降る雪を、君と並んで浴びたなら第2話
この話は約2095字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。
自分に似ているのに、自分よりずっと若い顔。それなら一聖が特別扱いするのも、無理はないのかもしれない……
しばらく呆然としていた藍里の頬を、気づけばとめどなく涙が伝い落ちていた。痛みを必死に押さえ込み、震える手でスマホの画面を消す。
暗闇の中、いくら目を閉じても眠りは訪れなかった。
結局、夜が明けるまで一睡もできなかった。
翌朝、一聖が目を覚ましたとき、藍里はまだ背を向けたまま横たわっていた。
彼は少し意外そうにした。ここ数年、藍里は誰よりも早起きだったのだから、無理もない。
それでも一聖は何も言わず、身支度を済ませてそのまま家を出ていった。
玄関のドアが閉まるのを確認してから、藍里はそっと目を開けた。まぶたは泣きはらして真っ赤に腫れていた。
それから数日間、一聖は相変わらず深夜にならないと帰らなかった。以前の藍里なら、一聖を疑うことなど決してなかった。
滝沢グループという重荷を一人で背負い、会社が一番苦しい時期をふたりで乗り越えてきたし、彼が仕事にどれほど心血を注いでいるかも、誰よりも知っていたからだ。
でも今は、どうしても考えてしまう。本当に残業しているのか、それとも夏奈子と一緒にいるのか、と。
週末、藍里と一聖は滝沢の本家へと足を運んだ。
食卓で、義母の滝沢瑛子(たきざわ えいこ)は藍里の細すぎる体に目を留め、不満をあからさまに顔に浮かべた。
「もう結婚して五年でしょう。いつになったら子どもを産むつもりなの?」
藍里の顔からさっと血の気が引いた。子どものことは、一聖との間でずっと触れてはいけないタブーだった。
三年前、父が亡くなり滝沢グループが最も揺れていたあの頃、一聖は昼夜を問わず仕事に駆け回り、藍里もその傍らで休む間もなく彼を支え続けた。
そして体調を著しく崩した末に、お腹の子を失ったのだ。
病院で、一聖は藍里の手を固く握りしめ、初めて涙を流しながら言ってくれた。「藍里、また必ずふたりで子どもを迎えよう」と。
けれどあの日以来、藍里の体には後遺症が残り、何年養生しても妊娠には至らなかった。
瑛子はそんな事情を知らない。以前は催促されるたびに、一聖が必ず藍里の前に出て庇ってくれていた。でも今日、彼は何も言わなかった。
胸が締め付けられながらも、藍里は絞り出すように答えた。「頑張ります……」
瑛子はとうにその言葉に聞き飽きていた。もともと平凡な家柄の藍里を気に入っていなかったし、取るに足らない両親のことも見下していたのだ。
一聖が親の反対を押し切り、本家の仏間で三日三晩、勘当も覚悟で頭を下げ続け、「どうしても妻に迎える」と譲らなかったからこそ、滝沢家のような名家に嫁ぐことが許された娘だった。
「もういい、聞きたくないわ!」
食事が終わると、瑛子は大きな袋を突き出してきた。「妊活のお薬よ。ちゃんと飲みなさい」
藍里が困った顔を見せると、一聖はちらりと一瞥しただけで、淡々と言った。「母さんが持って帰れって言ってるんだから、もらっておけよ」
それでようやく瑛子は満足し、最後にきつく言い添えた。「ともかく、三ヶ月以内に、必ず身ごもりなさい!」
家に戻ったのは、昼近くだった。
藍里は水を用意し、薬の袋をしばらく眺めた後、意を決して薬箱を取り出した。
そのとき、寝室から出てきた一聖が、薬を飲もうとしている藍里の姿に気づいた。
「相変わらず従順だな」
一聖は、何気ない口調で言い放った。
その無関心な響きに、藍里の手が止まった。目に涙を滲ませながら顔を上げ、問いかけた。
「一聖……あなたは、まだ私との子どもが欲しいの?」
一聖は一瞬、目を見開いたものの、何も答えなかった。表情が微妙に翳り、そのまま一言も発せずに家を出ていった。
しばらくして、コップの水がすっかりぬるくなった頃、藍里はようやく薬を飲み込んだ。しかし、一週間飲み続けても、体に変化はなかった。
気づけば季節は移ろい、街には冬が訪れていた。滝沢グループが毎年主催する年末のチャリティーパーティーも、間近に迫っている。
そのパーティーでは例年、ダンスタイムが設けられており、藍里はいつも一聖のパートナーとして参加してきた。今年も当然そうなるものだと思っていた。
その日のために、深いブルーのベルベットドレスも前もって用意していた。そのドレスを眺めながら、記憶があの日へと飛んでいった。
——五年前、卒業を祝う謝恩会の夜。
藍里は同じ色のドレスをまとい、一聖にエスコートされて会場に立っていた。
大勢の視線が見守る中、一聖は片膝をつき、彼女にプロポーズしてくれたのだ。「藍里、これからの長い人生、君だけが俺の唯一のパートナーだ。俺と結婚してくれないか」
卒業と同時に、二人は結婚した。
若かりしあの頃、二人の愛情はこぼれ落ちそうなほどに満ちていた。だから、今の藍里にはどうしても信じられなかった。あの愛が消え去ってしまうなんて、信じたくなかった。
なのにチャリティーパーティー当日、藍里は朝から晩まで一人で待ち続けた。
一聖が迎えに来ることは、なかった。
精一杯美しく装ったドレスを着たまま、誰も来ない玄関をじっと見つめて、心が少しずつ凍りついていった。
そのとき、スマホが震えた。
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)