もう彼の助手席には座らない第2話
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スマホがまた光った。
エレンがSNSに投稿した。
【誰かさんが真夜中に私のためにクッションとお菓子を買ってきてくれたの。これからは、この席には他の人を座らせないんだって。子供みたいで笑っちゃうよね】
コメント欄は大盛り上がりだ。
その中で一人がこう書き込んだ。
【文昭の婚約者に見られたらどうしよう?たぶん嫉妬しちゃうぞ】
エレンは返した。
【玉浦さんは分かってくれてるもの。私と張り合ったりなんてしないよ】
私は「いいね」を押した。
数秒後、文昭から電話がかかってきた。
出ると、ひどく機嫌の悪い声が飛んできた。
「何のつもりでいいねなんか押した?」
「白岩さんの言うとおりだよ」
「明澄、嫌味を言って何のつもりだ?」
彼は低い声で叱りつけた。
「エレンはまだ若いんだ。明澄はそんな相手に拗ねてるのか?さっきだって、『玉浦さんは心の狭い人じゃない』って、エレンが明澄のことをかばってたんだぞ」
私はソファに座り、何もなくなった食卓を眺めた。
「私が出血性胃潰瘍になったあの夜、文昭の車に乗ってたのは白岩さんだったよね」
電話の向こうが一瞬、静まり返った。
私は続けた。
「助手席に大事な取引先の人が乗ってるから、私を病院まで送るわけにはいかないって言った」
文昭の声が冷たくなった。
「過ぎたことだ。今さらそんなこと言って、何の意味がある?」
「あるよ」
私の声は淡々としている。
「私がこの4年間、どれだけ馬鹿だったのか確かめたいの」
彼は鼻で笑った。
「今のほうがよっぽど馬鹿だろ。結婚をダシにして八つ当たりして、最後に恥をかくのは明澄だ」
「招待状、まだ全部出してないよね」
「だから?」
私は引き出しを開け、金箔を押した招待状の束を取り出した。
3晩かけて書いたものだった。ペンを握り続けて、指にはたこまでできていた。
文昭の名前を、一枚一枚、丁寧に、謹んで書いた。
今になって見ると、まるで笑い話みたいだ。
「だから、全部なかったことにする」
文昭は、とうとう堪え切れなくなったようだ。
「そんなことできると思ってるのか?」
私は電話を切り、結婚式の担当プランナーに電話をかけた。
相手はまだ打ち合わせの話だと思っている。
「玉浦様、荻村様のほうから、グルームズマンの名簿をずっといただけていないんです。催促しておきましょうか?」
「結婚式は取りやめます」
「内金は返ってきませんし、会場費も差し引かれますが……」
「構いません」
「もしかして荻村様と喧嘩されたんですか?結婚式は両家にも関わることですし、もう一度お話し合いになったほうが……」
私は一番上に置いてあった招待状を、ビリッと破った。
「大丈夫です。新郎は、もういなくなりましたから」
プランナーは言葉を失った。
「……ご愁傷さま」
私は短く返事をした。
紙を破る音が、いつまでもリビングに響いている。
11時半になって、ようやく文昭が帰ってきた。
靴も脱がず、手にしたビニール袋をローテーブルに放り投げた。
中には、ガソリンスタンドでもらった車用の飾りが一つ入っている。
安っぽい香料の匂いが、むっと広がった。
彼はソファの前に立った。
「これあげるから、もういいだろ。いつも俺の車には明澄の物が何もないって言ってただろ?これを後ろに掛けてやる。明日からは明澄がもっと楽しく車に乗れるじゃない?」
私はその飾りを見つめた。
「後ろ?」
「いい加減にしろ」
文昭は眉をひそめた。
「エレンは助手席に座るのに慣れてるんだ。あいつは車酔いするけど、明澄はしないだろ」
「するよ」
「それくらい、大したことない」
78回目。
私は飾りを拾い上げ、そのままゴミ箱へ投げ入れた。
文昭の顔色が変わった。
「そこまでやるのか?」
「文昭の車には、もう乗らない」
「明日は会社に行くだろ」
彼は腰をかがめ、私に顔を近づけると、声を潜めて言った。
「今年の社員海外研修の枠がもうすぐ発表される。私情を会社に持ち込むな」
私は顔を上げた。
「キャリアを持ち出して私を押さえつけるの?」
「忠告してるだけだ」
彼は体を起こした。
「いい大人が、何かあるたびに別れるなんて言って脅すな」
そう言い残して、彼は浴室へ入っていった。
水の流れる音が聞こえ始めると、私はタブレットを開き、ドライブレコーダーのクラウドとの連携を外そうとした。
深夜に飲んで帰ることの多い彼に何かあったらと心配して、私が自分で取り付けたものだ。
連携を外す前に、システムに昨夜の車内録音データが表示された。
私はそれを再生した。
エレンの柔らかな声が聞こえてきた。
「文昭、玉浦さんが本当に怒ってるのかな?」
文昭はふざけた笑い声をこぼした。
「あいつは俺なしじゃいられない。騒ぎ疲れたら、自分から戻ってくるさ」
エレンが聞いた。
「じゃあ、助手席は?」
文昭は答えた。
「エレンだけが座れる」
浴室の扉が開いた。
タオルを手にした文昭は、扉のところに立っている。その顔から、さっきまでの気の抜けた表情が一瞬で消えた。
私は音量を上げた。
さっきの音声が、もう一度響いた。
文昭が駆け寄り、タブレットをひったくってソファに叩きつけた。
「俺を監視してたのか?」
私は彼を見つめた。
「あれは本音だって、認めるんだね?」
彼の目に一瞬、動揺が走った。けれど次の瞬間には、また怒りに変わった。
「友達同士の冗談だろ。それを持ち出して俺を問い詰めるのか?今の明澄といると、本当に息が詰まる」
私は立ち上がり、寝室へ向かった。
背中から、彼の冷たい笑い声が飛んできた。
「出ていけるもんなら出ていけ。どうせ明日には会社でまた被害者ぶるんだろ」
私は足を止め、振り返らずに言った。
「分かった」
部屋の扉を閉める前に、彼がローテーブルを蹴る音が聞こえた。
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