愛は、花を慈しむように第3話
この話は約1514字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
再び目を覚ますと、美和は病室のベッドの上にいた。
ぼんやりとした視界の先で、佐藤医師が赤くなった目を伏せ、申し訳なさそうに告げた。
「……ごめんね、美和さん。赤ちゃんは……助からなかったわ。……でも、大丈夫。またきっと授かるから」
この数年、美和がどれほど痛みに耐え、どれほどこの命を望んでいたかを、佐藤医師は誰よりも知っていた。
手術を終えた後、佐藤医師は看護師たちの噂話の一部を耳にし、診察室の外で起きたことを初めて知った。
医師としては何も言えず、ただ無力に慰めることしかできない自分を、佐藤医師は歯がゆく思っていた。
美和は放心したまま天井を見つめ、かすれた声で呟いた。
「……もう、次なんて……ありません」
佐藤医師はため息をつき、「ゆっくり休んで」とだけ告げ、そっと病室を出ていった。
ひとり残された病室で、美和は布団を引き上げて顔を覆い、声を殺して泣いた。
あれほどまでに、子どもの誕生を心待ちにしていた自分が、今、その喪失に押し潰されている。
心が裂けるように痛み、呼吸さえままならず、まるでこのまま死んでしまいそうな錯覚に囚われた。
唇を噛みしめながら、心の奥で叫んだ。
――言弥……どうして、そんなに冷たいの。
やがて泣き疲れた美和は、深い眠りに落ちた。
目覚めたのは翌朝だった。美和はようやく現実を受け入れたのだ。
最も近しい人に、自分のすべてをかけて守ろうとしていた夢を、あまりにも簡単に打ち砕かれた。
夢は砕け散り、自分もまた目覚めるときが来たのだ。
美和はスマホを取り出し、虚ろな目で恩師へメッセージを送った。
【先生、海外研修に同行させてください。手配をお願いします】
恩師からの返信はすぐに届いた。
【了解。ビザは一週間で下りるわ。旦那さんとはよく話し合っておいて。行ったら、一年は帰れないから】
旦那さんと話す……?
もうすぐ、旦那ではなくなる──
一瞬ためらったが、美和はすぐに【わかりました】とだけ返信した。
入院は五日間に及んだ。
その間も、言弥からは以前と変わらない調子で、毎日欠かさずLINEが届いた。
【美和、今日は残業でクタクタだ。本当は君と一緒にいたい】
【美和、君がいないと、大好物の酢豚を食べてくれる人がいなくて寂しいよ】
【美和、まだ怒ってる?帰ってきてくれないか?会いたいんだ】
一言一句に愛情が溢れていたが、美和は一度も返信しなかった。
なぜなら、さやかのSNSで、全く別人の姿を見てしまったからだ。
【藤原社長って本当に優しい。ベビー服も一緒に選んでくれた】
【社長の作る料理って本当に最高!今まで食べた中で一番美味しい酢豚!】
【社長が自ら用意してくれた子ども部屋。これから一緒に暮らせるね】
それは明らかに、美和へ向けられた挑発だった。
一度奪ったものを誇示しながら、さらに奪おうとしている。
その気持ちすら、美和には痛いほど理解できてしまった。
だが、何よりも耐え難かったのは、五年間共に暮らし、寝食を共にした男の演技の巧妙さだった。
「愛している」と囁きながら、他の女に子を宿し、世話を焼いている。
どちらが本当の言弥なのか、もうわからなかった。
本当に、私だけを愛してくれた言弥なんて存在したのだろうか――
最後に、美和はスマホの録画ボタンを押し、淡々とSNSの画面をひとつずつ録画していった。
退院の日、佐藤医師だけが病室に訪れ、タクシーを手配してくれた。
「退院しても無理は禁物よ。何があっても、あなたの健康が一番だから」
美和の瞳に涙が光り、強く頷いた。
最も助けを求めた時、彼女の心を唯一温めてくれたのは、この白衣の天使だけだった。
一方で、「一生守る」と誓った男は、別の女性と笑い合っている。
もう二度と、彼を必要とすることはないだろう――。
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