愛を値踏みした夫に、さよならを第2話
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翌朝、空が白み始めたばかりの頃、亜美からLINEが届いた。
【沙耶さん、お腹がすごく痛くて……盲腸かもしれません】
【一人暮らしで、もし何かあったらと思うと怖くて……病院まで付き添ってもらえませんか?】
画面を見つめたまま、しばらく指が動かなかった。
結局、私は亜美に付き添って病院へ行くことにした。
病院に着いた頃には朝の受付が始まっていて、院内はすでに多くの人でざわついていた。
受付で亜美が腹痛を訴えると、看護師は痛む場所を確認してから、少し首をかしげた。
「この辺りの痛みだと、盲腸とは限らないですね。念のため、先に2階の婦人科で診てもらいましょう」
「婦人科……?」
亜美は一瞬体をこわばらせ、表情を曇らせた。
検査を受けてほどなく、亜美が妊娠6週目だと分かった。
けれど、妊娠を告げられても、亜美はほとんど動揺していなかった。
亜美は私を振り返り、何気ない口調で尋ねた。
「沙耶さん、結婚して長いですよね。妊娠したことも、ありますよね?
自分がお母さんになるって分かったとき、どんな気持ちでした?」
答えようとしても、喉の奥が詰まって声にならなかった。
結婚して3年。私は二度、子どもを失っていた。
最初の子を失ったのは、会社を立ち上げたばかりの頃だった。毎日のように営業先を駆け回り、無理が重なって倒れ、そのまま流産した。
その後も、アルコールを受け付けない和也の代わりに接待の席で酒を飲み続けた。胃出血で病院に運ばれたとき、二人目も流産していたことを知らされた。
それをきっかけに体を壊し、体外受精を続けた。何度も注射を打ち、治療を重ねたけれど、それでも妊娠することはなかった。
どこか挑発めいた亜美の表情を見て、何か言おうとした、そのときだった。
廊下の奥から、息を切らした和也が駆けてきた。ネクタイは曲がり、額には汗が浮かんでいた。
「沙耶、どうした?会議の合間に位置情報を見たら、病院にいるって出て、本気で焦ったぞ」
隣にいた亜美が唇を噛み、小さな声を出した。
「和也さん……ごめんなさい。私が沙耶さんを呼んだんです……」
和也は亜美を見るなり、冷たい声で言った。
「具合が悪いからって、勝手に沙耶を呼び出すな。迷惑かけるな」
ところが、亜美は怯む様子もなく、意味ありげに和也を見た。
「ごめんなさい……でも私、体力ないじゃないですか。
この前だって和也さんに、もっと体力つけろって言われたばかりなのに……」
二人は一瞬だけ視線を交わした。
その一瞬で、二人の間にただならぬ親密さがあることを嫌でも察した。
そのとき、和也は亜美が手にしていた検査結果に目を留めた。
「妊娠……?」
亜美は唇を噛み、目に涙を浮かべた。
「和也さん、沙耶さん……ごめんなさい。私……中絶しますから」
亜美は俯いたまま鼻をすすった。
「相手は悪くないんです。私が軽率だっただけで……」
「中絶」と聞いた途端、和也の表情が変わった。
「沙耶、このまま放っておけないだろ。
中絶だって体に負担がかかる。何かあってからじゃ遅い」
和也は私を見て、ため息をついた。
「沙耶なら分かるだろ。妊娠中は何があるか分からないんだから。
まずはちゃんと先生に診てもらおう。必要なら入院させればいい。今はそれが先だ。
せっかく授かった命なんだ。そんな簡単に決めることじゃないだろ」
和也の言葉がひとつひとつ、胸の奥に突き刺さった。
忘れたつもりでいた傷まで、容赦なくえぐり返されるようだった。
私が何も言えずにいる間に、和也はスマホを取り出した。
ほどなくして、私のスマホが震えた。
画面に表示されたのは、2000万円の振込通知だった。
昨日の600万円の3倍を軽く超える額だった。
和也は私の肩を抱き、声を落とした。
「亜美は4年も沙耶が支援してきた相手だろ。こんなときに放っておけないじゃないか。
一人暮らしで頼れる人もいないんだろ?だったら、俺たちが手を貸すしかない」
画面に表示された金額を見つめているうちに、思わず笑いが漏れた。けれど、涙も止まらなかった。
和也は戸惑ったように私を見て、涙を拭おうと手を伸ばした。
「沙耶……」
「……私たちしか頼れないんだ?」
私は顔を上げ、和也を見た。
「もういいよ、和也。芝居はやめて。
その子の父親が誰か、わざわざ私に言わせるの?」
平静に言ったつもりだったが、声は震えていた。
和也の顔色が変わり、伸ばしかけた手が止まった。
「何言ってるんだ……」
亜美がお腹に手を添えるのが目に入り、胸が締めつけられた。
「妊娠6週目なんでしょ。いつ頃できた子かくらい、分かるよね。あの頃、二人ともずいぶん忙しかったみたいだし」
「……自分が何言ってるか分かってるのか?」
和也が一歩詰め寄り、私の手を取ろうとした。
「自分の子じゃないって、本気で言い切れる?」
私は反射的に身を引いた。もう、和也に触れられることさえ嫌だった。
「和也、離婚しよう」
誰もすぐには何も言わなかった。
私は和也の肩を押しのけ、そのまま病院を出た。
外に出て冷たい風に当たったところで、ようやく気づいた。立っているのもやっとなほど、体が震えていた。
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