夫が娘の心臓を奪った日第2話
この話は約1864字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
葬儀の場で、優一を知る人たちはみな、娘を溺愛していたはずの彼が姿を見せないことに驚いていた。
参列者たちは心配そうに、次々と優一へ電話をかけた。
けれど、私には分かっていた。
その電話がつながるはずがないことを。
案の定、葬儀が終わるまで、優一が姿を見せることはなかった。
喉の奥にせり上がる嗚咽をこらえながら、私は出棺の前にもう一度だけ、葵の冷たくなった小さな手を握った。
父親でいる資格もないあの男に邪魔されなかったことは、葵にとって、むしろよかったのかもしれない。
そのまま納骨を迎えるはずだった。
けれど、霊園の職員が血相を変えて駆け寄ってきた。
「広中様、大変です。お嬢様のためにお選びいただいた墓所で、騒ぎを起こしている方がいまして……!」
一瞬、息が止まった。
私は足をもつれさせながら、葵のために選んだ墓所へ向かった。
そこにいたのは、職員の鼻先に指を突きつけ、声を荒らげている律子だった。
「あなた、ただの職員でしょう?どうして勝手に決めるの?」
「言っておくけど、ここは知り合いの風水師に見てもらったの。この霊園で一番いい場所だって言われたんだから。クロを納める時間に間に合わなかったら、あなたたち、ただじゃ済まないわよ!」
職員は困り果てた顔で、何度も頭を下げていた。
「申し訳ございません、お客様。こちらの墓所は、すでにご契約済みでして……
それに、恐れ入りますが、こちらは人のための霊園です。ペットの埋葬は承っておりません」
「ここを使わせるかどうか、あなたに決める権限なんてないでしょ。誰が契約したの?その人を呼んで。お金ならいくらでも払うから」
優一は律子をなだめながら、職員を見据えた。
「聞こえなかったのか。責任者を呼んでこい」
優一に味方されたことで、律子はさらに調子づいた。
彼女は優一に身を寄せたまま、次の瞬間、職員の頬を平手で打った。
「聞こえたでしょう?責任者を呼ぶか、この墓所を契約した人を連れてくるか、どちらかにしなさい。でないと……」
「それを契約したのは、私よ」
私は人垣を抜け、優一と律子のもとへゆっくり歩いていった。
私の姿を見た瞬間、優一ははっとしたように律子から身を離した。
そして、足早にこちらへ向かってくる。
目が合った瞬間、彼の瞳がかすかに揺れた。
「紗穂……?どうしてここにいる。葵のそばにいてやらなくていいのか。霊園なんかで何をしてるんだ」
そこでようやく、彼は私の言葉の意味に気づいたように眉をひそめた。
「待て。今、この墓所を契約したのはお前だと言ったのか?何のために?」
私はこみ上げてくる涙を必死にこらえ、顔を上げて彼を見た。
「優一、よく葵の名前を出せるわね。この墓所は、葵のために――」
「ああ、優一さん!早く拓馬を見て!」
律子の甲高い声が、私の言葉をかき消した。
「この子、顔色が真っ青なの。ねえ、早く!」
優一の目に浮かんでいた動揺は、一瞬で消えた。
彼はためらうことなく私から目をそらし、拓馬のもとへ駆け寄った。
優一は拓馬の顔色を確かめながら、できるだけ優しい声でなだめていた。
「大丈夫だ。怖くないからな。おじさんがいる。大丈夫だよ」
律子は勝ち誇ったように口元を緩めると、ゆっくりと私のほうへ歩いてきた。
その目は明らかに私を挑発しているのに、声だけはわざとらしいほどしおらしかった。
「ごめんなさいね、紗穂さん。まさかここをあなたが押さえていたなんて。……でも、今すぐ必要には見えないわよね?よかったら、私たちに譲っていただけないかしら。
うちのクロね、一昨日、変なものを食べてしまったの。あんな死に方をするなんて、本当にかわいそうで……拓馬もすっかり参ってしまって、この通り顔色まで悪くしているの」
「消えて」
私は顔を上げ、冷えきった声でそれだけを言った。
次の瞬間、律子の芝居がかった泣き声が霊園に響いた。
優一が勢いよく立ち上がり、大股でこちらへ歩いてくる。
私を見下ろす彼の声は、これまで聞いたことがないほど冷たかった。
「紗穂、葵のことで怒っているのは分かる。だが、それを律子にぶつけるな。拓馬の顔色を見ただろう。子どもがあんなに怯えているのに、お前は何とも思わないのか」
そう言うと、彼は霊園の職員に顔を向けた。
「この墓所は、妻には必要ない。相川さんに譲るから、必要な手続きを進めてくれ」
「ふざけないで!出ていって。あの女と、その子を連れて、今すぐここから出ていって!」
私が言い切った直後、優一の手が振り上げられた。
乾いた音が響き、頬に焼けるような痛みが走る。
「いい加減にしろ、紗穂!お前にはもう、うんざりなんだよ!」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)