この7年、彼は一度も私に一番のものをくれなかった第2話
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「社長夫人の座もお前に与えてやった。これ以上何を望むんだ?
身の程をわきまえろ、渚」
身の程、か。
その言葉を噛み締め、諦めにも似た笑みを浮かべた。
そしてついに、あの電話をかけた。
「ドレスはもう注文したわ。
誠(まこと)、前に私を待つって言った言葉、まだ有効かしら?」
相手の返事は早く、そしてとても力強かった。
私がスマホを置くと、ちょうど要も帰宅した。
「誰と電話してた?」
「同僚よ」
要はそれ以上問いたださなかった。
彼はまっすぐ浴室へ向かい、身支度を整えると、隣に座った。
「相談がある。
あの車、しばらく江里子に貸すことにした。鍵は先に貰っていく」
その口調は相談ではなく、一方的な通告だった。
私は目を閉じ、小さな声で尋ねた。
「あの車は、新婚祝いだってあなたが言ったよね?」
「後で埋め合わせする」
彼は気のない様子で言った。
「彼女は一人で子供を養っているんだ。少しは同情してやれ。
お前には今、俺がいるだろう。彼女と張り合うな」
江里子が帰国してから、要が私に最も多く口にした言葉は「可哀想」だった。
彼女が指を切った時、彼は「可哀想」だと言い、高熱でうなされる私を屋敷に一晩置き去りにして、彼女の家へ行った。
彼女の息子が傘を持っていなかった時、彼も「可哀想」だと言い、何時間も電車に揺られて来た父を駅に置き去りにして、幼稚園へ迎えに行った。
彼女たちには憐れみが必要で、理解も必要なのだ。
そして私と父は貧しい暮らしに慣れているから、もう少し続いても、何ともない。
「わかった」
私は頷いた。
「じゃあ、彼女にあげて」
私は一言も問い詰めることなく、静かに横になった。
かえって要は一瞬戸惑い、何か言いたげだったが、結局口を開くことはなかった。
互いに沈黙したまま、翌日を迎えた。
ここ数年、要は会社で私との関係をひた隠しにしており、この秘密を知る者はいなかった。
いつも時間をずらして出社していたが、今日に限って、駐車場でばったり顔を合わせてしまった。
「この車、桐生社長が婚約者に買ったんだろ?」
「うわ、メルセデスSL63じゃないか。3000万円は下らないぞ!」
「その隣の車も見てみろよ……」
3000万円の車と、私の20万円の中古車が並んでいた。
駐車場に笑い声が響き渡った。
そして初めて知った、要がとっくに最上級の車に乗り換えていたことを。
私にくれたのはボロい中古車。それなのに、江里子には最高級の新車。
私は平然とドアを開け、要と目を合わせた。
彼は江里子を降ろすのを手伝っており、私を見ると気まずそうに顔を背けた。
しばらくして、彼からメッセージが届いた。
【次からはタクシーで出社しろ。その車は会社のイメージに合わなすぎる】
私は振り返り、運転席の洗っても落ちない血の染みを見つめた。
それは3年前、大雨の中を彼に重要な書類を届けようとして、交通事故に遭った時に残ったものだ。
あの夜、病院で目を覚ますと、真っ先に契約に支障はなかったかと尋ねた。
彼は目を赤くして私を抱きしめ、もう二度とこんな苦労はさせないと約束した。
しかし今の私は、もう待ちたくない。その約束なんてもう信じない。
退職届を作成し、社長室へ向かった。
だがノックをする前に、江里子の声が聞こえてきた。
「要さん、やっぱりドレスは渚さんに返したほうがいいんじゃない?怒らせたら怖いもん」
「大丈夫だ」
要は低い声で言った。
「あいつは物の良し悪しなんて分からないから、何を使っても同じだ。
それよりもお前だ。過去から抜け出すには、新しい環境が必要だ」
「なら、しっかり隠しててね」
江里子は無邪気に瞬きをした。
「ドレスはいいとして、プロポーズの指輪が私の結婚指輪のお下がりだってバレたら……」
私は体が揺らぎ、信じられない思いで自分の薬指を見つめた。
ドアの向こうで一瞬間、静寂が訪れた。
「どうせあの指輪も、捨てるに捨てられないただの不用品だ。お前が過去に囚われて苦しむなら、俺が誰かに押し付けてでも処分してやる」
要は彼女をなだめるように、低い声で言った。
「台座もサイズも作り直したから、彼女には分からない。
あいつはいつもおとなしいから、渡せば宝物のように大事に抱えるだけだ。疑うはずがない」
宝物、か。
私が宝物だと思っていたものは、またしても他人が要らないゴミだったのだ。
苦い笑みを浮かべ、心にもう一片の感情も残らないまま、ドアをノックした。
「桐生社長、退職届を提出しに参りました。
ご承認をお願いいたします」
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