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愛されるべき人は彼女、消えていい人は私第1話

この話は約2161字。当サイトでは第1〜3話を試し読みできます。

足首を捻挫してベッドで寝込んでいた私、朝山遥華(あさやま はるか)のもとへ、友人たちが見舞いに来てくれていた。その矢先だった。突然、台所から火の手が上がったのは。

真っ黒な煙が、瞬く間に室内を呑み込んでいく。

夫の朝山克己(あさやま かつみ)は白澤彩也子(しろさわ さやこ)の手を引くと、外へと駆け出した。

私の兄、小原慎一(おはら しんいち)はそこにあった防災マスクを彩也子の顔へ押し当てる。

私の親友、樋上小織(ひのうえ さおり)は何かが落ちてきても怪我をしないようにと、彩也子の頭を抱え込むようにして庇っていた。

一行が階段を下りきったところで、彩也子がふと足を止め、背後を振り返ったらしい。

「遥華は?まだ下りてきてないんじゃ……!」

克己が窓を見上げる。そこからは、なおも黒煙が噴き出していた。

「てっきり、後ろに続いているものだと……」

慎一がつぶやく。

「俺も、小織が一緒に連れてきているものとばかり」

小織が何かを言いかけて、ふっと言葉を呑み込んだ。

「私……彩也子のことで頭がいっぱいで、気が回らなくて……」

* * *

彩也子が弾かれたように振り返り、建物の中へ駆け戻ろうとした。

克己がとっさに彼女の腕を強く引いた。

「だめだ。お前は子供の頃に肺を患っている。煙を吸ってはいけない」

彩也子は焦りで目を真っ赤にしていた。

「じゃあ、遥華はどうなるの……!」

小織がその肩をそっと抱き寄せる。

「消防隊の人が、きっと助けてくれるよ」

幸い、私が消防隊に救出されるまで、そう時間はかからなかった。

救急車の中で、彩也子は私を見つめたまま、涙で目を赤くしていた。

「遥華……ごめんなさい」

大丈夫、と言おうとした。けれど口を開いた途端、喉が痛んで、声が出なかった。

代わりに口を開いたのは小織だった。

「遥華はあなたを責めたりしないよ。悪気があって置いていったわけじゃないんだし」

慎一もそれに同調する。

「遥華は昔から物分かりのいい子だろ。何もかも自分のせいにするな」

克己が、彩也子の髪をそっと撫でた。

「今は自分の体のことだけ考えろ」

病院に着くと、医師が「ご家族の方はいらっしゃいますか」と尋ねた。

3人が、ほとんど同時に足を止めた。

克己は私をちらりと見やり、それからまだ咳の止まらない彩也子に目を移す。

「妻が担架の上です。先にそちらを診てください」

そう言って、私のあとを2、3歩追ってきた。

彩也子の脇にいた看護師が、喘息の既往はないかと尋ねる。

克己はすぐに足を止めた。

7歳の時の肺炎、12歳の時の呼吸器のけいれん症状、去年の秋のアレルギーによる入院。彼は淀みなく答えてみせた。

看護師はそれを書き留めると、今度は私を指して聞いた。

「あちらの患者さんに、持病は?」

克己は一瞬、黙り込んだ。

「……特には、なかったと思います」

私はそっと目を閉じた。

結婚して3年。彼は彩也子の子供の頃の入院歴を、ひとつも忘れていない。

なのに、私が2年前に肺の手術を受けたことすら知らずにいる。

処置室の照明は、刺すように白い。

検査報告に目を通した医師が、克己の方を向いた。

「患者さんに肺の手術歴がありますね。何年前のことですか?切除の範囲は?術後、長く注意すべき点は聞いていますか」

克己が固まり、ちらりと私を見る。その顔には見覚えがありすぎた。私自身の話になるたび、彼が一拍遅れて戸惑いながら理解しようとする、あの表情だ。

「手術?」

彼は眉をひそめる。

「手術とは、何のことですか?」

聞き取れなかったのだと思ったのか、医師はもう一度繰り返した。

「CTでは右肺の下葉に、はっきりとした手術痕が見えます。少なくとも1年以上前のものかと。ご家族は、何も知らないのですか?」

克己は答えなかった。

横から慎一が口を挟む。

「遥華は昔から体は丈夫な方で……そんな大きな手術なんて、したことはないと思いますが」

小織も続いた。

「あの子、痛いなんてほとんど言わない子だから。きっと小さな手術で、ひとりで耐えたんじゃないかと」

医師の視線が3人の顔をゆっくりとなぞり、どこか微妙な色を帯びた。

「肺の部分切除は、小さな手術ではありません。術後半年は激しい運動を避け、定期的に肺機能の検査が要ります」

少し間を置いて、また続いた。

「本当に、ご存じなかったんですか?」

3人とも、言葉を失った。

だが、その沈黙は数秒しか続かなかった。隣のベッドで、彩也子が小さく咳き込んだのだ。

3人はほぼ同時に振り向いた。

克己が、ペニシリンは使えないと告げる。

慎一が、ある咳止めにアレルギーがあると付け足す。

小織はもう鞄から吸入器を取り出していた。1回に何吸入するかまで、迷いなく答えて。

3人の呼吸はぴたりと合っていた。まるで数えきれないほど稽古を重ねたかのように。

この白い照明の方が、あの黒煙よりもよほど息苦しいと、天井を見上げながら私は思った。

医師は私を入院させ、経過を見ることにした。煙を吸ったせいで手術を受けた肺が感染を起こす恐れがあり、足首の捻挫も固定して安静にする必要があるという。

しばらくして、彩也子を落ち着かせた3人が、ひとり、またひとりと私の病室に現れた。

克己はカルテの【右肺部分切除】という文字を、長い間じっと見つめていた。ようやく開いた口から漏れた声には、どこか責めるような響きがあった。

「……こんな大事なこと、どうして黙ってたんだ」

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