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愛は沈み、霧だけが晴れ渡る第2話

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翌日、放課後になるとすぐに、詩織は校長へ辞表を提出した。

校長は惜しんでくれた。詩織は長年ここで教師を務め、生徒たちからも慕われている。だが、彼には引き留める権利がないことも分かっていた。

「君がいなくなるのは寂しいが、仕方がないな。君と桐島さんのおしどり夫婦ぶりは有名だ。遅かれ早かれ、任地へ帯同することになるだろうとは思っていたよ。彼も、君を一人にしておくのは心配だろうしね」

誰もが、詩織と宗一郎を理想の夫婦だと思っている。その全てが、偽りだとも知らずに。

「校長、それは違います。あの人は……」

言いかけた詩織を、校長は分かった分かったと手で制した。「いいんだよ、照れなくても。私にも若い頃はあったからね。それに、君たちもそろそろお子さんを考える時期だろう?」

詩織は言葉を飲み込んだ。かつて宗一郎を救おうとして重傷を負い、彼女は代償として子供を産めない体になった。

長年、桐島家の親族たちは詩織に冷たかったが、この件についてだけは決して責めなかった。

詩織はずっと、それが宗一郎が両親と戦って守ってくれた結果だと思っていた。

だが違ったのだ。宗一郎には、とっくに自分の子供がいたからだ。跡取りがいるから、詩織を責める必要がなかっただけなのだ。

詩織は黙り込み、それ以上説明するのをやめた。

クラスの引継ぎは後任の教師が行う。詩織に残された仕事は、あと数日で身辺整理を済ませることだけだ。

校門を出ると、少し離れた並木道の下に見慣れた人影があった。宗一郎だ。傍らには車が停まっており、中には人の気配がある。

一緒に下校していた同僚の教師が冷やかす。「あら、桐島さんだわ。詩織先生のお迎えね、羨ましい」

宗一郎はこちらに気づくと、すぐに顔を上げ、小走りで駆け寄ってきた。そして衆目も気にせず、力強く詩織を抱きしめる。

ちょうど下校時間で、生徒や教師たちの視線が集まるが、皆慣れたものだ。何年も前から、彼が帰省した時は必ずこうして校門まで迎えに来ていたのだから。

彼の体から、懐かしい匂いがした。一晩着替えていないであろう、汗と埃の混じった匂い。以前なら、彼を強く抱きしめ返すのが当たり前だった。この埃っぽい匂いこそが、彼が激務の中、自分への愛のために駆けつけてくれた証明だと思っていたから。

詩織は、彼の顎に浮いた無精髭と、目の下のクマを見つめた。言葉を発しようとしたが、喉が詰まり、先に涙がこぼれ落ちた。

「どうした?気分が悪いのか?俺がいない間も自分を大事にしてくれと言っただろう。秋に入ると、冷えるんだ。昨日、君が病気だと聞いて、すぐに休暇を取って夜通し車を飛ばしてきたんだぞ」

宗一郎は慌てた様子で詩織の涙を拭った。その大きく温かい掌が、詩織の頬を包む。彼の瞳は、心配と愛情で満たされているように見えた。

その愛に満ちた眼差しは、まるで切れ味の悪いナイフのように、詩織の心臓をゆっくりと抉った。あまりの痛みに、身を切り裂かれる思いがした。

その時だった。

「こちらが、よくお話に伺っていた詩織先生ですか?」宗一郎の背後から、一人の女性が現れた。美月だ。

詩織の体が強張った。信じられなかった。彼は、あの女を連れて帰ってきたのだ。自分の目の前に。

宗一郎は詩織の異変に気づかず、体を離すと、美月と並んで紹介を始めた。「詩織、紹介するよ。彼女は美月さん……俺の、亡くなった同僚の奥さんだ」

亡くなった同僚の奥さん。詩織の唇が、皮肉な笑みに歪む。なんと答えようか迷っていると、運転手が血相を変えて走ってきて、宗一郎に耳打ちをした。

詩織は宗一郎をじっと見つめていた。報告を聞いた彼は、すぐに詩織に向き直った。「詩織、緊急事態だ。先に帰っていてくれ」

そう言うが早いか、彼は美月の手を取って車に乗り込み、走り去ってしまった。

嘘つき。詩織の耳には、「病院、子供」という単語がはっきりと聞こえていた。

詩織は、自分がどんな気持ちで後を追ったのか分からなかった。気づけば、彼女は町の総合病院にいた。抜け殻のように病室の外に立ち、中から聞こえる宗一郎の怒鳴り声を聞いていた。

「半日も経つのに、なぜ熱が下がらないんだ!点滴の針ひとつ満足に刺せんのか!お前らは何のためにいる!」

応戦しているのは、この病院の看護師長であり、詩織の親友である三好薫(みよし かおる)だった。彼女は眉を吊り上げ、一歩も引かない。「病院で威張り散らさないで!子供が暴れて協力しないから、針が入らないんでしょう。あんたが自分の子供をちゃんと躾けるのが先じゃないの?私の部下に八つ当たりしないで」

「父さん、苦しいよぉ……」ベッドの上で、翼が涙を流して訴えた。顔色は蒼白で、見る者の同情を誘う。

その声を聞いた瞬間、宗一郎の表情が一変した。彼は優しく翼を抱きしめ、あやし始めた。その光景を目の当たりにした薫は、呆然と立ち尽くした。自分の目と耳を疑うように。

「……宗一郎さん。今、この子にあんたを何と呼んでた?」

薫の瞳に怒りの炎が宿った。

「あんた、詩織になんてことしてるか分かってるの!?彼女はあんたを救うために重傷を負って、子供が産めなくなったのよ。それなのに、裏で愛人を囲って隠し子まで作ってたわけ?しかも私の病院に連れてくるなんて……!詩織にバラしてもいいの!?」

空気が凍りついた。宗一郎は低い声で言う。「俺と美月こそが夫婦だ。詩織のためを思うなら、黙っていろ。

俺は詩織を愛しているからこそ、隠しているんだ。だが、桐島家には跡継ぎが必要だ……君は詩織の親友だろう?彼女を傷つけたくないはずだ。今日のことは、言うべきではないと分かっているな」

「頭がおかしいんじゃないの!?私に共犯になれって言うの?」

「君の父親の転属願、俺が見たと言ったらどうする?転任がスムーズに進んでほしいなら、賢い選択をすることだ」宗一郎の視線は冷酷だった。薫は言葉を喉に詰まらせ、沈黙した。

「看護師さん、私が宗一郎さんには不釣り合いなのは分かっています。でも、子供には罪はありません……どうか、助けてあげてください……」美月が泣き崩れる。宗一郎は彼女の手を引き、肩を抱いた。

「俺の息子を粗末に扱う奴は許さん。美月、君も子供のことばかりじゃなく、自分の体を大事にしろ。あとで医者に栄養剤でも処方させる。君は桐島家の大事な功労者なんだ、俺に不釣り合いだなんて馬鹿なことを言うな」

病室の外で見ていた詩織は、限界だった。彼が美月の頬を包むその手つき、その眼差し。それはつい先ほど、校門の前で自分に向けられたものと全く同じだった。

彼は美月を愛おしんでいる。では、自分は?宗一郎にとって、自分は一体何なのか?詩織はよろめきながら後ずさった。その拍子に、通りがかりの患者が持っていたコップにぶつかってしまった。

バシャッ。熱湯が詩織の手の甲にかかり、瞬く間に赤く腫れ上がる。相手は無事だったが、慌てて詩織に声をかけた。「あっ、すみません!大丈夫ですか!?」

詩織は痛みさえ感じていなかった。彼女は何も答えず、振り向きもせずに病院を飛び出した。

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