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灰燼に咲く紫の旋律第2話

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東条光(とうじょう ひかる)は満足そうに頷き、彼女の肩を軽く叩いた。

「すべてはこちらで手配しておく。半月後、予定通りに出発しよう」

光に別れを告げた後、澪の枯れ果てた心に、再び生きる希望の火が灯った。

自宅の玄関に着き、無意識に自分の誕生日を暗証番号として入力した。

――ピーッ。エラー音が鳴り響く。

その無機質な音に、彼女はハッと我に返った。たった3年家を空けただけで、暗証番号すら変えられてしまったのか。

彼らが柚奈を異常なほど溺愛していることを思い出し、試しに柚奈の誕生日を入力してみる。

カチャッという音がして、案の定ドアのロックが解除された。

澪は胸に込み上げる苦い思いを無理やり押し殺し、自分の部屋へと向かった。

しかしドアを開けると、部屋の中はすっかり様変わりしていた。

かつてはロマンチックなプリンセス風のインテリアで統一されていた自室が、メルヘンチックなペットルームに改造されていたのだ。

見知らぬ人間が入ってきたのを見た一匹のゴールデンレトリバーが、狂ったように吠え立て、鋭い牙を剥き出して飛びかかってきた。

咄嗟に身をかわさなければ、間違いなく噛まれていただろう。

執拗に飛びかかってくる大型犬を見て、澪の顔面は蒼白になり、呼吸は次第にゼイゼイと荒くなった。獣の毛が宙を舞い、肌に触れた途端、全身に猛烈な痒みが走る。

澪は犬が怖いうえ、犬の毛にアレルギーがあったのだ。

澪は激しく喘ぎ、生理的な涙で視界を滲ませた。足元をふらつかせながら、記憶を頼りに必死で救急箱を探す。

「アレルギーの薬、薬……ッ」

だが、かつて救急箱が置かれていた場所には不釣り合いなクリスタルの置物が飾られており、どこを探しても薬の影すらなかった。

大型犬は彼女が怯えているのを見てさらに興奮し、飛びかかって彼女の足首に噛みついた。彼女は恐怖のあまり無我夢中で暴れた拍子に、誤って犬を蹴り飛ばしてしまう。犬はテーブルの脚にぶつかり、床でキャンキャンと痛ましげな声を上げた。

ちょうどその時、両親、翔、柚奈、そして湊が帰宅し、この惨状を目撃した。

それを見た柚奈は一瞬で涙ぐみ、慌てて駆け寄ると犬を抱きしめ、泣きながら問い詰めた。

「お姉ちゃん、どうして私の犬にひどいことするの!?」

父の瞳にありありと失望の色が浮かび、氷のように冷たい声で叱りつけた。

「少しは反省したかと思っていたが。柚奈や私たちがいないのをいいことに、犬に八つ当たりするとは!言葉も喋れない犬が、一体お前に何をしたというんだ!」

澪のアナフィラキシー症状は限界に達し、気道が腫れ上がって呼吸すらままならなかった。視界は白く霞み、かすかに息が漏れるような声で必死に訴える。

「薬……くすり……」

宙を掻く手は虚しく震え、体全体が今にも崩れ落ちそうだった。

翔は彼女の苦しげな様子を無視し、冷たい表情で苛立たしげに吐き捨てた。

「いい加減にしろよ、澪。三文芝居はやめろ。どんなに苦しそうなフリをしたって、お前が柚奈の飼い犬を痛めつけた事実は変わらないんだぞ!」

湊も冷え切った眼差しで彼女を見下ろし、心底見損なったというように首を振った。「澪、どうして君はそこまで柚奈を目の敵にするんだ」

言い捨てるや否や、一行は犬を抱え、柚奈を労わりながら慌ただしく動物病院へと去っていった。

息がますますできなくなり、視界がブラックアウトしていく。澪がいよいよ死を覚悟したその時、床に転がっていた薬の小瓶に指先が触れた。

彼女は蜘蛛の糸にすがりつくように慌てて蓋を開け、薬を口の中に放り込んだ。

どれくらいの時間が経っただろうか。ようやく気道が開き、息を吹き返した。

彼女は薬瓶を固く握りしめた。あんな窒息の苦しみは、もう二度とご免だった。

初めて犬アレルギーの発作を起こした日のことを思い出す。両親も、翔も、そして湊も、血の気を失って焦り狂い、片時もそばを離れずに看病してくれた。それ以来、彼女を犬に一切近づけさせず、まるで壊れやすいガラス細工のように守ってくれた。

万が一のためにと、いつでも使えるようにアレルギーの薬を常備してくれていたというのに。

だが今は、彼女が重度の犬アレルギーであることすら忘れ去り、あまつさえ仮病を使っていると罵った。

澪の胸に鈍い痛みが走る。あのメルヘンチックに飾り立てられたペットルームを見ていると、全身の血が凍りつくようだった。

自分がどの部屋を使えばいいのか途方に暮れていると、通りかかった家政婦が不機嫌そうに彼女を上から下まで値踏みし、容赦なく言い放った。

「お嬢様、その部屋は現在、柚奈様の愛犬ラッキーちゃんの個室となっております。柚奈様はラッキーちゃんを我が子のように可愛がっておられますから、お嬢様はラッキーちゃんに場所を譲って、客室でお休みください」

今のこの家で、自分の地位は犬以下らしい!

彼女は思わず乾いた笑いをこぼし、薄汚れた布の鞄を握りしめると、一切反論することなく客室に入った。

あの部屋はもう自分のものではないし、これっぽっちも未練はなかった。

両親、翔、そして湊は夜が更けても誰一人として帰ってこなかったが、澪の心は凪いだままだった。

簡単にシャワーを浴び、自分で全身のあざに薬を塗る。昔使っていたスマートフォンはすっかり型落ちしていたが、操作に問題はない。

LINEのタイムラインを開くと、柚奈の投稿が更新されており、動物病院でラッキーのベッドを囲む4人の写真が添えられていた。

誰もが、悲痛な顔をしていた。

澪はしばらくその画面を無感情に見つめた後、携帯を置いて目を閉じ、眠りについた。

翌朝、リビングへ降りていくと、結城家の3人と湊がソファに座って和やかに談笑していた。

彼女の姿を認めるや否や、柚奈が慌てて駆け寄り、強引に腕を引いてソファに座らせた。

「お姉ちゃん、無事に帰ってきたお祝いに、パーティーを開きたいの。今みんなでプランを練ってたんだけど、お姉ちゃんも一緒に話そ?

そうそう、さっきどこまで話してたっけ?」

翔は忌々しそうに眉をひそめて澪を一瞥し、恨み言のように吐き捨てた。

「柚奈、お前はお人好しすぎる。こいつに昨日あんな目に遭わされたのに、復帰祝いのパーティーを開いてやる義理なんてないぞ!」

両親も冷ややかな顔で黙って頷いた。湊は何か言いたげに口を開きかけたが、結局なにも言わなかった。

柚奈は密かに勝ち誇ったように唇を吊り上げると、百合子の懐に顔を埋めて甘え声を上げた。

「もう、お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、湊も、お姉ちゃんを悪く言わないでよ。きっとわざとじゃないんだから。それに、私も昨日の事は気にしてないし、ラッキーも大したことなかったし。今回だけは大目に見てあげてよ」

百合子は彼女の愛らしい仕草に目を細めて笑い、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。

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