父の最期に、あなたはいなかった第3話
この話は約1617字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
従姉はその日のうちに隣町から駆けつけてくれて、私の顔を見るなり、呆れたように言った。
「涼子、あなた本気でこんな男と結婚するつもり?」
とっさに言い返そうとしたが、彼をかばう理由なんて一つも思い浮かばなかった。
その夜、ようやく悠人が病院にやってきた。
だが彼は病室へ向かうこともなく、病院の外から私を呼び出し、疲れ切った声でこう言った。
「ちょっと下まで来てくれないか?お前の親戚に囲まれて、あれこれ聞かれたくないんだ」
外に出ると、彼は1枚のキャッシュカードを差し出す。
「暗証番号はお前の誕生日だ。もうこの話は終わりにしよう。知紗のことはちゃんと説明するから」
言い返す間もなく、スマホに通知が届いた。知紗の投稿だ。
点滴室で撮った彼女の写真だった。
手には点滴の針が刺さっていて、今にも倒れそうなほど弱々しく見える。
【どうして誰かが怒るたびに、全部私のせいになるんだろう】
その投稿を見て、悠人が病室へ向かおうとしなかった理由を悟った。
親戚に責められるのが嫌だったわけじゃない。
父の前で、今日どこへ行って何をしていたのか、私に問いただされるのが怖かったのだ。
それでも私は彼を病室へ連れて行った。
父が目を覚ました時、真っ先に聞いた言葉は、「悠人は……来たのか?」だった。
病室での悠人は完璧に振る舞っていた。
父の布団を整え、東都の専門医にも相談して、転院させると約束した。
結婚式も予定通りに行うと言って、父を安心させた。
濁っていた父の目に、ようやく光が灯った。
父は震える手で、私の手を悠人の手に託した。
「涼子は……昔から我慢ばかりする子なんだ。つらいことがあっても、何も言わずに抱え込む。
悠人、この子を幸せにしてやってくれ」
その瞬間、胸の奥が熱くなり、涙がこぼれそうだった。
悠人は父の前で私の手を強く握り、大きく頷いた。
だが、病室を出た瞬間、その手はあっさり離された。
彼は眉をひそめ、冷たい声で言う。
「これで満足か?わざわざお父さんの前で、こんな芝居までさせて」
その一言が胸を深く抉った。
さっきまで抱いていたわずかな希望も、一瞬で砕け散る。
ちょうどその時、知紗から電話がかかってきた。
悠人が出るなり、向こうから途切れ途切れ、泣き声が聞こえてくる。
「悠人……解熱剤が合わなかったみたいで……すごく苦しい……周りに誰もいなくて怖いよ……」
悠人の表情が一変した。
彼は迷うことなく踵を返す。
私は必死で彼の袖を掴み、声を絞り出した。
「待って、お父さんの容態が悪いの。今夜が峠だって、さっき医者に言われたばかりよ!」
だが、悠人は私の手を振り払った。
あまりの力に壁へ叩きつけられ、私は床に倒れ込んだ。
「医者は安定してると言ってたろ!涼子、知紗の方は本当に一大事なんだ!」
慌てて追いかけたが、いつの間にか激しい雨が降り注いでいた。
悠人が車に乗る前、一度だけ振り返った。
雨に濡れた髪の隙間から見えた瞳には、疲れと苛立ちしかなかった。
「いい加減にしろ、もうお父さんのことを理由に俺を試すのはやめてくれ。うんざりだ」
そう言い残し、車は雨の中へ走り去り、赤いテールランプが闇に消えていく。
その時、私のスマホが鳴る。
主治医からの電話だった。
「酒井さん!急いで病室に戻って来てください!お父様が……」
父が息を引き取ったのは夜中1時3分。
父は最後まで入り口を見つめ、戻ってくると約束した未来の婿を待っているようだった。
冷たくなっていく父の手を握りしめ、「私はここにいるよ」と何度も声をかけた。
でも、もう声は届かない。
夜が明ける頃、悠人からメッセージが届いた。
【知紗は落ち着いた。ずっと付き添っていたんだ。お父さんの様子はどうだ?】
私はその文字を、ただ呆然と見つめ続けた。
そして静かに婚約指輪を外し、父のベッド脇の引き出しへそっと置いた。
その時、看護師が入ってきて、父が生前残したという古びた封筒を渡してくれた。
「お父様から、涼子さんが一人になった時に渡してほしいと言われていました」
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