私を捨てた夫が恋したのは、20歳の私でした第1話
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38歳の誕生日に、私、柏木美緒(かしわぎ みお)は夫から離婚を切り出された。
夫の柏木修平(かしわぎ しゅうへい)は40歳を目前にして、また本気の恋をしたらしい。
「美咲はまだ20歳で、素直で優しいんだ。お前みたいな、年を取ったつまらない女とは違う」
鏡の中の私は、すっかり生気をなくしていた。その姿を見つめ、私はうなずいた。
これで、最近の修平の変わりようにも納得がいった。
彼は急に身なりを気にし始めた。
出かける前には必ず香水をつけ、毎日花束を買っていた。
どんなに忙しくても、仕事が終わったら真っ先にジムへ向かった。
離婚を切り出したあと、修平は私に尋ねた。
「美緒、7年も専業主婦をしてきたお前が、俺と離婚しても平気なのか?あとになって別れたくないなんて言って、すがりついてくるなよ」
私は笑った。
「そんなことしないよ」
だって、夫が恋に落ちた彼女は、20歳の私だから。
* * *
私の38歳の誕生日は、13回目の結婚記念日でもあった。
朝早く、10歳の息子、柏木悠斗(かしわぎ ゆうと)を算数のコンテストへ送り出したあと、修平が上の階から下りてきた。
今日も新しいネクタイを締め、珍しくタイピンまでつけている。
子熊がにっこり笑う、かわいらしいデザインだった。ひと目で、若い女の子が選んだものだと思った。
修平は、リビングにいた私へ冷めた視線を向けた。
またいつもの嫌みを言われるのだと思った。その言葉は、もううんざりだった。
「お前、いつもエプロン姿だな。まるで家政婦みたいだ」
けれど、その言葉は出てこなかった。
修平は淡々と告げた。
「美緒、離婚しよう。離婚協議書はもう用意してある」
私はエプロンのポケットに手を入れ、修平を振り返った。
「どうして?」
修平はタイピンに触れながら、悪びれもせず、好きな人ができたと話し始めた。
相手の女性は、会社に来たばかりのインターンだという。その子のことを話す修平の声は、優しかった。
「美咲はいつも明るくて、生き生きしてるんだ。ちゃんと離婚してから、付き合ってくれって言うつもりだよ。あの子を不倫相手だなんて呼ばせるわけにはいかないからな」
美咲のことを愛おしそうに話していた修平が、私を見るなり、うんざりした顔になった。
私は思わず、冷めた笑みを浮かべた。
私だって、昔は生き生きしていて、修平に愛されていたのに。
年を取って、若い頃のような魅力がなくなった私は、もう目障りでしかないのだろう。
「お前にとって、離婚が簡単じゃないのは分かってる。お前が20歳の頃から、何も持っていなかった俺とここまでやってきたんだからな。7年も専業主婦で、体も弱い。悠斗だって、まだ10歳だ……」
その言葉に胸が痛んだ。もう、あれこれ話す気にはなれなかった。
「その子は、あなたが離婚するつもりだって知ってるの?」
修平は、美咲もきっと自分を好きになると信じきっているようだった。その口ぶりには、美咲への甘さがにじんでいた。
「まだ言ってない。あの子を不倫相手なんかにしたくないんだ。だから美緒、もう俺を自由にしてくれ。俺は美咲と一緒になりたいんだ」
修平の整った顔には、年齢による衰えが見えなかった。むしろ、落ち着いた大人の魅力が増していた。
修平のスーツは、昨夜私がスチームで整えた。腕時計も、私が手入れに出したばかり。柑橘系の香水も、これがいいと頼まれて私が買ったものだ。
見た目はこんなに立派なのに、私にはどこまでも冷たい。
私は笑って答えた。
「分かった」
修平はほっとしたように、表情を緩めると、ソファに掛けてあったシャツを私へ差し出した。
「コーヒーをこぼした。手洗いして、シミ落としといて」
何でも私にやらせておいて、家政婦みたいだとばかにする。挙げ句、若い子を好きになったから、私はもういらないなんて。ずいぶん勝手な話だ。
修平が出ていくと、私はエプロンのポケットからスマホを取り出した。美咲との通話は、まだつながっていた。
「今のを聞いても、私が幸せだと思う?修平はずっと変わらず私を愛してくれる人だって、まだ信じてるの?」
美咲は長いこと黙っていたが、やがて焦ったように声を上げた。
「でも、どうして離婚するの?私は18年前のあなたなのよ。修平が好きになったのが私なら、あなたを好きなのと同じじゃない?」
私はそれ以上答えず、通話を切った。
美咲が18年前の世界からやってきたのは、3か月前だった。私を見るなり、興奮した様子で尋ねてきた。
「修平と結婚したの?ふたりは幸せ?」
あのときは、どう説明すればいいのか分からなかった。
だから、彼女に「美咲」という仮名を使って修平へ近づいてもらい、それでも私への気持ちが変わらないか、賭けをすることにした。
修平が私より美咲を選んだら、美咲の負け。
そのときは過去へ戻り、もう修平とは関わらない。それが条件だった。
そうして3か月、美咲が修平に近づいた結果、修平は彼女に恋をして、私と別れたいと言い出したのだ。
荷造りはすぐに終わった。持ち出すものは、スーツケースひとつに収まった。
7年前に専業主婦になってから、修平にもらった高価な服や宝石は、すべて売って現金に換えるつもりだった。
自分を守ってくれるのは、現金だと思っていたから。
家を出ようとしたところで、悠斗が帰ってきた。修平によく似た顔立ちで、すました表情をしていた。胸には金メダルをつけていた。
物心ついた頃から、おとなしい子だった。私と修平がもめると、悠斗はいつも自分の部屋へ戻り、扉を閉めた。
私は笑顔を向けた。
「1位だったんだ。すごいね」
悠斗はスーツケースへ目をやり、一瞬足を止めた。
それから私の横を通るとき、金メダルをスーツケースの上へ置いた。
「誕生日のプレゼント」
照れくさそうに小声でそう言うと、振り返らずに階段を上がっていった。
悠斗のひと言に、思わず息が震え、涙がこみ上げてきた。
13年前、結婚したとき、修平は私を抱きしめてこう言ってくれた。
「これからは、美緒の誕生日が結婚記念日にもなるんだな。俺にとって、どっちも大切な日だ。絶対に忘れないよ」
それなのに、覚えていてくれたのは悠斗だけだった。
修平は、何もかも忘れてしまった。
あの日の約束も、私を愛してくれた日々も。修平にとってはもう、どうでもいいことなのだ。
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