赤ん坊の心が読める猫に転生した件第3話
この話は約1682字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
陽介の顔色が、一瞬で変わった。目の奥を冷たい殺気がよぎる。
「森川さん!何をぼさっとしてる!そのゴミを今すぐ処分しろ!邪魔なんだよ!」
「は、はいっ!」
敦子は肩を震わせながらワゴンのハンドルを掴み、逃げるように部屋を出ようとする。
「待ちなさい!」
美月が勢いよく布団を跳ねのけた。出産直後の身体からは、まだ血が滲んでいる。それでも構わず、一歩踏み出した。
「待ってって言ってるでしょう!」
その一喝に、敦子はびくりと肩を震わせる。ワゴンは部屋の入口で止まった。
「美月!」陽介は慌てて駆け寄り、彼女の肩を強く抱き寄せる。
「何をしてるんだ!君は出産したばかりなんだぞ!無理をしたら体に障る!」
そう言いながら美月を押さえ込み、横目で警備員へ合図を送る。
「茶々丸は攻撃的になっている、早く捕獲ネットを持ってこい!確保したらすぐ動物病院へ連れて、鎮静剤を打ってもらうんだ!」
2人の警備員が廊下から大きな捕獲ネットを持って駆け込んできた。左右からじりじりと距離を詰めてくる。
私は身を低くし、牙を剥いた。
(これ以上近づいたら、顔中、傷だらけにしてやる!)
バサッ!!
特製のナイロンネットが一気に私へ覆いかぶさる。
網が身体に絡みつき、首元で一気に締め上げられた。ロープが毛をかき分け、皮膚へ食い込む。
その時、私は網の隙間から見てしまった。
敦子が美月に背を向けたまま、黒いビニール袋へ素早く手を突っ込む。
そして――柔らかな何かを抱え上げると、ワゴンの一番下にある隠し収納へ滑り込ませた。
美月は陽介を突き飛ばし、よろめきながら黒いビニール袋へ駆け寄った。
震える手で袋を大きく裂く。
だが、中にあるのは血の付いたガーゼや包帯だけ。
赤ちゃんの姿など、どこにもない。
美月は呆然と立ち尽くす。
その横で、陽介は誰にも気づかれないよう小さく息を吐いた。張り詰めていた表情は一瞬だけ緩み、すぐに痛ましげな顔へ戻る。
彼は優しく美月の肩を抱いた。
「ほら、美月。中に入っているのは医療廃棄物だけだ。君は出産で疲れ切っているんだ。ホルモンバランスも乱れているし……少し混乱してしまったかもしれない」
美月は床に散らばる血まみれのガーゼを見つめたまま、焦点の定まらない瞳を揺らした。
……本当に自分の勘違いだったのだろうか。
その時、看護師に抱かれた赤ん坊が、嬉しそうに笑った。
(あははっ!ほんっとチョロい!あの子がワゴンの中で死んでしまえば、この家のお嬢様は私になるんだ!)
その言葉に、私は強い怒りに駆られた。
(美月!諦めちゃ駄目!赤ちゃんはそのワゴンの下!早く見つけ出してあげないと、死んでしまうよ!)
私は必死に網の中でもがく。身体中をぶつけ、皮膚が切れて血が流れても構わない。
けれど私の叫びは、美月には届かない。
陽介は暴れ続ける私を冷たく一瞥し、静かに言い放つ。
「美月、茶々丸は完全に錯乱しているんだ、すぐ動物病院へ搬送した方がいい」
そして今度は看護師へ向き直る。
「すみません、妻に鎮静剤を。少し眠れば落ち着くでしょう」
看護師は震える手で注射器を受け取り、美月へ近づく。
美月は抵抗しなかった。魂が抜けたように、その場へ立ち尽くしている。
針先が腕へ触れようとした――その瞬間。
「……陽介。お前は何をしてるんだ?」
部屋の入り口には、一人の男が立っていた。長身で、全身から張りつめた威圧感を放っている。
彼は米沢家の長男、そして米沢グループを率いる若き総帥――米沢靖彦(よねざわ やすひこ)だ。
靖彦は病室をひと目見渡す。その視線が、血だらけのまま捕獲ネットに閉じ込められた私に止まった。
眉間に深い皺が刻まれる。
大股で歩み寄ると、警備員が持っていた捕獲ネットをひっくり返した。
「誰の許可を得て茶々丸に手を出した?」
陽介の顔から血の気が引く。
「お、お義兄さん……違うんです!茶々丸が急に暴れ出して――」
「黙れ」
靖彦は陽介を一瞥すらしなかった。そのまま美月の前まで歩み寄り、自分のジャケットを脱いでそっと彼女の肩へ掛ける。
そして私を見つめると、静かに、しかしはっきりと言った。
「茶々丸が理由もなく暴れることはない。俺は、茶々丸を信じる」
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