豪雨の結婚式の日、私は家族を捨てた第1話
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母は、異例の若さで気象予報部門の幹部になった、国内でも名の知れた気象の専門家だった。
72時間先の台風の進路すら正確に予測し、豪雨の警戒情報を町名単位で出せるほどだ。
それなのに、私の27年の人生で、母が私のつらさをちゃんと見てくれたことは一度もなかった。
婚約パーティーの夜でさえ、母は3時間も遅れてきた。理由は、妹のライブ配信画面で顔がむくんで見えるからと、照明の調整に付き合っていたのだ。
母はいつも私に言っていた。
「美幸はお姉さんなんだから、もっとお姉さんらしく振る舞いなさい」
そして、私の結婚式の日。外は記録的な豪雨だった。
私は雨を吸って重くなったウエディングドレスを握りしめ、母に7回目の電話をかけた。
「お母さん、雨風がいちばん弱まる時間を見てもらえない?結婚式を2時間遅らせることになってもいいから」
電話の向こうでは、キーボードを打つ音が止まらなかった。母の声は淡々としていた。
「わがままを言わないで。天気予報チームは、あなた1人の都合で動かせるものじゃない。みんな忙しいの。あなたの結婚式だけに構っていられないでしょう」
けれど、その30分後。母は妹が初めて商品を販売するライブ配信のために、天気予報チームのスタッフ全員を呼び戻していた。
足首まで水につかったホテルの入口で、私の婚約者の佐伯浩二(さえき こうじ)が傘を差し、妹の桐谷望(きりたに のぞみ)をかばうようにして車から降ろすところを、私は見てしまった。
* * *
母は、異例の若さで気象予報部門の幹部になった、国内でも名の知れた気象の専門家だった。
72時間先の台風の進路すら正確に予測し、豪雨の警戒情報を町名単位で出せるほどだ。
それなのに、私の27年の人生で、母が私のつらさをちゃんと見てくれたことは一度もなかった。
婚約パーティーの夜でさえ、母は3時間も遅れてきた。理由は、妹のライブ配信画面で顔がむくんで見えるからと、照明の調整に付き合っていたのだ。
母はいつも私に言っていた。
「美幸はお姉さんなんだから、もっとお姉さんらしく振る舞いなさい」
そして、私の結婚式の日。外は記録的な豪雨だった。
私は雨を吸って重くなったウエディングドレスを握りしめ、母に7回目の電話をかけた。
「お母さん、雨風がいちばん弱まる時間を見てもらえない?結婚式を2時間遅らせることになってもいいから」
電話の向こうでは、キーボードを打つ音が止まらなかった。母の声は淡々としていた。
「わがままを言わないで。天気予報チームは、あなた1人の都合で動かせるものじゃない。みんな忙しいの。あなたの結婚式だけに構っていられないでしょう」
けれど、その30分後。母は妹が初めて商品を販売するライブ配信のために、天気予報チームのスタッフ全員を呼び戻していた。
足首まで水につかったホテルの入口で、私の婚約者の佐伯浩二(さえき こうじ)が傘を差し、妹の桐谷望(きりたに のぞみ)をかばうようにして車から降ろすところを、私は見てしまった。
望は目を赤くして言った。
「お姉ちゃん、ごめんね。結婚式の日なのに、浩二さんに迎えに来てもらって……お母さんが、雨でびしょ濡れになったら、私の初めてのライブコマースが台なしになるって言うから……」
浩二はうつむき、望のまつげについた雨粒を拭った。それから私を振り返り、笑った。
「美幸はいつも分かってくれるよね。今日も少しだけ我慢してくれ」
その瞬間、雷鳴が轟いた。
私はふいに、もう結婚したくないと思った。
天気予報で誰の目にも留まらない雲のように、いつまでも見過ごされる生き方も、もうやめようと思った。
……
控室のドアが強風で開いたとき、ヘアメイクの人は床にしゃがみ込み、私のドレスの裾から水を絞っていた。
彼女の手は震えていた。
「桐谷さん、式場のほうにも水が入っています。音響さんも、メインの音響卓が式の終わりまでもたないかもしれないって言っていました。少し待ちますか?」
私はスマホを見た。
母への8回目の電話をかけたが、また話し中だった。
画面に、望のライブ配信通知が出る。
【桐谷望、豪雨の中でライブコマースデビュー!第一線の専門家である母親が自らサポート!】
この世には本当に、母が振り向くほど大切なものがあるんだ。
けれど、その先に私がいたことは、一度もなかった。
私はスマホでライブ配信の画面を開いた。
配信会場は、この披露宴会場と同じホテルの別フロアに設けられている。
望は柔らかな照明の下に座り、完璧にメイクを整えていた。その後ろには、母のチームが勢ぞろいしている。
母は望の肩に上着を掛け、声を潜めて言った。
「画面の前で眉をひそめないの。見ている人が心配するでしょう」
コメント欄は称賛で埋まっていた。
【お母さん、優しすぎる】
【望ちゃん、幸せだね。髪の乱れまで気づいてくれるなんて】
私は自分の濡れた髪にそっと触れた。
毛先からは、まだ水が滴っていた。
やがて配信画面が休憩中の表示に切り替わった。
その直後、控室のドアが開いた。
休憩の合間を縫って来たらしい。浩二が望を支えながら入ってくる。
私を見るなり、望の目に涙が浮かんだ。
「お姉ちゃん、ごめんなさい。浩二さんが先に私を迎えに来てくれるなんて、本当に知らなかったの」
浩二は眉をひそめて私を見た。
「そんな目で望を見るな。さっき風にあおられて、危うく転ぶところだったんだぞ」
私は何も言わなかった。
ヘアメイクの人が気まずそうに目を伏せる。
そのとき、浩二はびしょ濡れの私のスカートの裾へ視線を移した。
彼はわずかに眉をひそめ、私のほうへ手を伸ばしかけた。
「浩二さん……」
望が小さく咳をした。
浩二の手は宙で止まった。
次の瞬間、浩二は望を支えるように抱き寄せると、再び冷たい口調で言った。
「式は予定どおりやる。美幸のお母さんが言ってた。あと15分もすれば雨は少し弱まるって。だから、もう駄々をこねるな」
私は思わず笑った。
「お母さんに聞いたの?」
「何を?」
「雨風が弱まる時間帯」
浩二は言葉に詰まった。
私は彼の目をまっすぐ見つめた。
「私はお母さんに7回も電話して調べてほしいと頼んだ。でも、私1人の都合で、天気予報チームを動かすことはできないって言われた。なのに、どうしてあなたが聞くと教えてくれたの?」
望が慌てて浩二の袖をつかんだ。
「お姉ちゃん、お母さんを責めないで。私が急に天気の状況を知る必要になっただけなの。浩二さんも、ただ私の代わりに聞いてくれただけで……」
本当に、ばかみたいだった。
みんな、結婚式に何かあったら困るって心配するのに、私がどうなろうと誰も気にしない。
そのとき、控室のドアの外から司会者の声が聞こえた。
「新婦様、ご入場の準備をお願いいたします」
浩二が私の手を取ろうとした。
「先に式を済ませよう。話は家に帰ってからでもいいだろ。今日は親族も大勢来てるんだ。これ以上、両家に恥をかかせるな」
私はその手を避け、左手の薬指から指輪を外した。
浩二の表情が一瞬で険しくなる。
「美幸、どういうつもりだ?」
私は指輪をドレッサーの上に置いた。
「結婚式は中止よ」
望が息をのんだ。涙が頬を伝う。
「お姉ちゃん、私のせいで怒ってるの?だったら、もうライブ配信なんてやめる。今すぐお母さんに言ってくるから……」
そう言って背を向けた彼女は、一歩踏み出した途端に足を滑らせ、そのまま浩二の胸へ倒れ込んだ。
浩二は反射的に彼女を抱き留めた。
まるで何よりも大切なものを守るように強く抱き寄せ、声を荒らげた。
「いい加減にしろ。望はこんなに自分を責めてるんだぞ。これ以上、どうしろっていうんだ!」
私はその場に立ち尽くし、こわばった浩二の横顔を見ていた。
この人は本来なら、今日、みんなの前で私に一生の愛を誓うはずだった。
それなのに今は、別の人を何より大切なもののように抱きしめている。
私は自分のバッグを取り、2人の横を通り過ぎた。
披露宴会場の入口まで来たところで、浩二の母が親族を連れて立ちふさがった。
バッグを手に出口へ向かう私の姿を見て、その顔がみるみる険しくなる。
「美幸さん、今日ここを出ていったら、佐伯家の面目はどうなると思ってるの?」
私は静かに答えた。
「それは、私には関係ありません」
会場が一斉にざわめいた。
けれど、そのざわめきはもう耳に入らなかった。
そのとき、母から電話がかかってきた。
電話に出た瞬間、母は事情を尋ねることもなく、怒りを押し殺した声で、ただ命じた。
「美幸、今すぐ戻って、式を続けなさい」
私は披露宴会場のスクリーンで次々と映し出されるウェディングフォトを見つめ、胸の奥から笑いがこみ上げた。
「お母さん、私、結婚しない」
電話の向こうが、ほんの一瞬だけ静かになる。
そして間もなくして、冷え切った声が返ってきた。
「やれるものならやってみなさい」
だが、母が言い終える前に、会場の大型スクリーンの映像が突然乱れ、すべての画面が真っ暗になった。
その直後、ステージの奥から鈍い破裂音が響いた。
会場のあちこちから悲鳴が上がった。
暗闇の中、私は誰かに強く突き飛ばされた。
冷たい水たまりの中に倒れ込んだそのとき、浩二が望を抱きかかえ、出口へ駆けていく気配がした。
同時に、電話の向こうから母が切羽詰まった声を上げる。
「望は?望は無事なの?」
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