夫が兄になりすまして義姉と契った話第1話
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カミソリでまた手首を切ったとき、真っ先に駆け込んできたのは、やはり桐谷彰宗(きりたに あきむね)だった。
震える手で包帯を巻きながら、彼は言った。
「薬、また飲み忘れたんじゃないか?」
私は何も答えず、ただぼんやりと、赤く潤んだ彼の瞳を見つめていた。
さすが双子だ。
今この瞬間、心配で歪んだその顔立ちまで、あの人と瓜二つだった。
しばらくして、彼は小さく息をつき、ようやく重い口を開いた。
「もし……本当に翔伍(しょうご)のことが忘れられないなら、俺が……」
「いらない」
きっぱりと言い切り、私の視線は、彼の襟元から覗く、生々しいキスマークへと落ちた。
「彰宗さんは、ちゃんと知恵(ちえ)さんのそばにいてあげて」
口元にわずかな笑みを浮かべて、彼を見た。
不思議と、心にはもう悲しみは残っていなかった。
「だって、私もそろそろ自分を解放して、やり直そうと思うの」
あのとき、あなたが私を捨てたのと同じように。
別の人間として、別の誰かと一生を歩んでいく。
* * *
カミソリでまた手首を切ったとき、真っ先に駆け込んできたのは、やはり桐谷彰宗(きりたに あきむね)だった。
震える手で包帯を巻きながら、彼は言った。
「薬、また飲み忘れたんじゃないか?」
私・久遠美咲(くおん みさき)は何も答えず、ただぼんやりと、赤く潤んだ彼の瞳を見つめていた。
さすが双子だ。
今この瞬間、心配で歪んだその顔立ちまで、あの人と瓜二つだった。
しばらくして、彼は小さく息をつき、ようやく重い口を開いた。
「もし……本当に翔伍(しょうご)のことが忘れられないなら、俺が……」
「いらない」
きっぱりと言い切り、私の視線は、彼の襟元から覗く、生々しいキスマークへと落ちた。
「彰宗さんは、ちゃんと知恵さんのそばにいてあげて」
口元にわずかな笑みを浮かべて、彼を見た。
不思議と、心にはもう悲しみは残っていなかった。
「だって、私もそろそろ自分を解放して、やり直そうと思うの」
あのとき、あなたが私を捨てたのと同じように。
別の人間として、別の誰かと一生を歩んでいく。
彰宗は呆然と立ち尽くした。
「何を言っているんだ?」
私は手を引き抜いて、自分でガーゼを巻き始めた。
「この数年間、私の病気のせいで、彰宗さんにも知恵さんにもたくさん迷惑をかけたわね。でも、もうすっかり良くなったから、そろそろここを出て行こうと思うの」
彼は弾かれたように立ち上がった。
「良くなった?それなのに手首を切ったのか?」
私は俯いたまま、サージカルテープを歯で噛み切り、ガーゼの端をきちんと押さえた。
「リンゴを剥いてたら、ちょっと滑っちゃっただけ」
信じてくれなかった。
この三年間で、私は十七回も手首を切っていて、そのたびに一番にドアを蹴破って駆け込んできたのは彼だったから。
でも、今回は違う。
本当に、リンゴが食べたかっただけ。
「喜んでくれないの?」
顔を上げて、彼を見つめた。
「ずっと前に進めって言ってくれてたじゃない。今、やっと前に進めるようになったのに、どうして喜んでくれないの?」
彼の表情がわずかに揺れ、口を開きかけて、また閉じた。
その顔を見つめながら、私はいつの間にか指先を握りしめていた。
翔伍と彰宗は、本当に瓜二つだった。
双子だから、当然だけど。
眉の形も、鼻筋も、唇も。
こめかみの小さなほくろの位置まで、すべて同じだった。
昔は、ふたりは似てないと思っていた。
彰宗の笑顔は穏やかで、翔伍が笑うと目尻がほんの少しだけ上がって、少年らしい快活さが滲む。
でも、それは三年前の話だ。
三年前、こう告げられた。
「翔伍は事故に遭って助からなかった」
あの日、私は愛した人を失った。
お腹の子も失った。
私はあまりの衝撃に、睡眠薬を多量に飲み込んだ。
その時に、彰宗が、水を飲ませて吐かせてくれた。
屋上に立ったとき、引き戻してくれたのも彼だった。
何度も何度もリストカットをくり返して、そのたびに包帯を巻いてくれたのも彼だった。
彼は義兄として、この三年間、私のそばにいてくれた。
心から感謝していた。
一ヶ月前までは。
夜中にトイレに起きたとき、書斎の前を通りかかると、電話している声が聞こえてきた。
「お母さん、彰宗兄さんのことは誤魔化せるうちは誤魔化しておこう。知恵はこんなこと耐えられないよ、元々精神が不安定なんだから。
美咲のことは……あいつは強いから、大丈夫」
口を押さえてドアの外にうずくまり、全身が震えていた。
まさか死んでいたのは、彰宗だったとは。
そして今、兄の彰宗になりすまして、三年間生きていたのは翔伍だった。
なのに、あの夜、私は部屋に飛び込んで問い詰めることはしなかった。
本当の彰宗は彼を庇って死んだのだと、自分に言い聞かせた。
彼が兄嫁の世話を続けているのは、罪悪感からなのだと。
そう理解すべきだと思っていた。
でも、ふたりの寝室の前まで来たとき。
彼が林田知恵(はやしだ ちえ)を押し倒して、唇を重ねる光景を目にしてしまった。
もう、自分を騙しきれない。
彼が欲情したときの様子を、私は誰よりもよく知っている。
呼吸が荒くなると、指先には無意識に力がこもること。
かつては私だけのものだったその些細な仕草が、今は寸分違わず別の女に注がれていた。
責任感なんてもの、とっくに変質していたのだ。
この三年間、朝夕をともに過ごすうちに、彼は知恵に惹かれていったんだ。
そのとき、ドアがノックされた。
「美咲ちゃん、大丈夫?」
知恵の声だった。
翔伍……いや、やはり彰宗と呼ぶべきか。彼は薄手のカーディガンを一枚だけ羽織った知恵を見て、反射的に腕の中へと引き寄せた。
「外は寒いのに、どうしてそんな薄着で来るんだ」
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