遠ざかる星、届かぬ風第2話
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部屋の中は、凍りつくような重苦しい泣き声で満ちている。
風馬は冷たい床に膝をついている唯のために、そっと自分の指を彼女の膝の下に差し入れた。床と肌が擦れる微かな音が、今の私には何よりも耳障りに響いた。
私は無理に口元を上げ、乾いた笑みを浮かべながら、唯の手を取って立たせた。
「いいのよ。二人のことは責めたりしないわ」
唯は信じられないという様子で顔を上げ、その瞳には喜びと拭いきれない戸惑いが入り混じっている。
「本……本当なの?」
「本当よ」
「じゃあ、予定通り結婚式を挙げてくれる?約束するわ。星奈が幸せになれるなら、私、誰にも見つからない場所へ行く。二人の前から完全に消えるから」
唯はわらにもすがる思いで必死に言い募り、私の背中を押して風馬の腕の中へ戻そうとした。
けれど、かつては私が少し眉をひそめただけで、一晩中眠れないほど心配してくれた風馬は、呆然と彼女を見つめている。
プロポーズのときのように、私を強く抱きしめて、必ず幸せにすると誓うこともなかった。
ただ、力なく私の腕に手を添え、寂しげに視線を落とした。
「そうだ、星奈。俺が最も愛してるのはお前だ。十年間の絆に免じて、もう一度だけチャンスをくれないか?」
キスの跡が残る唯の背中が強張り、その顔に一瞬、暗い影が差した。
二人の間に流れる葛藤を見て、私は心の奥底で深いため息をついた。
大切な人たちに裏切られたのだ。これくらいのささやかな報いを与えても、罰は当たらないだろう。
だから私は、何でもないような明るい笑顔を作り、わざと茶化すように声を張り上げた。
「もう、言ったじゃない。怒ってないって。
二人とも素敵だし、付き合いも長いんだから、たまに理性を失うことくらいあるわよ。
さっきのはちょっと驚かせてみただけ。これから先、二度と同じ過ちを犯さないようにね!」
私は軽口を叩きながら、自分から背を向けた。
机の上の指輪を手に取り、再び薬指にはめた。
ダイヤモンドが誇らしげに輝きを放ったその瞬間、涙が頬を伝って音もなく零れ落ちた。
この婚約指輪も、風馬と唯が一緒に選んでくれたものだ。
予算は20万円だったのに、二人が「星奈にはもっと良いものを」と競い合ったせいで、結局100万円にまで跳ね上がった。
「お金なんて関係ないわ!私の親友には最高に美しい指輪がふさわしいのよ!」
「金の問題じゃない!俺は妻に一番良いものを贈りたいんだ!」
あの頃の私は、二人の賑やかなやり取りを聞きながら、頬杖をついて幸せそうに微笑んでいるだけだった。
あの負けず嫌いな言い合いが、いつの間にか別の感情に変わっていたなんて、思いもしなかった。
捨てた指輪は拾い上げることができても、人の心は、もう二度と元には戻らない。
……
帰りの飛行機では、私は以前と同じように二人の間に座った。
けれど、彼らが競うように私の肩に寄りかかってくることはもうない。
二人は沈黙したまま窓の外や通路を見つめ、時折私の言葉に返事をする際も、決して互いの目を合わせようとはしなかった。
空港に着いた後、風馬が家まで送ってくれることになった。
車内でも、私たちは示し合わせたかのようにあの出来事には触れず、三日後の結婚式の打ち合わせを続けた。
けれど、彼の返事はわずかに遅れ、思考がどこか遠くを彷徨っているのが手に取るように分かった。
私は気づかないふりをして書類をめくり続けている。そのとき、唯専用に設定された着信音が、静寂を切り裂くように鳴り響いた。
「もしもし?高辻星奈(たかつじ ほしな)さんのお電話でしょうか?こちらで倒れている方がいまして、緊急連絡先があなたになっていたので……」
言葉が終わる前に、受話器の向こうから唯の弱々しく、それでいて無理に虚勢を張るような声が聞こえてきた。
「星奈……私、大丈夫だから……早くおうちに帰って……
明日……明日は一緒にウェディングドレスを選びに行こうね。星奈は、世界で一番美しい花嫁になるんだから……」
電話が切れた。
ツーツーという無機質な音が、車内の隅々にまで重くのしかかっている。
風馬は体を硬直させ、その会話に耳を傾けていた。一言も発さなかったが、膝の上に置かれた指は焦燥を隠しきれず、カタカタと震え続けている。
崩れ去った心の片隅で、終わりのない塵が静かに降り積もっていくような感覚。
私は胸を締めつける窒息しそうな痛みを堪え、精一杯の笑顔を作って、下手な嘘をついた。
「風馬、悪いけどここで降りて。急に思い出したんだけど、同僚から今夜の飲み会に誘われちゃって」
風馬の暗い瞳が一瞬だけ輝いた。けれど、彼はなおも探るように問いかけてきた。
「送っていこうか」
「いいってば。子供じゃないんだから。あなたは帰ってゆっくり休んで。明日、元気いっぱいでウェディングドレス選びに付き合ってくれないと困るでしょ?」
私はそう言うと、運転手に車を止めさせ、風馬の側のドアを開けて、急かすように彼を外へ押し出した。
風馬は眉をひそめて立ち尽くし、一瞬だけためらう素振りを見せたが、結局、唯に会いたいという欲望がわずかな不安に打ち勝った。
「じゃあ、夜は早く帰るんだ。お酒は控えめにして、夜道にも気をつけて。終わったらすぐに連絡しろ。迎えに行くから」
「分かってるって」
私はあけすけに手を振り、迷うことなくドアを閉めた。
バックミラーに映る風馬の姿は、次第に小さくなっていった。最初は早歩きだった彼は、やがて我慢できなくなったかのように、激しく走り出した。
その姿が見えなくなった瞬間、私は張り詰めていた虚勢をかなぐり捨て、声を上げて泣き崩れた。
風馬が走っていった方向は、私たちの家とは真逆だ。
幸せへと続くはずだった道は、裏切りによって、あまりにも無惨に断ち切られてしまった。
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