山村の風と愛しい日常第2話
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電話の向こうで、杉本晃成(すぎもと こうせい)の口調には困惑が滲んでいた。
「結空さん、よく考えなさい。この異動枠は君が三年も待ったものだし、病院側も君の個人的な事情を考慮して優先的に許可したんだよ。
戻ってきたらすぐに結婚の準備をするって言っていたじゃないか?それがどうして、急にやめるなんて言い出したんだ?」
結空は声を詰まらせた。
「結婚はもうしないことにしました。なんだか……私たち、合わないみたいなんです。
それに、村の人たちの方が私を必要としてくれていますし、私も……やっぱり、あそこを離れるのが名残惜しいんです」
晃成は小さくため息をつき、それ以上は追及しなかった。「分かった。君がそう決めたのなら、申請は取り消しておこう。今週はゆっくり体を休めて、来週また診療所へ出勤しなさい」
「ありがとうございます」
電話を切った後、結空は心ここにあらずの状態で家へと帰った。
家に着くとすぐに、圭馬からメッセージが届いた。
【結空、お父さんの容体が急変して、俺は病院に残らなきゃいけなくなった。帰ってきたばかりで疲れてるだろうから、俺のことは待たずに早く休んでくれ】
結空は【分かった】と一言だけ返信した。それ以上の文字を打つ気力すらなかった。
画面を閉じようとしたその瞬間、おすすめタイムラインの動画付きのSNS投稿が、突然スマホに表示された。
画面に表示された見覚えのあるアカウント名に、結空は何かに取り憑かれたかのように、引き寄せられるままその投稿をタップした。
それは、小さな花火大会の様子を収めた写真の数々だった。
その中の一枚は、こっそりと隠し撮りされた男性の後ろ姿だった。
夜空に花火が打ち上がる中、男性の後ろ姿は少しぼやけていたが、彼がわずかに顔を傾け、隣で花火を見上げる女性の横顔に向けた視線だけは、はっきりと捉えられていた。
添えられたキャプションにはこう書かれていた。【花火なんて儚いものだって彼は言うけれど、今、私の目に入る景色は温もりで満たされている】
コメント欄は、どれも例外なく二人の仲を羨む言葉ばかりだった。
【なるほどね、花火大会ってこういう風に楽しむものだったんだ?ごちそうさま!】
【ちょっと待って、彼氏さんの視線が熱すぎて花火が完全に霞んでるよ!早く振り返って気づいてあげて!】
結空の全身の血が一瞬にして凍りついた。
その後ろ姿、そのコート――間違いなく圭馬だった。
そして、彼が愛おしそうにじっと見つめているのは、幸せそうに笑みを浮かべる美波の姿だった。
結空は美波のSNSのプロフィール画面を開いた。
投稿を下へ下へとスクロールするたび、心臓をじわじわと切り刻まれていくような激痛が襲った。
二ヶ月前。スキー場で、二つの手がしっかりと握り合わされている写真。そのうちの一人の腕には腕時計が光っていた。
【スキーに行ったことがないって言ったら、彼が有休を取って連れてきてくれたの】
結空はその腕時計をよく知っていた。彼女が社会人一年目のボーナスで圭馬にプレゼントしたものだ。
三ヶ月前。映画の半券の写真。【こっそり一枚。彼が初めて恋愛映画に付き合ってくれた記念】
半年前。使い込まれたライターの写真。【彼の忘れ物、もらっちゃった】
そのライターは大輝からの贈り物で、圭馬が肌身離さず持ち歩いていたものだった。
一つ一つの出来事が、時間軸に沿ってはっきりと線で繋がっていく。
彼女が照りつける太陽や激しい雨に耐えながら、田舎の泥道を歩き回っていた時。
彼女が深夜、彼の「会いたい」という一言を聞くためだけに愛おしそうにスマホを抱きしめていた時。
彼女が生活費を切り詰め、二百万円の特別手当を一円も残さず彼の起業資金として送金した時……
圭馬は彼女が血を吐くような思いで稼いだお金を使って、別の女とロマンチックな時間を楽しんでいたのだ。
涙で画面が滲み、彼女はもう感情を抑えきれず、声を上げて泣き崩れた。
どれくらい泣いたか分からない。やがて力尽き、泥のように眠りに落ちた。
翌朝目を覚ました結空は簡単に身支度を整え、栄養ドリンクなどの差し入れを買って病院へ向かった。
病院に着くやいなや、圭馬がしゃがみ込み、美波の赤く腫れた足首を優しく揉み解しているのが目に入った。
「どうして気をつけて歩かないんだ。痛むか?」
美波は顔を赤らめて恥じらいながら首を振った。「痛くないわ、私は大丈夫よ。こんなにたくさんの人が見ているのに……」
通りかかった別の看護師たちまでもが、その光景にニヤニヤしながらからかいの声をかけてくる。
「吉川さん、彼氏さん本当に優しいわね」
美波が何か言い返す前に、圭馬は弾かれたように慌てて距離を取った。
傍らに立っている結空に気がついたからだ。「結空、どうしてここに……?」
結空は無表情のまま二人を通り過ぎようとした。「大輝さんの様子を見たら帰るわ」
だが、圭馬は結空の手首を強く掴み、かすれた声で弁解した。
「美波はお父さんの世話をしていて足を捻ったんだ。だから俺は……
怒らないでくれ。数日したらウェディングドレスを選びに行こう、な?」
結空はただ、静かな声で告げた。「必要ないわ。結婚式はキャンセルして」
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