離婚の先で、幸せを見つけました第2話
この話は約1510字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
「美桜、急用ができた。すぐ戻る」
司が寝室のドアの前から立ち去る気配を感じた途端、張り詰めていた力が抜けた。冷や汗にぬれた手が、ベッドの上へ力なく落ちた。
藤堂グループでは名目上の役員にすぎない司に、夜中に飛び出すほどの仕事があるとは思えなかった。
きっと、また絵麻から連絡が来たのだ。
あの人は、絵麻のことになると周りが見えなくなる。今の私を気にかける余裕など、もう残っていないのだろう。
澄江は私を抱きしめ、声を震わせた。
「お嬢様、もう十分です。一ノ瀬家へ戻りましょう」
私はどうにか笑ってみせた。
「そうね。帰りましょう」
忘れかけていた。私はかつて、財界でも知られた一ノ瀬グループの令嬢だった。
司の妻でなくなったからといって、私の人生まで終わるわけではない。
むしろ、この家を出たほうが、きっと穏やかに暮らせる。
……
ミルクのことだけなら、まだ司を信じようとしたかもしれない。
6年間、私を大切にしてきた姿まで、すべて絵麻のための演技だったとは思いたくなかった。
けれど数日前、彼の書斎で偶然見つけたジュエリーケースを見て、もう信じ続けることはできなくなった。そのケースは、司が長年金庫にしまっていたものだった。
蓋の内側には「プロポーズ用」と記されている。もちろん、私のためではない。
中には、アイリスをかたどった特注のダイヤモンドネックレスが収められていた。留め具の内側に刻まれていたのは、絵麻のイニシャル「E.I.」だった。
思い返すと、さらに気持ちが冷めていった。
「もう離婚するしかない」
そう決めると、私の中の迷いは消えていた。
私は痛む身体を起こし、用意しておいた離婚協議書に署名した。
すると、これまで腑に落ちなかった出来事が、ひとつずつつながり始めた。
私と司が結婚式を挙げた日は、神崎グループの後継者、神崎晃(かんざき あきら)が絵麻と結婚した日でもあった。
私のベールを上げた司の目は赤かった。
「美桜、やっと君を妻に迎えた」
私は喜びの涙だと思っていた。けれど本当は、絵麻を別の男へ渡す苦しさを隠していたのだ。
昨年、晃のプール付きの別荘で開かれた、彼の誕生日パーティーでのこともそうだった。突然飛び出した猫に驚き、私と絵麻は同時にプールへ落ちた。
司は私が水を怖がると知っていた。それでも、迷わず絵麻のもとへ飛び込み、真っ先に彼女を抱き上げた。
あとで私の手を握り、こう説明した。
「絵麻は神崎の妻だ。助けておけば、神崎家にも恩を売れる。藤堂家のためだよ」
けれど、絵麻を見つめる彼の目には、隠しきれない思いがにじんでいた。
プールに落ちたときに水を飲んでしまい、私は肺炎を起こした。その後も、退院してから半年近く体調が戻らなかった。
今ならわかる。司の気持ちがずっと絵麻に向いていたと気づく手がかりは、あの頃からいくつもあった。見ようとしなかったのは、私だ。
それでも、今からならまだ間に合う。
来月は、いつも私を気にかけてくれた司の祖母、藤堂志津子(とうどう しづこ)の誕生日だった。せめてその日を祝ってから、藤堂家を出ようと思っていた。
深夜、司は酒の匂いをさせて帰宅した。
寝室へ入ってきた司は、私が自分名義の預金や不動産を整理しているのを見ると、こめかみを押さえながら怪訝そうに聞いた。
「美桜、急にそんなものを見て、どうしたんだ?」
顔を上げると、彼のシャツの襟に口紅が付いていた。
「別に。眠れないから、整理していただけ」
司はほっとしたように息をつき、いつものように私を抱き寄せようとした。
「最近は仕事が立て込んで、なかなか一緒にいられなかった。怒ってる?」
その目は優しかった。
ほんの一瞬だけ、やはり私を愛しているのではないかと思いそうになった。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)