愛を値踏みした夫に、さよならを第3話
この話は約1673字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
病院を出た私は、その足で会社へ向かった。
和也と二人で、何もないところからここまで育ててきた会社だ。離婚するとしても、自分の持ち株まで手放すつもりはなかった。
ところが最上階の会議室に入ろうとしたところで、以前は私の顔を見るたびに頭を下げていた取締役の一人に呼び止められた。
「奥様、申し訳ありません。今日は役員だけの会議ですので、こちらにはお入りいただけません」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
思わず乾いた笑いが漏れ、行く手を遮る男の手を払いのけた。
「私、取締役で、この会社の第2位株主なんだけど。いつから役員じゃなくなったの?」
取締役は気まずそうに目を伏せ、手元の資料を開いた。
「奥様は1年前、不妊治療に専念するため、保有株の管理と議決権を社長に一任する書類に署名されています。
現在、会社の意思決定権はすべて社長にあります」
頭の中が真っ白になった。
1年前、私は体外受精がうまくいかず、心も体も疲れ切っていた。
そんなとき、和也が分厚い書類の束を持ってきた。手続きに必要だからと言われ、私はろくに中身も確認せず署名した。
まさか、あのときから私を経営から外すつもりだったなんて。
信じたくなくて、その足で法務部へ向かった。
法務部長は私と目を合わせようともせず、震える手で資産明細を差し出した。
「奥様……保有されていた株式は、3か月前にすでに譲渡済みです。
今、奥様のお手元に残っているのは……社長から渡されている家族カードだけです」
3年間、私は身を削るように働き、徹夜の会議も一度や二度ではなかった。
それなのに、私が不妊治療に追われている間に、和也は私の知らないところで持ち株を奪い、取締役の地位まで取り上げていた。
「和也!」
私は社長室のドアを蹴るようにして開けた。
和也は椅子に深く腰掛け、驚く様子も見せなかった。まるで、私が来ることなど最初から分かっていたようだった。
泣き腫らした私の目に気づくと、和也は眉をひそめた。
「沙耶、なんで会社に来たんだ?疲れてるだろ。無理するな、座れよ」
立ち上がって近づいてきた和也を、私は思い切り押しのけた。
「私の株、どういうこと?私を取締役から外したのも、和也なの?」
持っていた書類を、和也の前に叩きつけた。
和也はため息をつき、ゆっくり椅子に座り直した。その顔は、腹が立つほど真剣だった。
「怒るのは分かる。でも俺はもう、沙耶が治療で苦しむのを見たくないんだ。亜美は若いし、体も丈夫だ。だったら、亜美に産んでもらえばいい。
生まれたら、子どもはこっちで引き取ればいい。沙耶が育てて、亜美には金を渡して海外に行ってもらう。それで全部終わりだ。
沙耶はもう無理して働かなくていい。家で何不自由なく暮らせばいいだろ。それで十分じゃないか」
和也は本気で、私が怒っている理由を理解していないようだった。
胃の奥がむかついた。
10年も一緒にいたのに、私はこの人の何を見ていたんだろう。
「和也、本気で言ってる?
私が4年も支援してきた子と不倫して、妊娠させて、生まれた子を私に育てさせるつもり?
それを私のためだなんて、よく言えるね。……本当に気持ち悪い。
離婚する。私の株は返して。取締役にも戻して。それが済んだら、もう二度と関わらない」
和也の表情から、すっと温度が消えた。
「沙耶は甘いよ。10年も経てば、人だって変わる。
離婚する気はない」
和也はスマホに目を落とした。
「本当は、生活に困らないようにしてやるつもりだった。でも、そこまで意地を張るなら……」
数秒後、私のスマホが立て続けに震えた。
和也から渡されていた生活費用の口座も、家族カードも、すべて使えなくなっていた。
そのとき、和也のスマホが鳴った。
画面を確認した和也は、スピーカーで電話に出た。
すぐに、亜美の甘えるような声が聞こえてきた。
「和也さん、先生が赤ちゃんは順調だって。心拍もちゃんと確認できたって。
いつ会いに来てくれるの?」
和也は一度だけ私を見て、短く返した。
「仕事が片づいたら行く」
通話を終えると、今度は私に向き直った。
「しばらく頭を冷やして考えろ。
気が変わったら、戻ってこい」
縦書き表示中:本文は右から左へスクロールします(← → キーでも移動できます)
第4話は公式アプリで
当サイトでの試し読みはここまでです。アプリをインストールし、下のアプリ用コードを入力すると、この作品の第4話からそのまま読み進められます。
S58609- 下のボタンから公式アプリをインストールします(無料)。
- アプリを開き、「コードを入力」にこのコードを入れると、この作品が本棚に入ります。
作品ページへ戻る 当サイトに掲載しているのは試し読みの章だけです。