四度目の婚姻届、もうあなたを待たない第2話
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翌朝早く、蒼士が寝室のドアを軽く叩いた。
目を覚ますと、蒼士はもう着替えを済ませていた。
白いシャツに、黒いスラックス。
昨日と同じ服装だった。
「起きろよ」
昨夜よりも、いくらか穏やかな声だった。
「先に写真を撮り直して、それから市役所へ行こう」
蒼士を見つめた瞬間、胸が鈍く一度脈打った。
消えかけた灰の奥で、小さな火種が再び灯ったようだった。
顔を洗い、メイクをして、シャツにもう一度アイロンをかけた。
家を出る直前、蒼士のスマホに電話がかかってきた。
玄関に立ったまま、私の指先には少しずつ力が入った。
蒼士は私を一度見ると、そのままスピーカーモードに切り替えた。
由良の甘く弱々しい声が流れてくる。
「蒼くん、二人の邪魔をするつもりじゃなかったの。今日は写真スタジオを予約してるんだ。つらかったことに区切りをつけたくて、記念写真を撮ろうと思って」
由良はそこで言葉を切った。
「でも、急に午後まで待ってほしいって言われたの。一人で待っているのが、少しつらくて……」
蒼士は数秒、黙り込んだ。
次に何を言うのか、私にはもう分かっていた。
案の定、蒼士は私を見た。
「先に写真スタジオへ行こう」
私はかすかに口元をゆがめた。
「それから?」
「俺たちも結婚の記念写真を撮り直すんだし、ちょうどいいだろ。一緒に撮ればいい」
ごく当然のことのように言った。
私たちのために取っておいた時間を由良に譲ることなど、蒼士にとっては大した問題ではないのだろう。
写真スタジオには、すでに由良が来ていた。
オフホワイトのワンピースを着て、髪を肩まで下ろした姿は、清楚で無垢に見えた。
私を見ると、由良は申し訳なさそうに笑った。
「千紗、二人の邪魔にならない?」
私が答えるより早く、蒼士が口を開いた。
「大丈夫だ」
カメラマンが受付票を手にやってきた。
「どなたから撮影しますか?」
蒼士は由良を見た。
「由良からお願いします。やっと気持ちが落ち着いたところなので」
私は脇の椅子に座り、由良が背景布の前に立つのを見ていた。
1枚目では、由良の笑顔がぎこちなかった。
蒼士がそばへ行き、顔にかかった髪を整えてやった。
「そんなに硬くなるなよ。昔みたいに笑えばいい」
2枚目では、由良がスカートの裾がきれいに広がらないと言った。
蒼士はしゃがみ込み、裾を丁寧に整えてやった。
3枚目を撮る前、由良は蒼士の指輪を見つめた。
「ちょっとだけ貸して。昔のことに区切りをつけるためだから」
冗談めかしてそう言うと、蒼士は自分の指輪を外し、由良に渡した。
その指輪が由良の手の中に収まるのを、私はただ見ていた。
私が選んだ指輪だった。
内側には、私と蒼士のイニシャルが刻まれている。
カメラマンが気まずそうに私を見た。
「藤岡様、先にメイクを直されますか?」
私は自分の頬に触れた。
メイクが崩れていたわけではない。待ち続けたせいで、口紅が少し薄くなっていただけだった。
由良の撮影は、1時間以上続いた。
ようやく私たちの番になると、私は由良の手にある指輪を見て、静かに言った。
「もう返してあげて」
由良は今気づいたかのように目を落とし、かすかに笑った。
「ごめん。さっき、強く握りすぎちゃった」
蒼士が手を伸ばす。
「気にするな」
受け取った指輪を、ティッシュで丁寧に拭いた。
その手つきを見ているうちに、初めて自分の指輪をはめた日のことを思い出した。
少しきつかったので、外すのを手伝ってほしいと蒼士に頼んだ。
けれど蒼士は由良への返信に気を取られ、顔も上げなかった。
「せっけんをつければ抜けるだろ?」
あの日、私の指には一周、赤い擦り傷が残った。
ようやく蒼士が私の隣へ来た。
カメラマンがカメラを構える。
「もう少し、お二人の距離を近づけてください」
蒼士はスマホに目をやった。
「早めにお願いします。由良がまだ昼を食べていないので」
シャッター音が響いた。
写真の中の私は背筋を伸ばし、こわばった笑みを浮かべていた。
蒼士は写真を一度見ただけだった。
「これでいいです」
カメラマンがためらう。
「お連れ様のお顔が少し硬いようですが、撮り直しますか?」
蒼士はもう上着を手に取っていた。
「写真なんて、写ってさえいれば十分です」
これで十分。
蒼士にとって、私との結婚までその程度のものだったのだ。
スタジオを出ると、由良が蒼士の袖をそっとつまんだ。
「蒼くん、この前のお店のパスタが食べたい」
蒼士が由良に顔を向けた。
「行こう」
二人は肩を並べて歩きだした。
陽射しに包まれた後ろ姿は、撮りたての一枚のように見えた。
私はそのフレームの外に立っていた。
数歩進んだところで、蒼士がようやく振り返った。
「千紗、何をぼんやりしてるんだ?」
私はバッグから、さっき撮った写真を取り出した。
端から少しずつ破っていく。
細かな紙片が、ごみ箱に落ちていった。
自分でも驚くほど、声は穏やかだった。
「二人で行って。今日はもう、婚姻届を出さない」
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