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愛されるべき人は彼女、消えていい人は私第3話

この話は約1901字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。

克己は出ていく前に、枕元に付き添いの人の連絡先を書いたメモを置いた。

「この番号なら24時間連絡がつくから。彩也子を落ち着かせたら、すぐ戻ってくる。

早めに休めよ。何かあったら、遠慮せずナースコールを押せばいいからな」

扉が閉まる前、彩也子の小さな咳が聞こえた。

3人の足音が、一斉に止まる。

それから、少しずつ遠ざかっていった。

結局、その夜、あの付き添いの人は来なかった。

電話をかけてみると、今は別の病院にいて、早くても明け方にならないと来られないという。

午前2時、私は眠りから目を覚ました。

胸の上に、焼け火箸を押し当てられたようだった。

息を吸うたび、右肺に刃物で裂かれるような痛みが走る。

ナースコールを押そうとしたのに、手が震えて力が入らない。

モニターが鋭い警報音を鳴らした。

看護師が駆け込んできた時には、私はすでにベッドから滑り落ちていた。

「SPO2、82!

すぐ先生を呼んで!」

酸素マスクがあてがわれた瞬間、ふと数時間前のあの火事を思い出した。

あの時、たったひとつの防災マスクは、彩也子の顔にあった。

そして今、午前2時、ようやくひとつの酸素マスクが、私のものになった。

処置室の照明は無機質に白く、モニターがピッピッと鳴り続けていた。医師の「ご家族は」という声が聞こえる。

看護師が登録票をめくった。

「ご家族と連絡がつきません。ご家族が帰られる前に、付き添いの方がいらっしゃると伺っていたのですが……」

医師が尋ねた。

「その付き添いの方は?」

「2回おかけしましたが、出られませんでした」

医師はため息をつき、それ以上は聞かなかった。

やがて血中酸素飽和度の値が落ち着き、私は一般病室へ戻された。天井の照明は暖色に切り替わっていて、まるで何事もなかったかのようだった。

朝8時、ようやく3人が朝食を買って戻ってきた。

彩也子も後ろについてきていた。克己の上着を羽織って。

小織が、雑炊の入った器を私の前に置いた。

「消化によさそうなものを買ってきたの。彩也子が、肺にもいいだろうって」

袋の中には、くるみ和えや、とろろのかかった豆腐なども入っていた。

どれも普段、彩也子が好んで食べているものばかりだった。

けれど、私が手術後にもらった注意事項には、はっきりと書かれていた。ナッツ類と、山芋など粘り気の強い食べ物は、当面控えること。

その時ようやく、克己が私の手の甲に刺さった点滴の針に気づいた。

彼は思わず眉をひそめる。

「その手の甲の針、何だ」

「昨夜、一度処置室に運ばれたの」

病室が、まるまる3秒、静まり返った。

真っ先に声を上げたのは彩也子だった。

「え?遥華、どうして電話くれなかったの!」

克己の顔色が沈んだ。立ち上がって廊下へ出ると、夜勤の看護師を呼び止めて事情を問い質し、戻ってきた時にはこわばった表情をしていた。

「SPO2が82%?午前2時に?」

彼は声を落とした。

「どうして、誰も俺に知らせなかった」

看護師が後ろからついてきて、ため息まじりの口調で答えた。

「緊急連絡先に何度もお電話しましたが、どなたも出られませんでした」

克己が無意識にスマホを取り出し、着信履歴を確かめる。

午前2時。不在着信、7件。

その履歴を見つめる彼の顔に、動揺がよぎった。

「あの時間、スマホをマナーモードにしてた。彩也子は眠りが浅いから、着信音で起こしたくなくてさ」

慎一が横で、まだあの雑炊の器を持ったまま言う。

「昨夜は状況が特殊だったんだ。彩也子はかなり参ってたし、彼女ひとりを放っておくわけにもいかないだろう」

小織も言った。

「遥華、病院なら一番安全でしょ?先生も看護師さんもいるし。まさかこんなことになるなんて、思ってもみなかったの」

私は頷いた。

「わかった」

克己は、私が騒ぎもせず問い詰めもしないことに、かえって落ち着かない様子だった。

「そんな顔するなよ」

「どんな顔?」

克己は黙り込んだ。

私はもう、彼の答えを待つのをやめた。

午後、3人が廊下で話し込んでいる間に、看護師に頼んで退院後の肺の経過観察の外来予約を入れてもらった。

看護師が尋ねた。

「ご家族にはお伝えしますか」

「いいえ、結構です」

夕方、克己が病室に忘れた充電ケーブルを取りに戻ってきた。

枕元の棚を探るしぐさの拍子に、スマホの画面が一瞬点灯した。

見るつもりはなかった。

けれど、その画面はあまりにも大きく表示されていた。スマホの緊急時情報――標準搭載されている緊急連絡先機能だ。

【緊急連絡先:白澤彩也子。

続柄:その他】

彼のスマホに登録された緊急連絡先は、妻である私ではなかった。

私は彼のことを、命が危ういその瞬間に最も頼れる人だと思っていた。

けれど彼の人生の優先順位の中で、私は一番ですらなかった。

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