消去するモレッティ夫人第2話
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「……うっかり火傷しちゃって、ガーゼをあてたの」自分でも驚くほど、声が冷たく響いた。
ダンテの手が宙で止まる。かつて私が見つめるだけで迷い込んだ、あの茶色の瞳が疑念に揺れた。
でも、もう違う。私は五年前の、世間知らずな音大生じゃない。
モレッティ家の晩餐で完璧な笑顔を貼り付ける術も、血と裏切りの渦の中で、気品を失わずに生き延びる術も――もう身につけた。
「プレゼントがあるの」
ソファに置いてあった、深い青の箱を手に取り、テーブルの上を滑らせる。
箱は軽い。中身は、私たちの結婚写真――爪ほどの大きさにまで、細かく切り刻まれていた。
ダンテは箱を手に取り、驚きに満ちた表情で首を傾げる。
「今日って、何かあったっけ?もしかして俺、何か忘れてる?」
箱は開けず、そのままテーブルに置くと、彼は私の頬に手を伸ばしてきた。
私は一歩下がる。完璧な笑顔は崩さないまま。
「本当に覚えてないの、ダンテ?今日は、私たちの結婚五周年の記念日よ」
まるで平手打ちでも食らったみたいに、彼の顔が強張った。一瞬だけ浮かぶ、嘘が露見した男特有の焦りと罪悪感。
「アレッシア……ああ……」
彼は私に手を伸ばす。
「最近ファミリーのことでゴタゴタしてて、完全に――」
「大丈夫よ」
彼の体から漂う、別の女の匂いを吸い込まないよう、さりげなく身を引く。
「分かってるわ」
「いや、それで済むわけがない」
彼は私の手を掴んだ。強い力で。
「ちゃんと祝おう。今すぐ馬場に行こう。お前、あそこが好きだろ?昔みたいに馬に乗って、日の出を見るんだ」
――昔、ね。
一緒に乗馬したのは三年前が最後。あの頃の彼は、耳元にキスして「お前は俺の女王だ」と囁いていた。
今の彼は、結婚記念日すら覚えていない。
それでも私は頷いた。
「……うん。いいわね」
逃げる準備を整えるには、愚かな妻を演じ続けるしかなかった。
午前四時。
ダンテは無理やりロマンスを演出するかのように車を走らせ、私たちの結婚式の曲――「ラ・ヴィ・アン・ローズ」を流す。
「忘れてて本当にごめん、ベイビー」
ちらりと私を見る。
「俺がお前をどれだけ愛してるか、分かってるだろ?」
私は答えなかった。
助手席のドアポケットに手が触れ、布の感触がした。引き出すと、安っぽい黒のレースのタンガが落ちてきた。
……私のじゃない。
何も見なかったふりをして、そっと元に戻した。虚しい言い訳なんて、もう聞く気はなかった。
空が白み始める頃、私たちは馬場に着いた。
三十分ほど馬を走らせる間、ダンテは必死に、昔の親密さを再現しようとする。
私が通り過ぎるたびに写真を撮り、わざとらしく褒め、日の出を指さしては、安いロマンチックな台詞を吐く。
馬場のスタッフまで調子に乗る。
「モレッティさん、本当に奥さんのこと愛してらっしゃるのですね。男としても嫉妬しちゃいますよ!」
私は黙ったままだった。
そのとき、彼のスマホが鳴る――特別な着信音。
「ごめん、ベイビー。ちょっと出る。緊急のファミリー案件だ」
私の額に軽くキスし、彼は馬をパドックの端へ走らせた。
私は静かに車へ戻り、ダンテが隠し持っている予備スマホを手に取る。
画面には、「子猫ちゃん」との同期チャット。
【子猫ちゃん:会いたいよ……明日、新しい体位試さない?新しいおもちゃも使って】
【ダンテ:もちろん。前回、まだ足りなかったみたいだな】
【子猫ちゃん:私が欲張りだからこそ好きでしょ?あの黒のレース、あなたが好きなやつ着るね。幸せにしてあげる】
【ダンテ:楽しみにしてる】
生々しい言葉が、容赦なく流れていく。
今夜だ。ウェスティンのプレジデンシャルスイート。シャンパンも、赤いバラも、すでに手配済み。
ダンテが戻ってきたとき、彼はまた「献身的な夫」の仮面を被っていた。
「一瞬見えなくなって、焦ったよ」
隣に並び、私の手を取る。
「いなくなったかと思った」
胃がひっくり返る。喉元までこみ上げるものを、もう抑えられなかった。
「アレッシア、大丈夫か?」
心配そうに覗き込む。
「顔色が悪いぞ」
限界だった。
いやらしいメッセージ。他の女の匂いが染みついた下着。偽善的な優しさ。
そのすべてが、体ごと拒絶反応を起こさせた。
私は勢いよく車のドアを開け、外へ飛び出す。茂みに膝をつき、すごい勢いで吐いた。
胃の中のものが、すべて出ていく――まるで、この五年間の結婚生活そのものを吐き出すみたいに。
「アレッシア!」
ダンテが叫び、車を降りてくる。
「どうしたんだ!」
私は地面にうずくまり、嗚咽しながら吐き続けた。涙と胆汁が混じり、口元を汚す。
これは、悲しみだけじゃない。
――怒りだった。
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