降る雪を、君と並んで浴びたなら第1話
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結婚して五年。
歳月が滝沢藍里(たきざわ あいり)に教えたのは、ただ一つの真実だった——
どれほど深く愛し合った二人でも、いつかは別々の道を歩むことがあるのだ。
結婚一年目、滝沢一聖(たきざわ いっせい)はどこへ行くにも藍里を伴い、まるで「彼女は俺のものだ」と世界中に見せびらかしたいかのようだった。
結婚二年目、一聖は滝沢グループの後継者となり、藍里もその傍らで、怒涛の日々を共に駆け抜けた。
やがて疲弊が限界を超え、お腹の子を失ってしまった。一聖の涙を見たのは、あの時が初めてだった。真っ赤な目で藍里をそっと抱き寄せ、生涯、決して彼女を悲しませないと誓ってくれた。
結婚三年目、仕事が急激に忙しくなり、一聖が帰らない夜が続くようになった。顔を合わせる時間も、少しずつ減っていった。
結婚四年目、一聖の体から微かに見知らぬ香水の香りが漂うようになり、二人で向かい合っても、言葉はなく、ただ沈黙だけが降り積もるようになった。
そして結婚五年目——一聖はとうとう、結婚記念日を忘れていた。
* * *
結婚して五年。
歳月が滝沢藍里(たきざわ あいり)に教えたのは、ただ一つの真実だった——
どれほど深く愛し合った二人でも、いつかは別々の道を歩むことがあるのだ。
結婚一年目、滝沢一聖(たきざわ いっせい)はどこへ行くにも藍里を伴い、まるで「彼女は俺のものだ」と世界中に見せびらかしたいかのようだった。
結婚二年目、一聖は滝沢グループの後継者となり、藍里もその傍らで、怒涛の日々を共に駆け抜けた。
やがて疲弊が限界を超え、お腹の子を失ってしまった。一聖の涙を見たのは、あの時が初めてだった。真っ赤な目で藍里をそっと抱き寄せ、生涯、決して彼女を悲しませないと誓ってくれた。
結婚三年目、仕事が急激に忙しくなり、一聖が帰らない夜が続くようになった。顔を合わせる時間も、少しずつ減っていった。
結婚四年目、一聖の体から微かに見知らぬ香水の香りが漂うようになり、二人で向かい合っても、言葉はなく、ただ沈黙だけが降り積もるようになった。
そして結婚五年目——一聖はとうとう、結婚記念日を忘れていた。
……
藍里は一人リビングに座り、ケーキと手料理が並ぶテーブルを前にして、ただ待ち続けた。夜の十時を過ぎても、一聖は帰ってこなかった。
深夜の十二時を回ったころ、ようやく玄関の扉が開いた。仕立てのいい黒いスーツを身にまとった一聖だった。夜の冷気をまとったままリビングに足を踏み入れ、ロウソクの灯るケーキを目にして、彼は明らかに息を呑んだ。
藍里は顔を上げた。
——分かっていた。一聖がこの日を完全に失念していたことを。
「今日で、結婚五周年よ。一緒にケーキを食べましょう」
胸に込み上げる苦しさをすべて飲み込んで、藍里はできるかぎり穏やかに言った。
一聖は拒むことなく、無言で歩み寄り、まるで課せられた義務を果たすかのように、隣に腰を下ろした。
藍里は丁寧にラッピングされた箱を差し出した。「プレゼントよ。気に入ってくれるといいんだけど」
一聖はそれを受け取り、包みを開けた。中に入っているのは、繊細なデザインのカフリンクスだった。一聖は一瞥しただけで、「ありがとう」と短い言葉を返した。
沈黙が、数秒間を満たした。
藍里は心の中で苦く笑う。記念日さえ忘れていた一聖に、昔みたいなサプライズを期待するなんて、我ながらどうかしている。
案の定、一聖は淡々とした口調で口を開いた。「最近ずっと忙しくてさ。プレゼントは次の機会にする。ロウソク、吹いて」
藍里は静かにうなずき、目を閉じた。瞼の裏に、心の奥の寂しさをそっと押し隠すように。
何か話題を探そうとしたその瞬間、一聖のスマホが立て続けに震えた。誰かからメッセージが届いたのだ。
画面を見た一聖の表情が、ふと変わった。迷いのない動作で立ち上がり、「会社で急ぎの用件ができた。先に行く」と言い残した。
ケーキを切ろうとしていた藍里の手が、空中で止まった。
急ぎ足で遠ざかっていくその背中を見つめながら、胸の奥がじくじくと痛んだ。
しばらく呆然としたあと、藍里の瞳にじわりと涙が滲んだ。
かつて、十九歳だった一聖は、嵐の中を街の半分を横断してまで藍里に会いに来てくれた。
今、二十七歳になった一聖は、すぐ隣にいながら、ケーキひとつ一緒に食べる時間すら持てなくなっていた。
広くて静かなリビングに、藍里だけが取り残された。無意識にスプーンを持ち、ケーキをひとくちすくって口に運ぶ。
甘さが口いっぱいに広がるのに、心の苦さだけは少しも溶けてくれなかった。
三年の交際期間と、五年の結婚生活。合わせて八年という歳月を、ふたりは愛し合ってきた。なのにいつからか、この関係は静かに色あせていたのだ。
あまりにも悲しい現実だったけれど、どうすることもできなかった。
深夜一時。藍里は目を閉じてベッドに横たわっていた。頭の中だけがひどく冴えわたったまま、眠れずにいた。
やがて、鍵を開ける音が聞こえた。一聖が帰ってきたのだ。
目を開けないまま、藍里はただ眠ったふりをした。
一聖の動作は静かだった。けれど目を閉じていても——見知らぬ香りが、ふと鼻先をかすめた。
胸の奥がきゅっと締め付けられる。脳裏に、残酷な想像がいくつも浮かんでは消えた。
一聖はシャワーを済ませると、静かにベッドへ入り、電気を消した。二十分ほどして、隣から穏やかな寝息が聞こえてきた。
眠ってしまったのだ。
でも、あの見知らぬ香水の残り香は、もう藍里の頭の中から離れなかった。
藍里はそっと目を開け、枕元のスマホに視線を落とした。深く息を吸い、ゆっくりと吐いてから、そっと手を伸ばす。
一聖のスマホのロック解除パスワードは変わっていなかった。かつて教えてもらったままだった。
何もかも、あの頃と同じ。ただひとつだけ――トーク画面の最上段にピン留めされた、見知らぬアイコンが増えていた。
あの頃、一聖のピン留めには藍里しかいなかったのに。
パンドラの箱を開ける鍵を見つけてしまったような感覚。開けてはいけないと、直感が静かに囁いていた。
この先に何があるのか、それが自分を奈落の底へと突き落とすであろうことは、痛いほどわかっていた。
それでも、藍里は画面をタップした。
その女性の名前は梅田夏奈子(うめだ かなこ)、滝沢グループの社員だった。
二人の最後のやりとりは、数時間前で止まっていた。
夏奈子から届いたメッセージ。
【停電しちゃって。怖くて……】
そのタイムスタンプを目にした瞬間、藍里の胸が震えた。
それはちょうど、藍里がケーキを切ろうとしていた、あの時間だった。
先ほど、一聖が何度もぼんやりしていたことを思い出す。あの十数秒間、一聖の心の中にいたのは、誰だったのだろう。
一緒に記念日を過ごしていた藍里だったのか。
それとも、停電を怖がっていた夏奈子だったのか。
答えはもう、出ていた。
一聖はあんなにも急いで、去っていったのだから。
藍里の胸が、鋭い痛みに引き裂かれた。震える指で、夏奈子のSNSを開いた。
そこには一聖の痕跡が、あちこちに刻み込まれていた。
【残業中にこっそり撮った一枚。ボスの横顔、かっこよすぎ!】
【深夜便で出張!ファーストクラスにアップグレードしてもらってハッピー♡】
【遅くまで残ってたら、助手席に乗せて送ってもらっちゃった〜】
……
帰らなかった夜の数々。あの深夜の時間を、一聖はずっとこの夏奈子と過ごしていたのだ。
暗闇の中、冷たいものが頬を伝い落ちた。藍里は夏奈子の自撮り写真をタップした。
一瞬、息が止まった。
その顔は、若い頃の藍里に、酷似していた。
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