もしも、出会った日のままでいられたなら第2話
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寒成の目に、一瞬だけ信じられないという色がよぎる。
彼は私の手を強く掴み、反論の余地を与えない強い口調で言い放った。
「だめだ。俺は絶対にお前と別れない。
お前も、子どもも――どっちも手放さない」
その言葉が落ちた直後、二階から杏奈の悲鳴が響いた。
「寒成!安人が倒れた!痙攣してる、早く病院に!」
男は一瞬で私の手を振り払い、振り返りもせず階段を駆け上がっていく。
次の瞬間、広い邸宅には私ひとりだけが取り残された。
ゆっくりと視線を巡らせる。
ここは彼と杏奈が八年ものあいだ共に暮らしてきた家。
壁には三人で写る家族写真。
背景はマルディブの透き通る青い海と空。
私は三年も願い続けた。
誕生日の願い事さえ、「一度でいいから彼と海へ行きたい」だった。
けれど彼はいつも、こう言っては先延ばしにした。
「最近忙しくてな。また今度にしよう」
部屋の隅に置かれた犬小屋。
その中には、一着のオーダースーツが無造作に放り込まれている。
私が結婚式のために自ら選んだものだった。
今はもう、犬の毛と泥にまみれている。
胸の奥が静かに崩れ落ちる。
こみ上げるものを必死に押し殺しながら、私は帰国の航空券を手配しようとした――そのとき。
スマートフォンが鳴る。
寒成からの着信だった。
焦りを滲ませた声が耳に飛び込んでくる。
「今すぐだ。車を向かわせる」
携帯を握りしめたまま、心臓が激しく跳ねる。
――もしかして。
今さら罪悪感でも湧いたのか。
空港まで送ってくれるのか、それとも――今度こそ、籍を入れてくれるのか。
そんな淡い期待はあっさりと裏切られた。
連れて来られたのは空港ではなく、病院の救急棟だった。
寒成が目を赤くして飛び出してくると、私の手首を掴み、慌てて言い募る。
「明里、安人がICUに入った!すぐ輸血が必要なんだ!
O型なんだけど、血が足りない。
杏奈も俺も直系だから無理なんだ……頼む、お前しかいない。俺の息子を助けてくれ」
――理解した。
彼が自分を呼んだ理由。
後悔でもなければ、説明でもない。
ただ――自分の血が必要だったから。
言葉を失ったまま立ち尽くす私の前で、杏奈が突然、崩れ落ちるようにして足元にすがりついてきた。
脚にしがみつき、必死に泣き叫ぶ。
「明里、お願い……!
あのとき、学費だって払ってあげたし、あなたを庇ってきたでしょう?寒成とのことだって、ずっと黙ってた!
まさか、見殺しにするつもりじゃないわよね!」
杏奈はそのまま寒成の胸に縋りつき、声を張り裂けさせる。
「この子は命懸けで産んだ子なのよ!もし何かあったら……私も生きていけない!」
その涙が男の心を強く揺さぶる。
寒成は振り返り、私に向かって怒鳴った。
「明里、お前も母親だろう!どうしてそんなに冷酷なんだ!血も涙もないのか!」
目に涙を溜め、腹を抱えながら私は震える声で叫ぶ。
「あの子は一つの命……私のお腹の子は命じゃないの?
私、まだ臨月にもなってないのよ!無理に血なんて抜いたら、命に関わるのよ!」
だが、寒成の目は微塵も揺らがなかった。
冷たく言い放つ。
「お前は元々丈夫だ。出産までまだ二か月ある。問題なんて起きるはずがない」
その言葉を聞いた瞬間、私は背を向けた。
――もう、ここにはいられない。
だが、歩き出そうとしたその時、両側から腕を掴まれた。
屈強な男たち――警備員だった。
逃げ道は塞がれていた。
腹を庇いながら、必死に叫ぶ。
「やめて!離して……離して!」
だが寒成は聞こえないふりをする。
ただ冷ややかな視線を向けたまま、情け容赦なく命じた。
「五百ミリ、抜け」
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