風は過ぎて、花はまだそこに第2話
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「篠原、新聞取ってくれ」
翌朝の食卓で、風真は二度も声をかけたが、雪乃はスマホをぼんやり見つめたまま動かない。
やや苛立った風真は、彼女の目の前で手をひらひら振った。
雪乃はようやく我に返り、視線を落としながら新聞を差し出した。
「今日のお前、どこか上の空だな」
風真は不機嫌そうに眉を寄せた。さらに、テーブルのケーキに目を留め、さらに顔をしかめた。
「朝は甘いもん嫌いって知ってるだろ。なんでこれを出すんだ?」
雪乃は自分の皿に小さな一切れを取り分け、フォークを強く握るその指先は青白くなっていた。
静かに、そしてどこか滑稽に笑った。
風真はやっぱり覚えていなかった。昨日が、自分の誕生日だということを。
無理もない。綾音が戻ってきた今、偽物の自分の誕生日なんて、どうでもいいんだろう。
「……ごめん、忘れてた」
風真は特に気にする様子もなく、コーヒーを手に取る。視線はずっとスマホに向いていて、何かを待っているようだった。
雪乃は伏し目がちに、沈んだまま目をそらした。
――初恋って、すごいな。何年経っても、風真の心を支配している。
そのとき、スマホが小さく光った。
風真はすぐに手を伸ばし、画面を見た瞬間、氷のような顔が一気に柔らかくほどけた。
そんな顔、結婚して三年、一度も見たことがなかった。
雪乃は乾いた笑みを浮かべた。
――嘘も重なれば本当になる。三年の婚姻関係、始まりは恩返しだったとしてもとしても、その後は……?
でも、予想していた。こんな結末になることくらい。
深く息を吸い込んでから、雪乃は言った。
「風真、予約した時間、あと一週間。書類はもう提出したよ」
風真はスマホに夢中で、彼女の言葉など聞いていないまま返事をした。
「ああ」
雪乃の心にぽっかりと穴が開いた。
心の準備はしていたはずなのに、いざ現実になると、痛みがじわじわと広がっていく。
「私……もうすぐアメリカに行くの」
風真は相変わらずスマホに目を落としながら、片手で適当に手を振った。
「わかってる」
そしてコーヒーを置くと、そのまま急ぎ足で家を出ていった。
誰に会いに行くのかなんて、言うまでもない。
「風真、ちゃんと聞いてた?私、本当に行くんだよ。……本当に、何とも思わないの?」
ついに声をかけてしまった。
風真は振り返り、怪訝そうな顔で言った。
「何を?遊学だろ?前に言ってたじゃないか。今の話も、それだろ?」
そしてまた、足早に去っていった。
雪乃はひとり苦笑いした。
やっぱり、自分は彼の心の中にいなかった。
彼女のことなんて、彼にとってはもう忘れ去られた些細な雑音にすぎない。
遊学の話は、もう数月前のことだった。
でももう、訂正するつもりもなかった。
風真は、ようやく本物の初恋を手に入れた。
そして自分は、ついにこの場所を離れる。
辞表を片手に、雪乃は設計事務所へと足を運んだ。
「所長、辞めさせてください。留学し直すことにしました」
所長は驚きながらも目を輝かせた。
「前から言ってたじゃないか、君は伸びるって。ついにあの坊ちゃんの呪縛から解放されたってわけか?」
雲江市では誰もが知っていた、篠原雪乃がどれだけ西園寺風真を想っていたか。
雪乃は寂しげに微笑む。
窓の外、毎年同じように花が咲く。
でも、風景は同じでも、隣にいる人はもう、違う。
「……離婚しました」
所長は目を見開いたまま、しばらく黙っていたが、やがて納得したようにため息をついた。
「……そっか。恋ってのはさ、やっぱり対等じゃなきゃ。ずっと片方だけが与え続けるのは、誰だって疲れるよな。離婚してよかったんじゃないか」
雪乃は小さく笑った。
――うん。三年も頑張った。もう、十分。
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