夫が兄になりすまして義姉と契った話第2話
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彼の口調は、まるで子供をあやすように柔らかかった。
知恵は彼の肩に寄りかかり、少し心配そうにこちらを見ていた。
「大丈夫よ」
私はかすかに笑みを浮かべた。
「ふたりとも、部屋に戻って休んで」
彰宗はすぐには動かなかった。
私を見つめる目が、珍しくも真剣だった。
「前に進めるのは、当然いいことだ。でも、出ていくとなると話は別。家族みんなで、ちゃんと話し合わないと」
その言葉に、知恵は少し驚いたように私を見つめた。
何も言わず、彰宗の後について出ていった。
ドアが閉まった。
私はベッドの端に腰かけて、小さく笑った。
家族、か。
私たちって、本当に家族なのだろうか。
スマホが震え、画面を見ると、スケジュール確認の通知だ。
翔伍と一緒にアイスランドでオーロラを見るのがずっと私の夢だった。
でも桐谷家は政界と深く結びついた複雑な関係を持っていて、家の長老たちは子どもたちが自由に海外へ出ることを許さなかった。
彼が生きていた頃、私は待ち続けていた。
死んでからも、私は彼に縛られていた。
でも今はもう、自分のために生きたい。
……
翌朝早く、書類と身分証をカバンに詰めた。
部屋を出ると、ちょうど彰宗が朝食を作っているところだった。
厚焼き玉子、知恵の好物だ。
しじみの味噌汁に揚げパン、私の好物だ。
毎朝ずっとそうだった。
知恵は甘い味が好きで、私は塩味が好きで、彼は一度も間違えたことがなかった。
この三年間、文句のつけようがないほど細やかに気遣ってくれたものだ。
「おはよう。朝ご飯できたぞ」
彰宗が私のために椅子を引いた。
「いい。二人で食べて」
踵を返して玄関へ向かおうとしたとき、彰宗が私の手に持った書類袋に目を留めた。
歩み寄り、私の腕を掴んだ。
「それ、何だ?どこ行くんだ?何しに?」
こんなに反応するとは思っていなかった。
とっさに言い訳を作った。
「この前の健康診断で、ひとつ数値が良くなかったから。先生に再検査って言われて」
じっと私を見つめて、信じていないのが分かった。
彼は手を伸ばして書類袋を取ろうとした。
その指先が触れかけた瞬間、寝室から、知恵の小さな悲鳴が上がった。
一瞬で彰宗の手が離れ、彼は駆け足で寝室へ向かった。
「知恵?どうした?」
「つま先をベッドの角にぶつけちゃって…… イタタタ……」
甘えた泣き声が、ドアの隙間から漏れてきた。
続いて、彰宗の声がやさしくなった。
「ほら、見せてごらん……」
私は玄関に立ったまま、書類袋を握りしめて、小さく笑った。
そして背を向け、家を出た。
……
ビザはすんなり取れた。
ビザセンターを出たとき、スマホに十九件の不在着信があったことに気づいた。
それに、未読メッセージが三十件以上。
全部、彰宗からだった。
どこの病院にいるのか、返事をしてくれ、早まったマネはするな、と。
一件ごとに、焦りが滲んでいた。
最後の一件は、十五分前に送られていた。
【今から探しに行く】
その一文を、しばらく眺めた。
以前、私が外出するときは必ず誰かを付き添わせてくれていた。
運転手でも、家政婦でも、常に誰かがそばにいた。
彰宗は、私が思い詰めて変なことしないか心配で。
でも今朝の彰宗は、寝室から聞こえたあの小さな泣き声で頭がいっぱいだった。
スマホの電源を切り、返事はしなかった。
ビザも取れた。航空券も押さえてあった。
来週の金曜日には、ここを出る。
……
あてもなく、ずいぶん長いこと歩き回っていた。
家に帰ったのは、夜の十時を過ぎていた。
ドアを開けた瞬間、リビングのソファに座っていた彰宗に心臓が跳ね上がった。
彼はどれくらいそうしていたのか、明かりもつけず、スマホの画面の薄い光だけが、横顔の半分をぼんやりと照らしていた。
「どこにいたんだ?なんで返事しなかった?」
低く落とした声に、感情は読めなかった。
心拍を落ち着かせながら、玄関の照明スイッチに手を伸ばした。
ようやく気づいた。
コートはまだ着たままで、靴も替えていないことに。
外を探し回った末、戻ってきたばかりのようだ。
「スマホの電池が切れてたの」と私は言った。
スリッパに履き替えて、彼の横を抜けて部屋へ戻ろうとした。
ドアの前まで来て、手をかけようとしたその時。
体をぐいっと反転させられ、背中が激しくドアに打ち付けられた。
彼は私を壁に押しつけた。
ドアと彼の体の間に閉じ込められ、彼の服に染み付いた冷たい風の匂いが感じられるほど、息の詰まる距離だった。
「彰宗さん」
身をよじったが、逃げられなかった。
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