永遠に、お前を失った第2話
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目の前の皿には、殻を剥いたエビが小山みたいに積まれていた。
けれど私はただ、冬真が袖をまくった手首を、ぼんやりと見つめていた。
……あのゴム、誰の?
胸の奥がぞわっとして、もう食欲なんてどこかへ吹き飛んでいた。
自分の手でエビを剥いてくれる人だからって、それが愛とは限らない。
結婚して十年、記念日を欠かさず覚えてくれる人でも、愛してるとは限らない。
指輪を風呂のときでさえ外さないような人でも――それでも、愛じゃないこともある。
そういうこと、全部冬真が教えてくれた。
まだ子どもの頃、幼なじみだった二人、さらには釣り合いの取れた家柄。
でも、それは全部――冬真と、私の姉、稲留美遥(いなどめ みはる)の話。
私はその風景の、ほんの端っこにいたに過ぎない。
恋愛なんてまだ何も分からない頃から、
九条家とうちが将来ひとつになるって話は聞かされてた。
姉が彼と会うたびに、頬を赤らめていたことも知ってる。
そして、あの傲慢で名高い冬真が、姉の前ではやけにおとなしくしていたことも。
だから、私は……
こっそり彼の好きそうなレコードを集めていたけど、結局、全部しまい込んだ。
三人で過ごしていたあの頃、私はいつも姉の影だった。
日が昇りきるように、ふたりの関係が深まっていくなかで――
私の居場所なんて、最初からなかった。
そんなふたりの関係に、突然の終わりが来たのは、姉が二十歳になった年。
いつも品のあった姉は、婚約式の前夜、家を出てしまった。
けれど……その翌日、あの飛行機事故で帰らぬ人になった。
同時に、姉が残した日記が見つかった。
そして、九条家が抱えていた破綻寸前の危機と、その裏の醜さも――
もう隠しようがなくなった。
あの奥ゆかしさも、恥じらいも、全部演技だったんだ。
姉はずっと、親の都合に振り回される「取引材料」として生きてきた。
お見合いの裏には、夢のような恋なんて存在しなかった。
あるのは、私の両親の計算と打算だけ。
あの時、姉がたった一度だけ、自分のために選んだ道――
それが、命を賭けることになるなんて。
私はほとんど、稲留家の最後の望みを背負うような形で、
急かされるまま冬真との婚約を決めて、結婚まで進められた。
九条家の顔を立てるために。
破綻寸前だった我が家を救うため。
そのすべてが終わるまで、私はそれが「悲しみ」なのか「喜び」なのか、考える暇もなかった。
――たとえ代わりだったとしても。
私は昔から心の奥で思い描いていた人と、結婚したのだ。
でも、指輪を交換したあの瞬間――ときめいていたのは、私だけだった。
新婦への口づけの場面では、冬真は私の唇をかすめただけで、こう言った。
今でも胸に刺さる、あのひと言。
「嫌なら、なんで無理してまで――」
あの時、私たちは「必要なものを得るための結婚」って、お互いに納得したはずだった。
だけど……十年の歳月が過ぎて――
裏切ったのは、私の方だったのかもしれない。
彼は、表面上は私のために完璧だった。
でも、その中に「愛」だけは、どうしても見つからなかった。
宴が終わったのは、深夜を過ぎてからだった。
お酒のせいか、それともただの頭痛か。もう分からない。
車に乗り込むと、私はそのまま半分眠ったような状態で座っていた。
ぼんやりした意識の中、聞こえてきたのは、冬真がスピーカーモードで誰かと話している声だった。
……新しい子と、甘い声でやり取りしている。
愛の言葉を繰り返すその声に、彼は楽しそうに応じていた。
彼は飽きずに話し、私はもう聞き飽きていた。
少しの間があって――
ふと、彼の手が私の額に触れたような気がした。
その直後、車が急ブレーキを踏み、彼が短く罵声を吐いた。
「……くそ、お前、熱あるじゃねえか。なんで言わねえの」
電話を切る音がして、彼は慌てた様子で私に上着をかけてくる。
その時、聞こえた。
彼がぽつりと呼んだ、私の名を――
「……心音(ここね)」
たぶん私は、熱のせいで頭が回ってなかったんだと思う。
だから、笑うしかなかった。
彼は、いつだって私のことを苗字で呼んでいた。
まるで――私に「勘違い」なんてさせたくないかのように。
稲留家の娘として彼が選んだのは、私じゃなくて……姉の方だった。
……人は、体を壊すと弱くなる。
でも、そのぶん妙に冷静にもなる。
込み上げるのは、どうしようもない倦怠感。
冬真に対して、ずっと報われなかったこの気持ちに対して。
車は再び動き出した。スピードも揺れも、もう感覚がついていかない。
彼は何度も電話を取って、何かを繰り返してた。
「すぐ着く、もう少しだけ……大丈夫、医者もいる、間に合うから――」
……それが現実だったのか、ただの幻だったのか。
その境目すら分からないまま、車は止まった。
私は重たい頭を上げて、
冬真がシートベルトを外して車を飛び出す姿を見送った。
彼が駆け寄った先には、病院の入口で肩を震わせている、あの細い影――凛花がいた。
そしてそのまま、彼女をぎゅっと強く抱きしめた。
さっき彼が口走っていた意味不明の言葉たちが、ようやく、ひとつの意味を持って浮かび上がる。
「待って、ね?もうすぐ着くから……いい子だから、お願い、無茶しないで」
その一語一句が、彼女に向けられたものだった。
そう遠くもない距離から、私は聞こえた。
凛花の、抑えきれないすすり泣き。
そして、冬真のあの優しい声も。
「君に体を傷つけさせるようなこと、俺がさせると思う?もういいよ、別れるなんて言わない。子どものことも、ちゃんと考えよう」
……その言葉のひとつひとつが、心を抉った。
痛みに引きずられるようにして、私は思い出してしまった。
――私たちが結婚して半年目のこと。
実は、あのとき私も、子どもを授かっていた。
あの頃の私は、九条家に頭を下げ、気を遣いながら過ごしていた。
そして同時に、稲留家のために奔走していた。
けれど……私が気づく前に、お腹の中の命は、静かに、止まっていた。
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