和紙文花期を逃した私と、遅れてきた春 · 第2話設定≡

花期を逃した私と、遅れてきた春第2話

この話は約2592字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

瞳が背を向け、その場を去ろうとした瞬間、蓮の声が背中に突き刺さった。

「待って」

振り返ると、彼は相変わらず面倒くさそうな表情を浮かべていた。

「ついでに、お前がうちに置いてる物も全部持って帰れよ」

きっと彼は期待していたのだろう。いつものように瞳が傷つき、涙目で「どういうつもり?」と詰め寄ってくることを。そうすれば、「もう喧嘩はやめよう」と宥め、また元通りになるのだと高を括っている。

だが、瞳は何も言わなかった。

ただ黙って向き直り、かつては自分の第二の家だと思っていたこの場所から、自身の痕跡を一つ一つ消していく作業に取り掛かった。

玄関には、彼がわざわざ買ってくれたイニシャル入りのクマのスリッパ。キッチンの棚に並ぶ、彼女専用の苺柄のマグカップ。リビングのソファに無造作に置かれた、いつも使っていたグレーのブランケット……

それらを一つ一つ見つけ出しては、淡々と空の段ボール箱に放り込んでいく。まるで何の価値もないゴミを片付けるかのように。

その間も、蓮と桃果のゲームは新しいラウンドに突入していた。

ゲームの合間、桃果が「喉渇いた」と呟くと、ごく自然な動作で蓮の飲みかけのコップを手に取り、一口飲んだ。

極度の潔癖症で、以前は瞳が口をつけた飲み物さえ嫌がっていた蓮が、今はちらりと視線を向けただけで何も言わない。

さらに桃果が甘えた声で、「お腹空いちゃった。駅前の有名な鯛焼き、食べたいな」と言うと、蓮は何の躊躇もなく立ち上がり、部屋を出て行った。

瞳はそのすべてを、目に焼き付けた。だが不思議と、もう心は痛まなかった。ただ麻痺したような冷たさだけが、胸の奥底に残っている。

片付け終えた段ボール箱を抱え、瞳は二階へと上がった。蓮の部屋に残してあった最後の物を回収するために。

ドアを開けようとした瞬間、行く手を阻むように人影が立った。

桃果だ。

彼女は隠そうともしない挑発的な笑みを浮かべていた。「別れたくせに、まだ未練たらしくウロウロしてるの?」

相手にするつもりはない。瞳は淡々と答えた。「私の物を取りに来ただけ。きっちり縁を切るために」

「縁を切る?」桃果が鼻で笑った。

「こんな駆け引きして、蓮くんが振り向くとでも思ってるの?蓮くん、もうあんたのワガママにはうんざりしてるよ。すぐ別れるって言い出すのって、結局彼が謝ってくれるのを分かってるからでしょ?しつこくすがりつく以外、何ができるの?」

彼女はさらに一歩踏み出し、言葉を続ける。

「教えてあげる。あなたの好きなもの、全部奪ってあげる。西京大の志望も彼に合わせたんでしょ?まだ縋りつくつもり?大丈夫、私も西京大に受かったから。一歩一歩、彼を完全に奪ってあげる。あんたが私に完敗する瞬間を、その目で見せてあげるわ!」

そんな戯言、聞く価値もない。瞳は箱を抱え直すと、彼女を避けて通ろうとした。

だが桃果は諦めない。瞳の腕を掴み、さらに辛辣な言葉を浴びせてくる。

「どうしたの?図星つかれて何も言えないの?どこまで図々しいの。しつこくすがりつく姿、本当に気持ち悪い!蓮くんがあんたを鬱陶しがるのも当然よね。親からの躾はどうかしてるわ。だからこんな……」

パシンッ!

乾いた衝撃音が廊下に響いた。

瞳の平手打ちが、桃果の暴言を遮ったのだ。

自分への侮辱は耐えられる。だが、両親を侮辱することだけは絶対に許さない!

頬を押さえた桃果が、信じられないという顔で目を見開く。次の瞬間、瞳は怒りに燃えて再び手を振り上げた――

その時、階下から玄関の開く音と足音が聞こえてきた。

蓮が戻ってきたのだ。

桃果の目が怪しく光った。

次の瞬間、彼女は自ら瞳の手を掴み、悲鳴を上げながら、瞳を抱え込んだまま転がり落ちたのだ!

「きゃああああっ!」

二人はもつれ合うように階段を転げ落ち、一階の床に叩きつけられる。瞳は全身の骨が砕けたような激痛に襲われ、額を階段の角に強く打ち付けた。生暖かい血が流れる感覚に、意識が遠のく。

桃果も無事ではなかったはずだが、すぐに体を起こすと、先んじて顔を押さえた。瞳につけられた鮮明な平手打ちの跡を見せつけるように。彼女の目からはすぐに涙が溢れ出し、泣きじゃくり始めた。

「蓮くん……うう……瞳ちゃんが……いきなり殴りかかってきて、私を階段から突き落としたの……痛い……」

蓮は目の前の惨状を見て、顔色を一瞬で険しくさせた。

大股で駆け寄ると、まず泣き崩れた桃果に視線を向け、それから氷のように冷たい目で、這い上がろうともがく瞳を睨みつけた。

「瞳!何やってんだよ!ここは俺の家だぞ。いい加減にしろ!」

瞳は体中の激痛と眩暈を堪えながら、必死に説明しようとした。

「彼女が先に私の両親を侮辱したから……」

「もういい!」

蓮は聞く耳を持たず、声を荒げて言葉を遮った。その目には失望と苛立ちしか浮かんでいない。

「言い訳なんか聞きたくない!おい、こいつを連れて行け!」

執事が沈痛な面持ちで歩み寄り、瞳に「どうぞ」と退出を促す。

瞳は見ていた。蓮が何の躊躇もなく自分に背を向け、優しく桃果を起こし上げ、大切そうに抱えてソファへと運ぶ姿を。救急箱を取り出し、丁寧に傷を拭いて、薬を塗る。まるで大切な宝物を扱うかのように。

その瞬間、瞳の胸は、鋭利な刃物で抉られるような痛みに襲われた。痛くて、息ができない。

昔、彼もこうやって自分を扱ってくれた。体育の授業で膝を擦りむいた時、彼は真っ青な顔になり、すぐに背負って保健室へと走ってくれた。走りながら「瞳、怖がらないで。すぐに痛くなくなるから」と何度も励ましてくれた。

あの時の優しさと心配は、自分だけのものだったはずなのに。

それが今、彼の全ての思いやりと優しさは、別の女の子に注がれている。

言いたいことも、訴えたい想いも、全て喉の奥に詰まって、冷たい絶望へと変わっていった。

瞳はもう何も言わなかった。傷だらけの体を引きずり、一歩ずつ外へと歩いていく。

一人で病院へ向かった。

診断は、全身打撲と軽度の脳震盪。医者は入院観察を勧めた。

入院中、スマホが何度も震えた。

桃果からの挑発的なメッセージと共に、蓮が彼女を手厚く看病している写真や動画が次々と送られてくる。

お粥を食べさせている蓮。林檎の皮を剥く蓮。庭園を一緒に散歩する蓮。

瞳は無表情で画面を見つめるだけだった。もちろん、返信などするはずもない。

心が死んでしまえば、こんな挑発を受けても、もう何も感じないのだ。

縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)