荒波を越え、私に吹く新生の風第3話
この話は約2314字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
父の顔色は怒りで土色に変じ、振り上げられた手が私の頭上で止まる。
「……殴りなさいよ」
私は一歩も引かず、冷ややかな瞳で父を見据えた。
「その手が下された瞬間、あなたとの親子としての情は、完全に断ち切られるわ」
父の手が空中で硬直し、やがて力なく下ろされた。
私は鼻で笑い、依莉を指差す。
「その女は母の墓石を汚したのよ。これくらいの制裁じゃ軽すぎるくらいだわ」
「寧々、何の話だ?何か誤解があるんじゃないか……」
修が慌てて割って入るが、私は聞く耳を持たず、霊園の管理事務所から入手した監視カメラの映像を再生しようとした。
「いい加減にしろ!」
バシィ!
私の手からスマホが叩き落とされ、床に激突した画面が蜘蛛の巣状に砕け散り、暗転した。
父は目を血走らせ、怒号をあげる。
「依莉も私の大事な娘だ、そんなことをするはずがない!寧々、お前には心底失望したぞ。こんな捏造までして……
出て行け!今すぐ私の目の前から消え失せろ!」
私はその足でオフィスへ戻ると、自分の描いた全てのデザイン画と顧客データを回収した。
そして「療養先」にとあてがわれていたマンションへ戻ると、私の荷物が廊下に放り出されていた。
管理人に聞けば、オーナーである依莉から「即刻退去させるように」と連絡があったらしい。
私はファイルケースを握りしめる手に力を込めた。瞳の奥から、未練という名の光が完全に消え失せる。
そう、如月家の施しなど、もう何一ついらない。
けれど、私の才能、私の成果、私自身のものだけは――誰にも奪わせない。
近くのビジネスホテルにチェックインを済ませると、私はスマホを取り出し、明日のフライトを予約した。
行き先は、決めてある。
翌朝。
ホテルを出たところで、私は思わず足を止めた。
そこに立っていたのは、聖だったからだ。
彼は有無を言わさず私のスーツケースを奪い取ると、困惑する私に矢継ぎ早に言葉を並べた。
「寧々、依莉ちゃんのやり方は酷すぎたよ。怒るのも無理はない。……どこへ行くつもりなんだ?送るよ」
「結構よ、私は……」
「僕が悪かった。君がここに泊まってるって調べて、わざわざ謝りに来たんだ。せめて罪滅ぼしくらいさせてくれよ」
私の拒絶を遮り、彼は半ば強引に私を助手席へと押し込んだ。
車内には重苦しい沈黙が流れていた。
彼が差し出してきたペットボトルの水を、私は一口だけ喉に通した。
――それが間違いだった。
程なくして、強烈な睡魔に襲われる。
重くなる瞼に抗う間もなく、私の意識は暗い底へと沈んでいった。
次に目を覚ました時、私は全身が粟立つような悪寒を感じた。
埃っぽい匂いと、冷たいコンクリートの感触。
そこは廃倉庫のようで、私の手足はロープで固く拘束され、床に転がされていた。
「あら、お目覚め?愛しいお姉様」
目の前に置かれたパイプ椅子に、依莉が優雅に足を組んで座っていた。
彼女は私を見下ろし、心底楽しそうに微笑む。
「家で寝るより、ずっと快適だったでしょう?」
私は必死に体を起こそうとしたが、ロープが食い込んで叶わない。
「依莉……こんなことして、ただで済むと思ってるの?立派な犯罪よ」
「犯罪?」
彼女はおかしそうに声を上げて笑った。甲高い笑い声が、ガランとした倉庫に反響する。
「それがどうしたの?私には関係ないわ」
彼女はヒールの音を立てて近づくと、私の顎を乱暴に掴んで上向かせた。
「ほら、見てごらんなさい。如月家の令嬢だなんて偉そうにしていても、結局この様よ。家も、物も、あなたの婚約者だって……最後はみーんな私のものになったじゃない」
彼女の声色が、氷のように冷たく変わる。
「あんたの母親はさっさとくたばって正解だったのよ。あんたも同じ目に遭わせてあげる」
私は恐怖を飲み込み、精一杯の侮蔑を込めて笑い返した。
「私が捨てたゴミを拾うのが、そんなに嬉しい?人の残り物ばかり漁るなんて、生まれは争えないわね。骨の髄まで卑しいのよ、あなたは」
――パァン!
強烈な衝撃が走り、口の中に鉄の味が広がる。
依莉の形相は、先ほどの優雅さとは程遠い、悪鬼のようなものへと変わっていた。
「この平手打ちは、家で私をぶったお返しよ!」
――パァン!
もう一発、平手が飛ぶ。
「これは、ママの分!あんたのあの母親が、長年正妻の座に居座り続けた恨みよ。あの泥棒女!」
衝撃で頭が横に弾かれ、頬が焼け付くように痛む。
けれど私は顔を戻すと、口に溜まった血混じりの唾を、彼女の顔面めがけて吐きかけた。
「……言わせておけば。どれだけ着飾っても、あなたは一生、日陰者の私生児よ!」
「きゃっ!寧々!この……っ、薄汚いメス豚が!」
依莉は悲鳴を上げ、汚れた顔を乱暴に拭った。
その瞳に宿るのは、普段の可憐な仮面をかなぐり捨てた、純然たる殺意と悪意。
彼女は狂乱したように私へ飛びかかると、その綺麗に手入れされた鋭い爪で、私の右頬を引き裂いた。
皮膚が裂ける焼けるような痛みが走る。けれど私は悲鳴を飲み込み、血走った目で彼女を睨みつけながら、嘲るように笑ってやった。
その時、倉庫の入り口から誰かが駆け込んできた。
「依莉ちゃん、急げ!おじさんと修さんがもう近くまで来てる!」
聖だ。彼は私の方を見ようともせず、視線を泳がせながら依莉を急き立てる。
それを聞いた依莉の目元に、残忍な色が走った。
彼女は床に落ちていた油まみれのウエスを拾い上げると、無理やり私の口の中にねじ込んだ。
「んぐっ……!」
必死に抵抗しようと首を振るが、漏れるのはくぐもった呼吸音だけ。
間髪入れずに、悪臭を放つ麻袋が頭から被せられた。
視界が闇に閉ざされる。
彼女は力任せに私を突き飛ばし、私はなす術もなく床に転がった。
「依莉!どこだ、どこにいる!」
遠くから響いてきたのは、焦りに満ちた修の声だった。
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