19回目の結婚式、完璧な彼を捨てて逃げる第3話
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賃貸アパートに帰宅した私は、すぐに航空券を手配し、必要最低限の荷物をトランクに詰め込んだ。
それから、部屋中の壁や棚に設置された36個ものタイマー時計を、ひとつひとつ無心で取り外していった。
彼が完璧な彼女の基準として私に強要した窮屈な服やアクセサリーも、すべてゴミ袋に叩き込む。
彼の狂気じみた完璧主義に付き合うためだけの、こんな拷問器具のようなもの。これからの私には、もう必要ない。
トランクのファスナーを閉め、大きく息を吐き出した。
さあ、あとは陽向に婚約破棄の電話をかけるだけだ。
そう思いスマホを手にした瞬間、見知らぬ番号から着信が入った。
「もしもし、ルミエールタワー3棟501号室の周防さんのお電話でしょうか?
ご注文いただいた二日酔い用の胃薬とスポーツドリンクをお持ちしたのですが、エントランスのコンシェルジュに止められてしまって。
ご足労ですが、下まで取りに来ていただけますか?」
私は息を呑み、得体の知れない違和感に襲われた。
ルミエールタワー。それは7年前、私たちがいずれ結婚した時のために購入した高級マンションの部屋だ。
しかし彼の異常な完璧主義のせいで、完璧な結婚式が成功するまでは、絶対に新居には足を踏み入れないというルールが作られていた。
だからこそ、私たちは今日まで手狭なアパートで暮らし、あの部屋にはお互いに絶対に近づかないと誓い合っていたはずなのに。
私が急いで車を走らせルミエールタワーに着くと、501号室のドアは半開きになっていた。
わずかな隙間から、甘ったるい女の声が漏れ聞こえてくる。
「もう、陽向くんのせいだからね!枝織ちゃんにマイナス点なんか付けるから、怒って帰っちゃったじゃん!記念写真も撮れなかったのに!」
ポカポカと叩くような音のあと、陽向の楽しそうな笑い声が響いた。
「おいおい、酔っ払いはこれだから。……分かった分かった、俺が悪かったよ。
記念撮影のフローをすっぽかしたことに関しては、あいつへの減点はなしにしてやるから」
陽向は彼女のバタバタと暴れる足を優しく受け止め、丁寧にさすり始めた。
その目には、零れ落ちそうなほどの甘い愛情が浮かんでいる。
……なんだ。
彼だって、人を優しく介抱することができるんじゃないか。
私が職場の飲み会で酔い潰れ、ふらついて彼の肩に寄りかかった時、彼は私をアパートから冷酷に閉め出した。
「酔って俺にまとわりつくな。外で酔いを覚ましてから入れ」と言い放って。
気温が氷点下を下回る極寒の夜。あの日の寒さがトラウマになって、私は二度と外でお酒を飲めなくなったのに。
それなのに彼は今、自ら定めた「絶対に新居に入らない」というルールを平気で破り、泥酔した咲良を私たちの新居に連れ込んでいる。
彼女が部屋をどれだけ散らかそうと、好き放題に暴れようと、ただ甘やかしているだけ。
私が静かにドアを押し開けると、陽向はこちらを振り返った。
一瞬だけ彼の目に動揺が走ったが、私の手にあるデリバリーの袋を見た瞬間、あからさまに苛立ったように眉をひそめた。
「完璧な彼女のルール、第三条。結婚前はお互いのプライバシーを尊重し、過干渉しないこと。
勝手に俺のデリバリーを見て、ここまで押し掛けてきたな。マイナス10点だ」
言い訳ひとつなく、ただ冷たく私を責め立てるだけ。
胸の奥から込み上げる滑稽さに、私は急激な疲労感を覚えた。
もう、周波数の合わない相手と会話をするだけ無駄だ。ただの雑音にしかならない。
「ねえ陽向、私たちもう別れ……」
私が言い終わる前に、咲良がろれつの回らない声でふらふらと私に飛びついてきた。
「だーめ!枝織ちゃんの減点なんて許さない!」
彼女は陽向を押しのけ、私の手を強く握りしめた。
「親友でしょぉ?今日、一緒に写真撮ってくれなかったの、もしかして私に怒ってる……?
わざと枝織ちゃんの結婚式、横取りしたわけじゃないんだよぉ。指輪、返してあげるから、仲直りしよ!」
彼女は自分の指から結婚指輪を抜き取ると、無理やり私の指にはめようとした。
強烈なアルコールの臭いが鼻をつき、私は思わず顔をしかめて彼女の手を振り解こうとした。
その瞬間、指先に鋭い痛みが走った。
「痛っ……!」
ドンッ!
次の瞬間、私は強い力で突き飛ばされた。
陽向が血相を変えて咲良の指を庇うように包み込み、まるで親の仇でも見るかのような目で私を睨みつけていた。
「枝織、お前、頭がおかしいんじゃないのか!?」
痛みを訴えようとした私の声は、喉の奥に張り付いて出てこなかった。
彼は血で汚れた指輪を足で遠くへ蹴り飛ばすと、咲良をソファに抱え上げ、救急箱から取り出した包帯を慌てて巻き始めた。
その血は、私の指先が切れて彼女の手に付いただけだ。拭けばすぐに落ちるというのに。
彼は咲良の指に、何重にもぐるぐると大げさに包帯を巻きつけた。
そして何かを思い出したように、咲良を横抱きに抱え上げ、玄関へと駆け出していく。
「咲良を病院に連れて行って、破伤風のワクチンを打たせる!お前はアパートに帰って、一人で反省してろ!
咲良がお前を許すまで、次の結婚式は無期限延期だ!」
吐き捨てるようにそう言うと、彼は私を残して足早に去っていった。
ドアがバタンと閉まる風圧で、私の力無い呟きは虚しくかき消された。
「……怪我をしたのは、私なのに」
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