あなたに捧げた五年の春を、私は取り戻す第1話
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南條悠真(なんじょう ゆうま)が、あの生活の苦しい後輩を婚約披露パーティーの控室に連れてきたとき、私――夏目杏奈(なつめ あんな)は、ちょうど口紅を直していた。
「莉央がうっかりドレスを汚してしまったんだ。少しだけ、君のドレスを貸してやってくれないか」
私は数秒、言葉を失った。すると悠真は、当たり前のように続けた。
「今日の主役が杏奈だってことは、みんな分かってる。何を着ていたって変わらないだろ」
ドアのそばには、一人の女の子が立っていた。洗い古して白っぽくなったスニーカーを履き、小さな声で「こんにちは、杏奈さん」と言った。
親友の藤崎瑶子(ふじさき ようこ)が、私の前に立ちはだかった。
「これは杏奈の婚約披露パーティーなのよ。このドレスだって、三十軒もお店を回ってやっと決めたものなのに!」
悠真が私を一瞥した。
五年。
彼にこういう目で見られるたび、私はいつも折れてきた。
私は瑶子をそっと押しとどめ、ゆっくりと口紅のキャップを閉めた。
「着せてあげて」
悠真は満足そうに私の頭を撫でた。
「やっぱり杏奈は分かってくれるな。結婚式の日には、最高のウェディングドレスを買ってあげる」
久保莉央(くぼ りお)は、私の婚約披露パーティー用のドレスに着替えた。悠真は身をかがめ、彼女のドレスの裾を持ち上げてやった。
彼はやわらかな声で言った。
「莉央、本当にきれいだ」
その仕草を、私は知っている。
私たちがウェディングフォトを撮ったとき、カメラマンに同じことを頼まれて、彼は「わざとらしい」と言って拒んだ。
私は婚約指輪を外した。
今度こそ、もう、物分かりのいい女でいるのはやめる。
* * *
南條悠真(なんじょう ゆうま)が、あの生活の苦しい後輩を婚約披露パーティーの控室に連れてきたとき、私――夏目杏奈(なつめ あんな)は、ちょうど口紅を直していた。
「莉央がうっかりドレスを汚してしまったんだ。少しだけ、君のドレスを貸してやってくれないか」
私は数秒、言葉を失った。すると悠真は、当たり前のように続けた。
「今日の主役が杏奈だってことは、みんな分かってる。何を着ていたって変わらないだろ」
ドアのそばには、一人の女の子が立っていた。洗い古して白っぽくなったスニーカーを履き、小さな声で「こんにちは、杏奈さん」と言った。
親友の藤崎瑶子(ふじさき ようこ)が、私の前に立ちはだかった。
「これは杏奈の婚約披露パーティーなのよ。このドレスだって、三十軒もお店を回ってやっと決めたものなのに!」
悠真が私を一瞥した。
五年。
彼にこういう目で見られるたび、私はいつも折れてきた。
私は瑶子をそっと押しとどめ、ゆっくりと口紅のキャップを閉めた。
「着せてあげて」
悠真は満足そうに私の頭を撫でた。
「やっぱり杏奈は分かってくれるな。結婚式の日には、最高のウェディングドレスを買ってあげる」
久保莉央(くぼ りお)は、私の婚約披露パーティー用のドレスに着替えた。悠真は身をかがめ、彼女のドレスの裾を持ち上げてやった。
彼はやわらかな声で言った。
「莉央、本当にきれいだ」
その仕草を、私は知っている。
私たちがウェディングフォトを撮ったとき、カメラマンに同じことを頼まれて、彼は「わざとらしい」と言って拒んだ。
私は婚約指輪を外した。
今度こそ、もう、物分かりのいい女でいるのはやめる。
……
「あら、このお嬢さんはどなた?とてもきれいね」
悠真の叔母は隣のテーブルから近づいてくると、莉央の手を取り、感心したように全身を眺めた。
莉央はうつむき、唇の端をかすかに上げた。
彼女が口を開くより早く、悠真が横から答えた。
「俺の後輩です。家庭の事情が少し大変で、さっきドレスを汚してしまって。杏奈が気の毒に思って、自分からドレスを貸してあげたんです」
叔母は頷き、私をちらりと見た。
「それで杏奈ちゃんは今日、そんな格好なの?婚約披露パーティーなのに、ずいぶん地味じゃない」
「彼女はそういうことを気にしないんです」
悠真が私の代わりに答え、何気ない動作で私の肩を抱こうとした。
彼の手が肩に触れる寸前、私はそっと身を引いた。
彼の手は空を切った。
「どうした?」
私は目を伏せた。
「何でもない」
瑶子が後ろから私の腕をつかみ、そのまま廊下の角まで引っ張っていった。
「本当にこのままでいいの?」
「じゃあ、どうしろっていうの」
「みんなの前に出て言いなさいよ。あのドレスはあなたのものだって。あの子は彼の婚約者じゃない、あなたが婚約者なんだって!」
私は、赤くなった彼女の目を見つめた。
「瑶子、私より焦ってるね」
「焦るに決まってるでしょ」
瑶子の声は少しかすれていた。
「さっき、あの席の人たちが何て言ってたか知ってる?」
彼女はスマホを取り出し、一本の動画を再生した。
悠真の大学時代の友人が撮ったものだった。
画面の中で、莉央は私のドレスを着て、悠真の右隣に立っている。彼の手は彼女の腰の後ろに添えられていた。
誰かが冷やかした。
「奥さん、すごくきれいですね」
莉央はうつむき、頬を赤らめた。
彼女は否定しなかった。
悠真も否定せず、ただ笑って軽く手を振っただけだった。
動画の下にはコメントがついていた。
【悠真の婚約者、清楚でかわいい】
三十件以上のいいねがつき、誰一人として訂正していなかった。
私は胸の奥にこみ上げる苦さを押し込み、動画を閉じて、スマホを瑶子に返した。
宴会場から、また新たな笑い声が湧き上がった。
莉央は誰かに促されて挨拶回りをしていた。落ち着いた様子で受け答えし、グラスを持って軽く身をかがめる。
その仕草も、私が教えたものだった。
先月、彼女は初めてきちんとした場に出るのが不安だと言い、グラスの持ち方を尋ねてきた。私は彼女に付き合って、午後いっぱい練習した。
「タクシーを呼んでくれる?瑶子」
「戻らないの?」
「もう、戻る理由がないから」
私は受付に戻り、芳名帳のそばに指輪を置いた。
テーブルの上にはうっすら埃が積もっていて、指輪を置いた瞬間、かすかな音がした。
スマホの画面が明るくなった。
悠真の投稿だった。
【今夜はお越しいただき、ありがとうございました】
写真が三枚添えられていた。
一枚は宴会場全体。
一枚は、彼が友人たちとグラスを掲げている写真。
そして最後の一枚は――
莉央が私のドレスを着て、目元をやわらげて笑っている写真だった。
彼は莉央をタグ付けしていた。
添えられていたのは、「莉央、ゲスト対応を手伝ってくれてありがとう。お疲れさま」という一文だった。
その投稿のどこにも、私はいなかった。
名前すらなかった。
私は画面を消した。
道路の向こう側まで歩いても、宴会場の明かりはまだ煌々と灯っていた。
ずいぶん離れたはずなのに、音楽と笑い声がかすかに聞こえる。
車に乗る前、私は一度だけ振り返った。
悠真はホテルの正面玄関の階段に立ち、うつむいてスマホを見ていた。
莉央が彼の後ろから歩み寄り、そっと上着を肩に掛けた。
彼は手を上げて襟元を整えた。
その動きは、あまりにも自然だった。
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