次に取り出したのは善次が十五歳の時、高野山の石段を額を擦りながら祈って手に入れたという御守りだった。
「お前が熱を出すたびに、俺は――」
善次の言葉を遮り、乙音は御守りを火中へ投じた。次はラブレター、クリスタルの靴、ドレス――幼少期からの写真さえも灰に変えていく。
青野が腕を掴んだ。「みほは養女だ!あと少しで羽生家に嫁ぐのに、まだこんなことで苛立つのか!お前がみほに譲るべきものくらい――」
善次の声も冷たく響く。「乙音、お前の痛みなんてみほの未来の代償に比べれば塵ほどもない。あの子は一生を捧げるんだ」
「違うわ」
乙音は炎の残り火を見つめた。灰が風に舞い上がり、羽生家に嫁ぐのは自分なのだと、声にならない声で呟いた。
翌朝、玄関に積まれた贈り物の山に目もくれず、彼女はゴミ袋に詰め込んだ。かつてなら、善次が徹夜で部屋の前を見張り、「妹が許してくれるまで帰らない」と啜り泣き、青野が高級ブティックの袋を山ほど抱えて「乙音の笑顔が見たいだけだ」と土下座したものだ。
今は箱だけが無機質に転がっている。階下からみほの甲高い声が聞こえる。
「もったいない!私の正規品と交換すれば良かったのに。だってお姉ちゃんはお嬢様だもの。善次お兄ちゃんたち、私なんかにこんなプレゼント……」
「おめでとう。これで全てあなたのものよ」
乙音は淡々と言い残し、扉を閉めた。焼け跡の匂いがまだ衣類に染みついていた。
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