消去するモレッティ夫人第3話
この話は約1690字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
「ベイビー、きっと何か変なものを食べたんだ」
ダンテはそう言って、私を車に戻し、水のボトルを差し出した。
「病院に行こう」
私は弱々しく首を振る。
「大丈夫……最近、ちょっとストレスが溜まってただけ」
彼は少し考え込み、それから言った。
「明日の夜、ガラパーティーがある。気晴らしには丁度いいかもしれない」
一拍置いて、わざとらしく微笑む。
「モレッティ夫人。俺と一緒に来てくれる?」
その瞬間、頭の中に鋭く冷たい考えが浮かんだ。
私は微笑み返す。
「もちろん。場所はウェスティンがいいな。あそこの料理、好きなの」
ダンテの目に、一瞬だけ焦りが走る。けれどすぐに消えた。
「もちろんだよ、ベイビー。お前の望むままに」
すぐに部下に手配させる、と付け加える。
彼の考えは、手に取るように分かっていた。
私たちが同じホテルに現れたら、愛人と鉢合わせる危険が高すぎる。
でも――体調の悪い妻のささやかなお願いを、断れるはずがない。
屋敷に戻ると、ダンテは異様なほど甲斐甲斐しかった。
スープを作り、ベッドから動くなと言い、毎時間、様子を見に来る。
まさに完璧な夫と呼べるほどの振る舞いだ。
けれど、彼の予備スマホには、はっきり残っていた。
【予定変更だ。明日20時半、地下のプライベート・ワインセラーで会おう。人目がない。もっとスリリングだ。高級な赤ワインに囲まれながら抱き合うところを想像してみろ……】
【最高!あなたの好みのあの赤いドレス着ていくね。下は何も着ない】
シャワーの水音が止まり、私は現実に引き戻された。急いでスマホを元に戻す。
タオル一枚を腰に巻いただけのダンテが出てくる。
水滴が、鍛え上げられた胸を伝う。
――五年前なら、心臓が激しく上下していたであろう。でも今は、ただ嫌悪しか生まれない。
「少しは良くなったか?」
ベッドの端に腰掛け、私の額に手を当てる。
私は頷き、ふと思い出したように言った。
「そうだ。渡し忘れてた」
ナイトテーブルから、あの青い箱を取り上げる。
「結婚記念日のプレゼント。渡すの、すごく楽しみにしてたんだ」
彼が開けようとした、その瞬間。
「――待って」
私は彼の頬に指を滑らせる。
「一週間、待ってからね。ちょっとしたサプライズだから」
困惑した顔。
「なんで一週間?」
意味ありげに微笑む。
「その頃には、このプレゼントの本当の意味が分かるから」
ダンテは肩をすくめ、箱を引き出しにしまった。
「分かったよ。お前がそう言うのなら」
翌朝。
ダンテは早起きしてキッチンに立っていた。
目玉焼き、ベーコン、搾りたてのオレンジジュース。そして、私の大好物――完璧なエスプレッソ。
完璧な夫による、完璧な朝食。
そのとき、玄関のベルが鳴る。
部下のマルコが、無地の茶色い紙袋を手に立っていた。
「ボス、頼まれてたものです」
彼は落ち着かない様子で視線を泳がせる。
私は見逃さなかった。袋の中から覗く、小さなベルベットの箱。
――今夜の密会用だ。
マルコが帰ると、ダンテは何事もなかったかのように席に戻った。
私はコーヒーをかき混ぜながら、何気ない声で言う。
「ねえ、ダンテ。聞いてもいい?」
「何でも」
顔を上げる。
「結婚において、忠誠ってどれくらい大事だと思う?」
彼のフォークが一瞬だけ止まり、すぐに卵を切り続けた。
「すべてだ。忠誠こそ、俺たちの世界の土台だ」
「そう?」
無垢な妻を演じて、首を傾げる。
「じゃあ……私を裏切ったことは、一度もないの?」
ダンテは即座にフォークを置き、首から下げた銀の十字架に手を伸ばした。
父から受け継いだ、モレッティ家にとって神聖なもの。
「父の墓に誓う」
まっすぐ私を見つめ、厳粛な声で言う。
「俺は一生、お前だけに忠誠を誓う。アレッシア。お前は俺の妻で、俺の女王で、この世で唯一の、俺の女だ」
――完璧な演技。
真実を知っていなければ、きっと感動で泣いていた。
「じゃあ」
カップを持ち上げ、氷のように冷たい目で言った。
「もし裏切ったら、どうなるの?」
何も疑わず、彼は気楽に笑う。
「そのときは、すべてを失えばいい。亡霊が如く、この世を彷徨うさ」
「ええ、あなた」
コーヒーの苦味を噛みしめながら、私は囁いた。
「その言葉――必ず守ってもらうわ」
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