十二年間、私は養女だと騙されていた第2話
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恩。
口元がわずかに動いたが、笑い声は漏らさなかった。
「分かった、お母さん」
「それから」
佳代は声を落とし、美羽の部屋のほうに目をやった。
「向こうへ行っても、うちのことはあまり人に話さないでね。事情を知らない人に、複雑な家庭だと思われても困るから」
複雑な家庭。
私は、分かったと答えた。
夜、自分の部屋へ戻り、鍵をかけた。
4畳ほどしかない部屋には、シングルベッドと折り畳み机、小さなクローゼットしかない。
隣にある美羽の部屋は、その3倍ほどの広さだった。出窓も専用の本棚もある。
スマホを開き、必要なものをもう一度確認した。
パスポート、ビザの申請書類、入学許可証、キャッシュカード。
18歳の誕生日に自分で口座を作り、アルバイト代とコンテストの賞金を貯めてきた。残高は46万8000円。
片道の航空券を買うには十分だった。
書類をすべてリュックの底に入れてファスナーを閉じ、ベッドの下に押し込んだ。
明かりを消して横になる。
天井には、壁の隅から照明の脇まで延びる古い亀裂があった。
6歳でこの家へ来たばかりの頃、ベッドに横たわり、枝分かれしたその亀裂を何度も数えた。
あのとき佳代は、もう少ししたら業者を呼んで壁を塗り直し、かわいい部屋にしてあげると言った。
それから12年。
亀裂はまだ残っている。
廊下を駆けていく美羽の足音が聞こえ、やがて部屋から友人とビデオ通話をする笑い声が響いてきた。
「うん、全部お母さんが買ってくれた。洗剤までそろってるんだよ。すごくない?細かすぎて笑える」
私は寝返りを打ち、壁のほうを向いた。
この家で過ごすのも、あと数日だった。
……
「詩織、ちょっと来なさい」
翌朝、水野正孝(みずの まさたか)は食卓につき、お茶漬けと漬物を前にしていた。
向かいに座る美羽の前には、牛乳、目玉焼き、トースト、それに食べやすく切った果物が並んでいた。
私の席には何もない。
朝食がないわけではなかった。キッチンには前日のご飯と味噌汁が残っているから、自分でよそえばいい。
誰かが口にしたことは一度もない。それでも、それがこの家の決まりだった。
私がお椀を持って席につくと、正孝は軽く咳払いをした。
「佳代から聞いた。海外へ留学するそうだな」
「うん」
「どこの大学で、何を学ぶんだ?」
「ヘルシンキ大学。専攻はコンピューターサイエンス」
正孝は眉をひそめた。
「北欧か。ずいぶん遠いな」
「授業料は全額免除されるし、生活費は向こうで働けば賄えるから」
正孝は数秒黙り、指先でテーブルを叩いた。
「詩織、留学のことだが――」
「お父さん!」
美羽が突然口を挟み、スマホを差し出した。
「見て。地元の難関国立大、もう新入生の公式コミュニティができたんだって。入学式の日に一緒に行こうって、みんなで話してるの!」
正孝の関心は、たちまちそちらに移った。
「どれだ?見せてみなさい。今は怪しいものも多いんだから、何にでも入るんじゃないぞ」
「怪しくないって。大学公認のコミュニティだし……」
二人はスマホをのぞき込み、10分ほど小声で話し続けた。
私は黙って食事を終え、食器を洗った。ついでに、昨夜美羽がシンクに捨てたアイスの棒も拾ってゴミ箱に入れた。
「詩織」
寝室から出てきた佳代は、まだ髪を結ばず、肩に垂らしたままだった。
「昨日、ビザの手続きをするって言ってたでしょう。書類はそろったの?」
「そろったよ」
「じゃあ、手続きが終わったら帰りにショッピングモールへ寄って、美羽のスニーカーを買ってきて。以前買った靴がもう古くなってるの」
「分かった」
「23.5センチで白。高すぎるものはだめよ。6000円以内にしてね」
私はうなずいた。
食卓から美羽が身を乗り出した。
「お姉ちゃん、この前配信で見つけた、クッション入りのあのスニーカーがいい!商品ページ送るね」
「うん」
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