あなたに捧げた五年の春を、私は取り戻す第2話
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「杏奈、受付に指輪を置きっぱなしにしてたぞ」
午前二時、悠真から電話がかかってきた。声はいつもどおり、落ち着いていた。
「知ってる」
「じゃあ、俺が預かっておく。明日、君の指にはめてやるよ」
彼はそこで少し間を置き、声をやわらげた。
「今日は嫌な思いをさせたな。莉央のドレスは、本当にただの事故だったんだ。君が貸してやったことは、みんなちゃんと見てたよ」
「悠真、別れましょう」
電話の向こうが、一瞬、静まり返った。
それから彼は、ふっと笑った。
「杏奈、今日つらかったのは分かってる。でも、別れるなんて、そこまでのことか?」
「本気よ」
「君は機嫌が悪くなるたびに、すぐ別れるって言うだろ」
彼は声を落とした。いつもの、辛抱強くなだめるような口調だった。
「分かった。気が済んだら電話して。迎えに行くから」
「悠真……」
「杏ちゃん、言うことを聞いて。明日、あの和食の店に連れていってやるよ。この前、行きたいって言ってただろ」
私はそれ以上、何も言わなかった。
数秒の沈黙のあと、彼の声が低くなった。
「杏奈、五年だぞ。君が本気で俺から離れられると思ってるのか?」
その言葉は、とても軽かった。
けれど私は、何も返せなかった。
彼は本当に、私がいなくなるなんて思ってもいないのだ。
私は電話を切った。
瑶子がキッチンから水の入ったコップを持ってきて、私の向かいに座った。
「何て言ってたの?」
「迎えに来るって」
「行くの?」
「行かない」
彼女は何か言いかけたけれど、私の表情を見て、そのまま飲み込んだ。
私はスマホの画面を見つめた。
通話履歴の一番上には、彼の名前があった。
五年前に登録したままの「悠真」
その後ろには、小さな太陽の絵文字がついている。
あの頃、私たちは付き合い始めたばかりだった。
彼は大学の正門の前で私を待っていた。
手には焼き芋を一つ持っていた。
十一月の風は冷たく、吐いた白い息は何度も風にさらわれた。
彼は言った。
「君の友だちに聞いたんだ。毎日わざわざ遠回りして、駅前の焼き芋屋の匂いを嗅ぎに行ってるって」
私は「高すぎるのよ、一つ五百円もするし」と言った。
彼は笑って、それを私の手に握らせた。
「これからは、食べたいものがあったら何でも俺に言って。五百円のものでも、五万円のものでも」
あの頃の彼の目は、とても明るかった。
見ているだけで、安心できた。
瑶子がふいに口を開いた。
「ねえ、彼がいつから変わったのか、覚えてる?」
私は長いこと考えた。
「覚えてない」
もしかすると、莉央が初めて現れて、目を赤くしながら学費が足りないと言った日だったのかもしれない。
もしかすると、彼が初めて私に「莉央に譲ってやってくれ」と何かを譲らせた日だったのかもしれない。
変化は、あまりにもゆっくりだった。
毎日、ほんの少しずつ失われていって、振り返ったときには、もう何も残っていなかった。
瑶子が私の毛布をかけ直してくれた。
「帰らなくていい。ここにいなよ」
「うん」
午前三時、彼からまた電話がかかってきた。
画面は三秒だけ明るくなり、それから暗くなった。
もう一度かかってくることはなかった。
彼の中では、私の怒りは一晩で収まるものだった。
朝になれば、私は自分から帰ってくる。
これまでの毎回と同じように。
私は、その電話に出なかった。
五年で、初めてだった。
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