春風も、君も、二度と戻らない第2話
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心の中にはさざ波のように感情が渦巻いていた。
けれど枝里の表情は、水面のように静かだった。
「何かって?別に。ちょっと疲れただけよ。休ませてもらうわ」
微笑みながら、彼女はそっと言った。
翔真は眉をひそめ、さらに言葉を続けようとしたそのとき―
美羽が軽やかに駆け寄り、彼の腕にしなだれかかった。
「翔真さん〜、まだゲーム終わってないよ!今日は結婚前の最後の独身パーティーなんだから、枝里さんのことばかり気にしないで、こっちにも付き合ってよ。ね?パーティーが終わったら、山に日の出を見に行こう?」
上目遣いで彼を見つめるその瞳は、甘ったるく計算された光を宿していた。
長い沈黙の後、翔真は無言で彼女の髪を優しく撫でた。
「わかったよ。今日は、付き合ってあげる」
枝里はふっと笑みを浮かべ、何も言わずに階段を上っていった。もはやその二人に、心を乱されることはなかった。
パーティーの喧騒は夜更けまで続き、彼女はベッドに横たわったまま、目を閉じてもなかなか眠れなかった。
ようやく、遠くで車のクラクションが響く。彼らが別荘を去ったあと、屋敷には静寂が戻った。
翌朝、スマートフォンを開くと、通知は「99+」
美羽から、延々と写真が送られてきていた。
どれもが翔真とのツーショット―まるで見せつけるように。
テントの前で、彼が彼女の肩に上着をかける写真。
前髪を優しく整える写真。
彼の肩にもたれて、日の出を見つめる微笑ましい写真。
……
画面のいちばん下に、どこか飄々としたひと言が添えられていた。
【きゃ〜っ、ごめんなさいっ☆自分用に保存しようとしたのに、うっかり枝里さんに送っちゃった〜。怒らないでね?翔真さんは妹としてしか見てないから、優しくしてくれただけだよっ!】
枝里は静かに笑った。指先で、淡々と文字を打ち込む。
【大丈夫よ。これから、翔真は『妹』のあなたに譲るわ】
送信ボタンを押したその瞬間、もう迷いはなかった。
彼女は黙々と、出発前に処分すべき「過去」の整理に取りかかった。
書斎のキャビネットを開けると、懐かしいラブレターの束が出てきた。それは、翔真が彼女を追いかけていた頃、何度も書いてくれたものだった。
けれど―
今、その便箋の上には、黒いインクが無数に走っていた。
どの手紙も、彼女の名前は無惨にも塗りつぶされ、そこに記されていたのは「美羽」という名前。
さらに、過去の思い出の写真には、彼女の顔がナイフでくり抜かれ、そこに貼られていたのは、満面の笑みを浮かべる美羽の顔だった。
まるで、彼女に「成り代わった」かのような偽物の笑顔。
枝里は表情一つ変えず、ライターを取り出して火を灯した。手紙も写真も、一枚ずつ火の中へと放り込んでいく。
炎が勢いよく燃え上がり、過去の記憶を食らうようにパチパチと音を立てた。
その瞬間、扉が開いた。そこにいたのは翔真だった。
燃え上がる炎を見た彼の顔色が一変し、何のためらいもなく火の中へ手を突っ込んだ。
火傷の痛みすら感じていないのか、彼の目にはただ燃えゆく「記憶」しか映っていなかった。
ようやく火を消し、写真を救い出した彼は、焦った声で言った。
「枝里……なんでこんなことを……?あれは、俺たちの思い出だろ?年を取ったら、子どもたちに話して聞かせようって、言ってたじゃないか……」
そう言いながら、彼は写真の灰を払った。
だが、そこに映っていたのは、自分と「美羽」の笑顔だった。
彼の指が止まり、言葉が喉につかえて出てこなかった。
沈黙のあと、ようやく震える声で言った。
「美羽は、ただの小娘だから。ちょっとした、いたずらみたいなもので……」
小娘?あの子はもう大人でしょう。
枝里は微かに唇を引き上げ、淡々と告げた。
「好きなら、ずっと取っておけば?毎日、眺めればいい」
そう言って背を向けた。
その背中を見て、ようやく翔真は彼女の怒りに気づく。
慌てて彼女を後ろから抱き締め、耳元で懇願するように囁いた。
「ごめん、枝里……昨日のゲームのこと、怒ってるんだよな?
あれは、ただの冗談だったんだ。遊びの延長で……俺の心には君しかいないよ。君だけを……ずっと愛してる。君なら分かってくれるよな?」
その低く、優しい声―
以前なら、それだけで彼女の心は揺らいだだろう。
けれど今の彼女には、何一つ響かなかった。
沈黙を保つ彼女に焦った彼は、さらに誓いを重ねた。
「枝里、誓うよ。俺はこの先、一生、君だけを愛する。他の誰でもない。
もしそれを裏切ったら……すべてを失って、誰にも愛されずに一生孤独で終わっていい。そう誓う!
もう二度と、美羽に勝手なことはさせない。俺のものに触れさせない。約束する」
枝里はゆっくりと振り返った。
彼の端正な顔立ち。まっすぐに自分を見つめるその瞳―どこまでも誠実に見えた。
もし「昔の彼女」だったなら。
この言葉だけで、きっとすぐに許してしまっていただろう。
でも今の彼女は静かに、その腕をほどいた。
「もう、遅いわ。そろそろ、休ませてもらう」
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