裏切りの始まりはあの同窓会だった第2話
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「末期の胃がんです」
医師から渡された診断書を眺めても、心は何も感じなかった。
これが少し前の私なら、泣いていた。亮介に縋りついて、離れたくないと駄々をこねていた。
けれど今は――もう、そんなことさえどうでもよかった。
私は会社に退職届を出した。
家に戻ると、必要なものを少しずつ荷造りしていく。
これまでの人生は、ずっと誰かのために生きてきた。だから残された時間くらいは、自分のために生きてみたい。
そんなことを考えていたときだった。
「……あすか、大丈夫だった?」
玄関のドアが開き、亮介が慌ただしく入ってきた。その顔には、心配そうな表情が浮かんでいる。
「ごめん、スマホの充電が切れてて、さっきやっとメッセージが見れたんだ。まだ具合悪い?今から病院に行こうか」
私は何も言わず、亮介の首元を見つめた。そこには、赤いキスマークが残っていた。
ふわりと漂う、かすかなクチナシの香り。
――小鳥がつけていた香水の匂いだ。
ついさっきまで別の女を抱きしめていたはずなのに、どうして今は何事もなかったような顔で、私を気遣うことができたのだろう。
人の心は、本当に2つに分けられるのだろうか。
半分を彼女に。もう半分を、私に。
「……大丈夫。ぬる湯を飲んだら治ったから」
私は小さく答えた。
亮介はほっとしたように息を吐く。そして、私が荷物をまとめていることに気づく。
「何してるんだ?どこか行くのか?」
私は顔を上げた。
「少し出かけたいの。いろんなところを見て、景色を楽しんで……亮介も一緒に来る?」
自分でも、馬鹿みたいだと思った。こんなことになっているのに、それでも心のどこかでは、まだ期待していた。
残された時間を亮介と一緒に過ごせるなら――このまま死んでも、きっと後悔しない。
いつだって私の頼みを聞いてくれた亮介が、珍しく言葉を濁した。
「ごめん、あすか。最近、会社のほうが少し忙しくてな。どうしても手が離せないんだ」
「忙しいのって、小鳥を秘書にすること?」
私はスマホを取り出した。画面には、小鳥のSNSの投稿が表示されている。
【神様、ありがとう。今度こそチャンスを掴んでみせる】
添えられた9枚の写真は、全部亮介と小鳥のツーショットだった。
亮介は困ったように眉を寄せる。
「……あすか。俺と小鳥はもう終わってる。今はただの雇用主と社員だ。小鳥は一流大学を出てるし、金融を専攻してる。俺にとって仕事の助けになる。ちょうど彼女も仕事を探してるから、少し力になってやりたかったんだ」
私は亮介を見つめた。そして、ふと口にした。
「亮介。私だって、本当は一流大学に行けたんだよ」
亮介が一瞬、言葉を失う。けれどすぐに笑って、私の肩を抱いた。
「どうした?まだヤキモチ焼いてるのか?俺がまだ小鳥に未練があるなら、お前と結婚したりしなかったさ」
私は、その腕を振りほどいた。
「亮介……私たち、離婚しよう」
亮介が固まった。やがて、苛立ったように眉をひそめる。
「小鳥を秘書にしたくらいで、離婚するのか?俺は昔の同級生を気にかけてるだけだ。そこまで拗ねることないだろ」
「拗ねてない」私は静かに首を横に振った。「ただ……疲れただけ」
亮介は苛立たしげに部屋の中を歩き回った。そして最後には、何も言わずにドアを乱暴に閉めて出ていった。
……
その日の午後、小鳥が突然、家を訪ねてきた。
「今日は謝りに来たの」
大きな紙袋をいくつも抱え、にこやかに笑っている。
私は警戒しながら、小鳥を見つめた。
――いったい、何を企んでいるのだろう。
小鳥は私の視線など気にも留めず、勝手知ったる様子で家の中へ入っていく。そして部屋を見回すと、ふと感慨深そうに呟いた。
「こんなに経ったのに、亮介はまだ私が買った家具を捨ててなかったのね」
私は、思わず固まった。
家具を買い替えたいと何度も言ったことがある。けれど亮介は、そのたびにこう言っていた。
――大切な人が残してくれたもので、思い出がいっぱい詰まっているから、捨てたくない。
まさか、その「大切な人」が小鳥だったなんて。
小鳥は慣れた手つきで持ってきたものを冷蔵庫にしまっていく。その仕草のひとつひとつが、私よりずっと自然だった。
まるで、この家の主人は自分だと言わんばかりに。
そして私は――ただの居候。
「実はね、今日、亮介にクビにされたの」
小鳥は私を見た。その瞳には、私には読み取れない色が浮かんでいる。
「本当に、亮介ってあなたの言うことをよく聞くのね」
一拍置いて、小鳥はどこか感慨深そうに続けた。
「誰も想像できなかったんでしょうね。昔は何をされても黙ってるだけの、あんな目立たない子が今、亮介の妻だもの」
身体が、勝手に震え始めた。
昔、小鳥にいじめられていた記憶が脳裏に蘇る。
小鳥はそんな私の反応を見て、満足そうに口元を歪めた。ソファに腰を下ろし、脚を組む。
その目には、隠そうともしない敵意が宿っていた。
「知ってる?昔、亮介と別れたのは、彼が貧乏だったからじゃなくて、ろくでもない人間だったからなの」
私は思わず尋ねた。
「……じゃあ、どうして戻ってきたの?」
その質問が愚問だと言わんばかりに、小鳥は小さく笑った。
「後悔したからよ」
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