記憶喪失のふりで家族に養子だと騙された第3話
この話は約1929字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
俺は、すべてを水に流せるほど寛大な人間ではない。
あの家政婦のせいで、俺は20年以上も本当の家族と引き離されたうえ、まともな扱いも受けずに育った。
今も恨みは消えていない。
その息子で、何も知らないまま俺の人生を手に入れた修平に、好意を持てるはずもなかった。
だが当時、葉月は何気ない口調で言った。
「修平だって、何も悪くないでしょう。あの頃はまだ子どもで、何も知らなかったんだから」
その言葉が引っかかり、俺は2日ほど葉月と口をきかなかった。
結局、葉月のほうから機嫌を取りに来て、キャンディを一袋差し出したことで、この話はそれきりになった。
今思えば、あれが俺たちの関係の分岐点だったのかもしれない。
それまでと変わらない日々が続いているように見えて、俺たちはあのときから、すでに違う道を歩き始めていた。
キャンディを口に入れると、舌の上でゆっくり溶けていった。
以前は好きだったはずの甘さが、今は妙にくどく感じられた。
俺はスマホを取り出し、ある番号に電話をかけた。
「おい、慎!お前から電話してくるなんて珍しいな。葉月に骨抜きにされて、俺のことなんか忘れたかと思ってたぞ!」
大学時代からの親友、倉田直樹(くらた なおき)だった。
直樹は、俺が周囲に見せていた姿が本当の俺ではないと見抜き、それでもそばにいてくれた唯一の友達だった。
卒業後は海外へ渡ったが、連絡は取り続けていた。
「直樹」
自分でも分かるほど、声がかすれていた。
「離婚して、海外へ行くつもりだ」
直樹はしばらく黙り込んだ。
「慎、お前……本気で言ってるのか?やっと決心したんだな?」
「ああ」
俺は窓の外に広がる、どんよりとした空を見た。
「ただ、直樹に頼みたいことがある」
「何だ?遠慮せず言え。お前のためなら何だってやる」
退院の日、俺は誰にも連絡しなかった。
まだ足元がおぼつかない状態で自宅のドアを開けると、リビングから楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
思わず足が止まった。
大きな窓から差し込む月明かりが、リビングで楽しげに過ごす4人を照らしていた。
俺だけが、その輪の外に取り残されていた。
俺に気づいた途端、笑い声がやみ、気まずい沈黙が広がった。
俺は口元をゆがめ、わざと他人行儀に尋ねた。
「すみません。俺の部屋はどこでしょうか?」
父の表情がこわばった。
すると修平がすぐに立ち上がり、階段の奥にある小さな扉を指さした。
「慎、荷物なら俺たちがまとめて、あそこに置いておいたよ」
そこは狭い納戸だった。
わずか数日のうちに、この家にあった俺の痕跡はすべて消され、狭い納戸へ押し込まれていた。
一方、修平の荷物は、すでに俺と葉月の寝室へ堂々と運び込まれていた。
乾いた笑いが漏れた。
「全員で口裏を合わせて、俺を騙しているのかと思ってた。でも、この部屋を見てようやく分かったよ。俺は本当に、ただの養子なんだな」
「慎……」
葉月は気まずそうな顔で、一歩こちらへ近づいた。
「退院するなら、どうして連絡してくれなかったの?迎えに行ったのに」
俺は冷ややかに葉月を見た。
「お前は俺の妻なのか、それとも修平の妻なのか、どっちなんだ?そんな人に迎えに来てもらうわけにはいかないだろ」
父は露骨に顔をしかめた。
「慎、何だその態度は!修平たちが親切で荷物を片づけてくれたのに、礼も言わず嫌みばかり言いおって!」
修平は傷ついたように表情を曇らせると、父の後ろへ一歩下がった。
それを見た杏奈が、俺に向かって怒鳴った。
「この悪い人!パパをいじめないで!早くうちから出ていって!」
思わず笑ってしまった。
胸が締めつけられるように痛み、俺は全身の震えを抑えられなかった。
それまで黙っていた葉月が、まっすぐ俺を見た。
そして、一つ一つ確かめるように尋ねた。
「記憶を失ったふりをしていたのね?」
俺は葉月を見返し、乾いた笑いを漏らした。
父の顔には、わずかな動揺が浮かんだ。
修平だけは、何一つ悪いことなどしていないと言わんばかりに、堂々と立っていた。
杏奈は大人たちの反応から何かを察したのか、憎しみを込めて叫んだ。
「あなたなんかパパじゃない!絶対に思い出さないで、そのままずっとうちからいなくなればいい!」
「杏奈、いい加減にしなさい!」
葉月がようやく厳しい声で制した。
俺の顔色を見て、葉月は手を取ろうとしたが、俺はすぐに避けた。
「慎、杏奈はまだ子どもなの。悪気があったわけじゃないわ。子どもの言葉を本気にしないで」
俺は手を引き、薄く笑った。
「まだ子ども?もう善悪の区別くらいつく年だ。悪気はなかった、その一言ですべてなかったことにできると思ってるのか?」
葉月の態度が揺らいだと察したのか、修平の顔色が変わった。
額に手を当ててよろめき、弱々しく訴えた。
「葉月……急に気分が悪くなってきた……」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)
第4話は公式アプリで
当サイトでの試し読みはここまでです。アプリをインストールし、下のアプリ用コードを入力すると、この作品の第4話からそのまま読み進められます。
S73822- 下のボタンから公式アプリをインストールします(無料)。
- アプリを開き、「コードを入力」にこのコードを入れると、この作品が本棚に入ります。
作品ページへ戻る 当サイトに掲載しているのは試し読みの章だけです。