深夜の救急現場に夫の不倫を目撃した話第2話
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それが今、こんな醜悪な状況で、彼の口から再び聞かされることになるとは。
今度は、まったく別の女性へと向けられた言葉として。
声を立てて泣くことも許されず、私は自分の腕を噛みしめるしかない――
口の中に広がる血の味。気づけば、右手は、もう血に濡れている。
けれど、なぜか痛くない。
皮膚の痛みより、ずっと深いところで、心臓が引き裂かれるような痛みだけが、鮮明だ。
好司……あなたは分かっている? あなたのその一言が、私を殺しかけているのよ。
ふと、ドアが開く音がした。
明かりが灯され、壁の隅に縮こまった私は、隠れる場所を失った。
「……見ないで!近づかないで。お願い……」
私は頭を抱え、声を絞り出すように懇願した。
それでも、足音はゆっくりと、確実に近づいてくる。その一歩一歩が、私の世界を暗闇に沈めていく。
やがて、その人物は私の前に立ち止まり、静かにしゃがみ込んだ。
流れ出る血が止まらない私の右手を、そっと包み込むその手は、わずかに震えている。
「……姉さん」
私は顔を上げた。
そこにいたのは、恩師の末息子で、二十年近くも家族のように過ごしてきた、千谷隆生(せんたに りゅうせい)だった。
幼くして両親を失い、恩師に育てられた私にとって、隆生は弟のような存在。
その顔を見た瞬間、張り詰めていた心の糸がぷつりと切れた。
「どうして!……
どうして、私にこんなことを……?
いっそ……いっそ殺してくれればよかったのに……!」
私は隆生に縋り付き、押し殺していた嗚咽を、ついに解き放った。
熱い涙が、彼の肩を次々と濡らしていく。
彼は何も言わず、ただ私の背中を繰り返し撫でた。そして、ささやくような声で、確かな言葉を紡いだ。
「もう大丈夫だよ……
僕はずっとそばにいるから」
いつまで経っただろう。全ての感情を使い果たし、私は人形のようにその場に崩れ落ちた。
隆生が私をソファに移し、滅菌ガーゼを持ってくると、涙を浮かべながら震える手で、私の手に包帯を巻いてくれた。そして、ついに抑えていた感情が爆発したように。
「姉さんっ!……
この手のおかけで、どれだけの患者さんの視力を守ったかわかってるのか!
姉さんの執刀を待ち望んでいる患者さんが、どれだけいるか……!なのに、なんで自分を……!」
言葉が詰まったように、彼は俯いた。
「……隆生」
私の声は、ひび割れている。
「好司が、あの子に……『愛してる』って……」
「知ってる……」
隆生は私の言葉を遮った。
「彼らが搬送されてくるのを見かけた。現場の状況も……聞いてる。
お願い!どんなことがあっても、自分を傷つけないでほしい……約束してくれないか」
長い沈黙が流れた後、私はかすかにうなずいた。
隆生は涙で曇った目で私を真っ直ぐに見た。
「でも、好司さんと結婚して十年、誰もが憧れる夫婦だったんじゃないか。
なんか誤解があるのでは?だってあの時、家族の猛反対を押し切ってまで姉さんを選んだ好司さんの気持ちは、本当だったはず!
一度……ただ一度でいい。好司さんの話を聞いてあげたら……どう?」
隆生の言葉が、私を十年前のあの日々へと連れ戻した。
あの頃の私は、財産も身分もコネも何一つない、裸一貫の駆け出し医者。
好司は、私が初めて執刀を任された患者。
私は、彼を失明寸前の絶望から救い出した。そして包帯を解かれた時、彼が最初に目にしたのは、私の姿だった。
「まるで、長い闇の中に差し込んだ一筋の光のようだ」――彼はそう言い、恵まれた家に育ちながら、私という存在に心を奪われたのだった。
出会い、触れ合い、愛し合う日々。けれど、私たちの前には大きな壁が立ちはだかった。
好司の両親の、断固たる反対。
その理由は、ただ一点。私がほぼ何の財産も持っていない人間だったから。
好司の父親が病院まで押し掛け、廊下で私を大声で罵倒した光景を、今でも鮮明に覚えている。
「その口車でうちの息子はダマせても、この俺がダマせると思うなよ!」
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