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愛は沈み、霧だけが晴れ渡る第1話

この話は約2496字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

結婚七年目。詩織(しおり)は、教職員住宅を購入するため、戸籍謄本を手に役所の窓口を訪れていた。

しかし、そこで窓口の職員から告げられたのは、耳を疑うような言葉だった。「あの……奥さん、この謄本は偽物ですよ」

「まさか」

詩織は自分の耳を疑った。職員の間違いに決まっている。

彼女は努めて冷静に、礼儀正しく頼み込んだ。「すみません、もう一度確認していただけませんか?私の籍は、夫が手続きをしてこちらに移したはずなのですが」

窓口の職員は面倒くさそうにため息をつき、もう一度書類を確認すると、皮肉混じりの視線を詩織に向けた。

「何度見ても同じですよ。この筆頭者・桐島宗一郎(きりしま そういちろう)の戸籍に入っているのは、あなたではありません。妻は『美月(みづき)』、長男は『翼(つばさ)』となっています」

* * *

結婚七年目。詩織(しおり)は、教職員住宅を購入するため、戸籍謄本を手に役所の窓口を訪れていた。

しかし、そこで窓口の職員から告げられたのは、耳を疑うような言葉だった。「あの……奥さん、この謄本は偽物ですよ」

「まさか」

詩織は自分の耳を疑った。職員の間違いに決まっている。

彼女は努めて冷静に、礼儀正しく頼み込んだ。「すみません、もう一度確認していただけませんか?私の籍は、夫が手続きをしてこちらに移したはずなのですが」

窓口の職員は面倒くさそうにため息をつき、もう一度書類を確認すると、皮肉混じりの視線を詩織に向けた。

「何度見ても同じですよ。この筆頭者・桐島宗一郎(きりしま そういちろう)の戸籍に入っているのは、あなたではありません。妻は『美月(みづき)』、長男は『翼(つばさ)』となっています」

詩織は座ったまま凍りついた。頭の中で何かがブンブンと唸っている。まるで絡まった糸玉が転げ回り、ほどけるどころかますます固く絡まっていくようだ。

美月?それは、夫の同僚の未亡人だと言っていた女性ではないか。なぜ彼女が、夫の戸籍に入っているのか。

詩織は震える手で、職員が見せてくれた正規の登録情報を食い入るように見つめた。

【妻:美月、長男:翼】

宗一郎の戸籍には、最初から「詩織」の名前など存在していなかったのだ。

詩織は幽霊のような足取りで役所を出ると、職員が教えてくれた住所――夫の戸籍上の住所へと向かった。

そこへ近づく勇気はなく、ただ生垣の陰から中の様子を伺うことしかできない。屋敷の中からは、楽しげな笑い声が聞こえてくる。

「翼、見てみろ!父さんが大好物のキャラメルを買ってきたぞ」宗一郎が大きな袋を男の子に手渡している。

「わあ!父さん大好き!」翼と呼ばれた男の子が飛び上がり、彼の首に抱きついた。

「もう、あなたったら。手を洗って、ご飯にしましょう」エプロン姿の美月が、台所から優しく微笑みかけていた。

温かな家族の団らん。けれど外に立つ詩織の心は、極寒の氷雪に閉ざされたように冷え切っていた。これ以上直視することができず、彼女は逃げるようにその場を去った。

日がとっぷりと暮れてから、ようやく詩織は自宅に戻った。家政婦の佐藤(さとう)が、詩織の姿を見るなり駆け寄ってきた。

「詩織先生、やっとお帰りになった!旦那様から何度もお電話があったんですよ。繋がらないって、ひどく心配されてました!とにかく、早く折り返して差し上げてください」

詩織は虚ろな目で顔を上げた。その時、電話のベルが鳴り響いた。彼女には聞こえていないかのように反応がないため、佐藤が受話器を取る。宗一郎からだ。

「旦那様、先生がお戻りになりました。ええ、代わりますね」

受話器を耳に当て、電波越しに宗一郎の声が聞こえた瞬間、詩織の目から堪えていた涙が溢れ出した。

「詩織か?どうした、俺がいなくて寂しくなったか?明日、上に休暇を申請して、家に帰るよ」宗一郎はすぐに彼女の異変を察知し、優しく語りかけた。

もし今日という日がなければ、詩織は舞い上がって喜び、彼に「会いたい」と伝えていただろう。

結婚して七年。国防指揮センターの幹部である宗一郎は、夏と冬のわずかな期間しか家に帰らない。詩織はかつて駐屯地への帯同を希望したが、宗一郎は「環境が過酷だから」という理由で拒否した。

詩織は夢にも思わなかった。まさか宗一郎が二重生活を送っており、自分との結婚証明書も戸籍もすべて偽物だったなんて。

「詩織、駐屯地は環境が悪い。君を連れて行って苦労させたくないんだ。俺が手柄を立てて昇進したら、その時はこちらの配属に戻してもらう。そうすれば、ずっと一緒にいられるから」

詩織は今まで一度も疑わず、一度も問い詰めなかった。

彼女は涙を拭い、再び口を開いた。「帰ってこなくていいわ。私、そちらへ行くための帯同申請を出したいの」

「言っただろう、君に苦労はさせたくないんだ……何かあったのか?明日、帰るよ」

宗一郎の声色から滲む心配は、偽りには聞こえなかった。だが、その予想通りの答えを聞いて、詩織の心は不思議と静まり返った。

彼女は涙を拭った。「ううん、なんでもないの。ちょっと風邪気味みたいで」

「そうか。体は大事にしてくれ。佐藤さんに栄養のあるスープでも作ってもらうんだぞ。生徒たちのことも大事だが、君の体が一番大事だ。薬を飲んで、俺に心配かけないでくれよ。休みが取れたらすぐに家に戻るから」

彼はいつものように優しく、情愛に満ちていた。詩織が涙をこらえていると、電話を切る直前、受話器の向こうから子供の声が聞こえた。

「父さん、早く来て!母さんが指切っちゃった!」

ガタン。彼は電話を切る間も惜しんで、受話器を放り出したのだろう。詩織は主のいなくなった受話器の向こうを、一分間、黙って聞いていた。

電話を切ると、彼女は別の番号を回した。

「……佐伯(さえき)教授でしょうか。国立第403研究所の件……お受けします」

電話の向こうで、佐伯教授が問いかける。「詩織さん、決心はついたかね?一度参加すれば、君の身元は抹消される。一生、名前を変えて隠れて生きることになるんだぞ」

詩織の心は決まっていた。「はい」

「わかった。時間はあまりないが、半月後の出発だ。それまでに身辺整理をしておきなさい。迎えの車をやる」

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