風は過ぎて、花はまだそこに第3話
この話は約1424字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
退職した雪乃は、家に戻って荷物の整理を始めた。
そのとき初めて気づいた――自分の物が、驚くほど少ないことに。
設計事務所ではそれなりの報酬を得ていたけど、そのお金のほとんどは風真への贈り物に消えていた。
けれど風真は、どれも無表情で受け取るだけ。開封すらしなかったものも多い。
今では、それらの上には厚くホコリが積もっていた。
胸がひりついた。雪乃は深く息を吸い込み、これらのプレゼントをどう処理しようか迷っていたその時――
突然、スマホの着信音が鳴った。
表示された名前は【小林結衣(こばやし ゆい)】。
――綾音の実の妹だった。
反射的に通話ボタンを押すと、向こうからは早速、傲慢な甘え声が響いてきた。
「風真お兄ちゃん、今やっとお姉ちゃんが帰ってきたんだから、あの居座ってるババアはさっさと出てってもらわないと困るよね?あんな地味でウジウジした女、見てるだけでイライラするんだけど」
「結衣、そんなこと言っちゃダメよ。篠原さんは風真くんの正式な奥さんなんだから」
通話の向こうから、柔らかくて上品な声がした。ただの声だけでも、人を惹きつける魅力がにじみ出ていた。
誰であるかなんて、考えるまでもない。風真の初恋――小林綾音、その人だ。
「ふん、間違ったこと言ってないし。それにお姉ちゃん、外国にいる間ずっと風真お兄ちゃんの心はお姉ちゃんのものだったんだから。結婚直前もわざわざお姉ちゃんに会いに来たし、お姉ちゃんがOKしてたら、あの女の席なんてそもそもなかったのに」
結衣は大げさに息を呑むふりをした。
「あれ、うっかり篠原に電話かけちゃってたみたい?雪乃お姉ちゃん、怒ってないよね?」
……狙ってかけてきたことなんて、分かりきってる。
以前なら心えぐられるような気持ちになっていた。でも今の雪乃は違う。離婚した今となっては、彼女たちの挑発なんて何の意味も持たなかった。
スマホの画面を見つめたまま、何も言わず黙っていた。
沈黙を察した結衣は、ますます調子に乗った。
「だってさ、あんた西園寺家の金で飯食って生きてるだけじゃん?怒る資格なんてあるの?
そうだ、風真お兄ちゃん、今度お姉ちゃんと二人で出張するんだよ?荷物まとめるの、忘れないでね!」
男女ふたりきりで出張――しかもその荷物を自分が準備するなんて。
雪乃は唇を噛みしめ、それでも言葉を飲み込んだ。
「風真くん、やっぱりやめたほうが……あなたはもう結婚してるんだし……篠原さんもきっと気分よくないわ」
控えめながらも迷いのにじむ声が、綾音から聞こえてきた。
風真はすぐに優しく答えた。
「大丈夫、あいつは何でも許してくれるから」
続けて、雪乃に向けて声を張った。
「俺と綾音が一緒に出張するのは仕事のためだ。お前、まさかそんなことで騒いだりしないよな?」
雪乃は、長く黙ったあとで、何事もなかったかのように返した。
「もちろん。行ってらっしゃい」
そして通話を切った。
何年も続いた茶番劇。その舞台から降りる覚悟は、もうできていた。
視線を落とすと、埃にまみれたプレゼントたちが目に入った。
初任給で買ったぬいぐるみ。半年かけて節約して買った高級ブランドの靴。毎年の誕生日に、手書きで書き続けた手紙。
ひとつ、またひとつ。
記憶がよみがえる。まるで昨日のことのように。
でももう、何の意味もない。
彼女はシュレッダーを開き、それらを次々に投げ込んだ。
シュレッダーが動き出す音が、過去との決別を告げるように響いた。
そして、篠原雪乃の人生も、ついに新しく回り始めた。
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