19回目の結婚式、完璧な彼を捨てて逃げる第2話
この話は約2202字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
控室に戻り、重苦しいウェディングドレスを脱ぎ捨てた。
着慣れた普段着に袖を通すと、ようやくまともに呼吸ができた気がした。
荷物をまとめていると、扉が開いて陽向と咲良が入ってきた。
陽向は私を見るなり、いつものように冷ややかな説教を始めた。
「今回は予定より5分早く退場したうえに、誓いの言葉のタイミングもずれていた。よって、本日のパフォーマンスはマイナス5点だ。
この失敗を胸に刻んで、次の式まであと5ヶ月、一人でみっちり練習しておけ。俺たちにお前のミスを尻拭いさせるな」
陽向は、式の完璧さを「点数」で評価する。
1点減点されるごとに、1ヶ月練習期間が延びるというルールだ。
5ヶ月、また5ヶ月。
18回の結婚式を繰り返す中で、私は彼を丸7年も待ち続けてきた。
7年待っても辿り着けなかった結婚に、8年目が来たところで何が変わるだろう。
私に無駄にできる7年はもうない。
これ以上、待つつもりもなかった。
私が無言でいるのを肯定と受け取ったのか、陽向は鼻で笑った。
その横で、咲良が不思議そうに首を傾げる。
「えっ、減点なんてあるの?陽向くんの採点って加点式じゃないの?
枝織ちゃんは今、何点くらいなの?」
喉がカラカラに乾いていた。
私は掠れた声で答える。
「マイナス5点よ。あなたは?」
「私?私はもう6000点を超えてるよ!」
その言葉に、私は全身が凍りついたように動けなくなった。
咲良は私が疑っているのだと思ったらしい。
得意げにスマートフォンを取り出し、SNSの画面を私に見せつけてきた。
画面を埋め尽くすのは、陽向と咲良の仲睦まじいツーショット写真。
そして、投稿の文面にはどんどん加算されていく点数が並んでいた。
【完璧にクッキーが焼けたから+10点】
【定時ピッタリに退社できたから+20点】
【俺の助手席に乗せて雨に一切濡れさせなかったから+50点】
一番上にあるのは、たった3分前に投稿されたばかりのものだった。
【枝織の結婚式の尻拭いを完璧にこなしたから+100点!】
投稿しているのは、私が見たことのない陽向の別のアカウントだった。
でも、アイコンの画像を見た瞬間、息が止まった。
それは、私が婚約の証として彼にプレゼントした、あの高級な腕時計だったのだ。
陽向が複数のアカウントを持っていて、私とは別のアカウントで咲良と繋がっていることは知っていた。
だが、それは仕事用か、あまり使わないただのサブ垢だと思っていたのだ。彼なりに私に配慮してくれているのだと、ずっと信じていた。
けれど違ったのだ。
私の連絡先リストの中で、一度も投稿をしたことがない静かな彼のアカウント。
そっちのほうが、彼にとってはどうでもいいサブ垢だったということに。
視界に飛び込んできたその残酷な点数を見つめたまま、私は俯いた。
涙がこぼれ落ちそうになるのを必死に堪える。
この7年間、彼のために血の滲むような努力をしてきた結果がマイナス5点だなんて。
私の存在そのものが、滑稽なピエロのようだ。
咲良もさすがに気まずいと思ったのか、ポカポカと陽向の腕を叩いた。
「もう、陽向くんのバカ。枝織ちゃんは一応、婚約者なんだから、マイナス点なんて可哀想だよ!」
二人は私の目の前で、点数のことで楽しげにじゃれ合い始めた。
私はその光景から目を逸らし、静かにスマホを取り出した。
そして、以前から声をかけてくれていた取引先の社長宛てにメッセージを打ち込む。
【結城社長。以前おっしゃっていた海外支社への引き抜きの件ですが、まだ有効でしょうか?】
【もちろんです!明後日の朝一でフライトを予定していますが、一緒に来ますか?】
顔を上げると、不意に陽向の冷たい視線とぶつかった。
ビクリと心臓が跳ねる。
彼は眉間に皺を寄せ、チッと舌打ちをした。
「……分かったよ。5点プラスしてやる。これなら文句はないだろう。俺が厳しすぎるとか言われたくないからな。
だが、次にまたそのボロボロのドレスを持ち込んだら、さらに2点減点だ。
何度も言ってるだろう。そんな古臭いもの、とっくに捨てるべきなんだよ」
彼の視線の先には、キャリーケースからはみ出している、私の祖母から受け継いだ大切なウェディングドレスの裾があった。
スマホを握る手にぐっと力が入り、私は迷いなく送信ボタンを押した。
【明後日、空港で】
そして、キャリーケースからそのドレスを引きずり出すと、彼が完璧な結婚式のために私に押し付けてきた趣味の悪いアクセサリーや衣装と一緒に、控室のゴミ箱へと迷いなく放り込んだ。
「……ええ、そうね。古いものは、もう捨てるべきだわ」
陽向はゴミ箱の中身を見つめ、一瞬だけ戸惑ったような表情を浮かべた。
彼が何か口を開こうとしたその時、控室の時計が次のスケジュールを知らせるアラームを鳴らした。
私は彼の言葉を遮るように言った。
「披露宴の挨拶回りの時間よ。これ以上モタモタしていると、完璧なリズムに乗り遅れるわよ」
咲良の期待に満ちた眼差しに促され、陽向は彼女を連れて踵を返した。
ドアを閉める直前、彼は少しだけ立ち止まって言った。
「自らリズムに気を配った姿勢を評価して、3点プラスしてやる。次の準備期間は1週間だ。
安心しろ。次こそは完璧な結婚式にしてやるから」
私は荷物をまとめる手を止めなかった。胸の奥には、さざ波ひとつ立っていない。
彼は知らないのだ。
1週間後には、もう花嫁の私なんていないということを。
今更ご褒美みたいに与えられた例外なんて、もういらない。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)