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豪雨の結婚式の日、私は家族を捨てた第2話

この話は約2114字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

誰かに指を踏まれた瞬間、痛みで意識が遠のきそうになった。

停電した披露宴会場は、あっという間に混乱に包まれた。

装飾が床に落ち、砕けた破片が私のふくらはぎに刺さっている。

スマホは、まだ耳に当たったままだった。

電話の向こうで、母がようやく私の荒い息に気づいた。

それでも母が最初に口にしたのはやっぱりこれだった。

「美幸、望はそばにいるの?浩二さんに電話を代わって」

私は水たまりに倒れたまま、人に踏まれた指を動かすこともできなかった。

「お母さん、私、転んだの」

電話の向こうが、一瞬静まった。

そして母は、声を落として尋ねた。

「どこをケガしたの?」

喉の奥が熱くなった。

27年間生きてきて、母がこんなふうに私を気遣ったことなんて、ほとんどなかった。

けれど、私が答えるより先に、電話の向こうから望のアシスタントの泣き声が聞こえた。

「すみません。望さんがまだ戻ってきません。休憩はもう終わっているのに、電話にも出なくて……何かあったんじゃないかって、みんな心配しています」

その瞬間、母の迷いは跡形もなく消えた。

「転んだくらいで大げさにしないの。自分で立ちなさい。今は望の無事を確認することが先よ。あの子は喘息持ちなんだから、発作でも起こしたら大変なの」

私は歯を食いしばって、体を起こした。

けれど足に力が入らず、また割れたガラスの上に膝をついた。

鋭い痛みが骨の奥まで突き刺さった。

周りで誰かが叫んだ。

「新婦さんが、まだ中にいるぞ!」

そのとき、入口のほうから浩二の声が聞こえた。

「美幸!動くな、今すぐ――」

彼が言い終える前に、望が涙声で咳き込みながら叫ぶ。

「浩二さん、息が……苦しい……」

浩二の足音が止まった。ほんの1秒だけ。

次の瞬間には、望を抱き上げ、張りつめた声で言った。

「先に車へ連れていく」

私は小さく笑った。電話の向こうで、母が苛立ったように言う。

「何がおかしいの?」

「別に」

「美幸、こんなときに意地を張らないで。望はあなたのせいで初ライフコマースを中断することになったのよ。私も戻って対応しなきゃならないんだから」

私は、人に踏まれて紫色に変わった自分の指を見つめた。

「だから?」

「だから、今すぐ会場に戻って、佐伯家の皆さんに事情を説明するの。大雨の影響で会場設備にトラブルが起きただけで、婚約を破棄したわけじゃないって」

母はそこで一度言葉を切り、付け加えた。

「望を巻き込むようなことだけはしないで」

その一言が、針のように耳を貫き、胸の奥へ突き刺さった。

痛みはまだ続いている。

それなのに、私はもう何も言えなかった。

このままここで動けなくなっても、それでもいいのかもしれない。

そう思った、そのときだった。人の波を押し分けるように誰かが入ってきた。

黒いレインコートを着た男性が、まっすぐ私のもとへ駆け寄ってきた。

しばらく見つめて、ようやく長瀬仁(ながせ ひとし)だとわかった。

海洋気候共同プロジェクトの最年少の責任者で、3か月前の審査会で、ただ1人、私をかばって机をたたいてくれた人だった。

彼は私の脚から流れる血を見た瞬間、表情を変えた。

「美幸、立てるか?」

私は首を横に振った。

彼は何も聞かなかった。黙ってレインコートを脱いで私を包むと、そのまま抱き上げた。

私のそばから聞こえた男性の声に気づき、電話の向こうの母は、とたんに警戒したような声を上げる。

「美幸、誰と一緒にいるの?」

仁は私を抱えたまま、出口へ向かう。

私はスマホを耳から離した。

それでも母の鋭い声は、はっきりと聞こえてきた。

「美幸、今日のあなたの立場を忘れないで。結婚式の最中に見知らぬ男性と一緒に出ていったら、望がどんな目で見られると思ってるの!」

私は薄暗い廊下の先にある出口を見つめた。

豪雨の中で、そこだけが唯一、光の差す場所のようだった。

私は静かに口を開く。

「お母さん。さっき私が中に閉じ込められていたとき、お母さんは望のことを3回も聞いたよね。でも、私には一度も『痛くない?』って聞いてくれなかった」

電話の向こうが静まり返る。

けれど母が返したのは、低く抑えた声だった。

「今になって私を責めるつもり?」

仁の腕に、少し力がこもった。

私は目を閉じた。

「違う。知らせているだけ。この結婚は、もうやめる」

そう言って、私は電話を切った。

ホテルの前では、救急車と消防車の赤い灯が雨の中で交錯していた。

望は浩二のジャケットを肩に掛けてもらい、彼の腕の中で泣いている。

一方の私は、全身ずぶぬれで、脚は血に染まり、この結婚式でいちばん惨めな姿をさらしていた。

そのとき、浩二が私に気づいた。

彼の視線は、仁が私を抱く腕へと向かい、顔色が変わる。

「そいつは誰なんだ?美幸、今すぐそいつから離れろ」

仁は相手にしなかった。

浩二は駆け寄ると、車のドアを押さえ、張りつめた声で言った。

「美幸、こんなことで意地を張るな。今そいつと行ったら、今日のことは本当に取り返しがつかなくなるぞ」

私は仁の腕にもたれたまま、痛みで息をするのもつらかった。

救急車のドアが、ゆっくり閉まる。

激しい雨音も、誰かの叫び声も、血の気を失った浩二の顔も、すべてドアの向こうへ閉ざされた。

私は車窓にもたれ、もう耐えきれずに、涙を静かにこぼした。

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