夫が娘の心臓を奪った日第3話
この話は約1696字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
「少しは事情を汲んでやれないのか!お前が使うわけでもないんだろ。だったら譲ってやればいいだけの話じゃないか!」
そこで、私の中で何かが切れた。
私は優一の襟元をつかみ、喉が裂けるほど叫んだ。
「葵のために用意した場所だからよ!葵は死んだの!あなたが手術の途中であの子を置いていったせいで、手術台の上で死んだのよ!
それでも父親なの!?」
それまでざわついていた周囲が、私の言葉に一瞬で静まり返った。
優一は呆然とした顔で振り返り、墓石を見た。
けれど、その表情が崩れたのはほんのわずかな間だけだった。
すぐに彼は顔をしかめ、馬鹿にしたように笑った。
「紗穂、お前……そんな嘘までつくようになったのか。俺が二日戻らなかっただけで、今度は葵が死んだって?
昨日の夜、拓馬は葵と話していたんだぞ。それなのに、今日になったら死んでいた?さすがに無理があるだろ。
もういい。これ以上、相手にしていられない。うちに嫁いだ以上、勝手な真似は許さない。この墓所は律子たちに譲る」
そう言って、優一は職員へ視線を向けた。
「手続きを進めてくれ」
ほどなくして、職員は困り果てた顔で書類を差し出してきた。
「お客様、こちらにご署名をお願いいたします……」
私はその書類を破り捨てようと手を伸ばした。
けれど、優一のほうが早かった。
彼は私に詰め寄ると、容赦なく腹を蹴りつけた。
息が詰まり、体がその場に崩れかける。
その隙に、優一はポケットから小さなナイフを取り出し、私の親指の先を切りつけた。
痛みで指先が震える。
けれど彼は構わず、血のにじむ親指をつかみ、そのまま無理やり書類に押しつけた。
私は血走った目で優一をにらみつけた。
「優一、この人でなし……父が私をあなたに託したとき、あなたは何て約束したの?あなたは……」
言い終える前に、平手が私の頬を打った。
乾いた音が響き、視界が大きく揺れる。
「お前の父親のことを、いちいち持ち出すな。あいつの名前を出せば、俺が黙るとでも思ったのか?」
優一は吐き捨てるように続けた。
「はっきり言ってやるよ。俺はもう、お前にはうんざりなんだ。葵を産んでいなかったら、とっくに捨てていた。お前が俺の妻だと思うだけで、こっちが恥ずかしいんだよ」
そう吐き捨てると、優一は私を力任せに蹴り飛ばした。
そして片腕で律子を抱き寄せ、もう片方の手で拓馬を連れ、振り返ることなく去っていった。
たかが律子の犬一匹のために、優一はとうとう本性を隠そうともしなくなった。
彼は忘れているのだろう。
今の優一があるのは、すべて父の後ろ盾があったからだということを。
そこまで踏みにじるつもりなら、こちらも遠慮はいらない。
……
霊園を出て、葵のいない家へ戻る途中、珍しく優一から電話がかかってきた。
その声には気まずさと、こちらの様子を探るような不安がにじんでいた。
「紗穂、もう何日も葵に会っていない。動画を撮って送ってくれないか。顔が見たいんだ……」
「分かった」
優一が言い終えるのを待たずに、私は電話を切った。
それから、以前撮っておいた葵の動画を一つ選び、優一へ送った。
すぐに、また優一から電話がかかってきた。
今度の声は、さっきまでとは打って変わって、どこか機嫌がよさそうだった。
「そうだよ、それでいいんだ。最初から素直にしていれば、俺だってお前にきつく当たらずに済む。
これからは、つまらない嫉妬で騒ぐな。さっきだって律子も拓馬も、お前のせいですっかり怯えていたんだ。明日は拓馬の誕生日だから、それが終わったら帰って葵のそばにいてやる。
それから、今日の霊園でのことは、このままにはできない。明日の誕生日会にはお前も来い。律子にきちんと謝るんだ。これからも顔を合わせることはある。これ以上、俺に恥をかかせるな」
「分かった。行くわ」
私は静かにそう答えた。
優一は一瞬、言葉に詰まった。
けれどすぐに、満足そうに笑った。
「そうだ。それでいい。お前は黙って言うことを聞いていればいいんだ。また明日な」
電話が切れたあと、私は家の中を見渡した。
葵の笑い声が消えた部屋は、ひどく広く、ひどく冷たかった。
もう、この家に未練はない。
私はそのまま背を向け、歩き出した。
さよなら、優一。
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