愛が消えた時第3話
この話は約2840字。当サイトで読める3話の試し読みのうち、最後の話です。続きの第4話からは公式アプリで読めます。
再び目を覚ましたとき、私は病室のベッドに横たわっていた。
扉の外から、紗季の声が聞こえてくる。
「健太、ごめんなさい……私も分からないの。美月が急に倒れたのは、たぶん薬のアレルギー反応かも……」
健太の声は少し冷たかった。
「薬のアレルギー?紗季、どうして美月にそんな勝手な薬を使ったんだ?」
「もともと体が弱い子なのに……」
紗季は泣きそうな声で言い訳を続けた。
「そんなつもりじゃなかったの、健太……ほんとに。私だって、美月に元気になってもらって、最高の状態で結婚式に出てもらいたかっただけなの……」
健太はため息をついた。
「今度から気をつけてくれ。美月は病気で体力も落ちてるんだ。無理はさせちゃダメだよ」
それだけ?
たったそれだけで、彼は紗季を許したの?
別の医者に診てもらおうとは思わないの?
たったそれだけで済ませるの?
もしちゃんと検査してくれたら、私が本当に末期の肺がんなのが分かるはずなのに。
胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
私はそっと目を閉じ、頬を伝う涙を止められなかった。
でも、たとえ気づいたとしてももう遅い。私は死ぬ運命から逃げられないんだから。
しばらくして、扉が開いた。
健太がそっと入ってきて、私が目を覚ましたのを見て、彼は心配そうに私を見つめた。
「美月、目が覚めたんだね。気分はどう?」
私は首を振ってから尋ねた。
「先生は私の容態なんて言ってた?」
一瞬、彼の目が揺れた。
でもすぐに、無理やり笑顔を作って答えた。
「大丈夫。精神的なストレスで一時的に意識を失っただけだって。ちゃんと治療を続ければ問題ないってさ」
そう。やっぱり、私が紗季を責めないようにって……
そのために、平気で嘘をつけるんだね。
私が黙っていると、健太は話題を変えようとした。
「もうすぐ僕たちの結婚式だよね。さっき式場から連絡があって、ウェディングドレスが仕上がったって。試着に行こうよ」
私はそっとうなずいた。
健太と手を取り合ってバージンロードを歩くことはできないかもしれないけれど、せめてドレス姿を写真に残せたら、それだけでも十分だと思った。
鼻の奥がつんとして、思わず口を開いた。
「健太……私が死んだら、悲しんでくれる?」
彼の表情が一変し、私の手を強く握った。
「美月、そんなこと言わないで。あなたは死なないよ、絶対に」
「でも……もし、死んじゃったら?」
「私、肺がんなんだよ……」
「佐藤さん!紗季先生が倒れました!」
看護師の声が廊下から響いた。
健太は顔色を変え、慌てて飛び出していった。
私の言葉の続きを、彼は聞いていなかった。
私は呆然と彼の背中を見送った。
どれくらい時間が経っても、彼は戻ってこなかった。
私はベッドを降り、ドアまで歩いて行き、通りかかった看護師を呼び止めた。
「健太……どこに行きましたか?」
「佐藤さんは紗季先生の看病をしていらっしゃいますよ」
私は無言でスマホを取り出し、SNSを開いた。
ちょうど更新されたばかりの紗季の投稿が目に飛び込んできた。
そこには、レストランで笑顔を浮かべる彼女と健太が並んで写っていた。
【ずっと来たかったお店、やっと来れた!健太、ごちそうさまでした!】
手が震え、スマホが床に落ちた。
胸の奥がぎゅっと締めつけられ、次の瞬間、私は大きく咳き込み、血を吐いた。
健太……
もし、あなたが私の病状を本当に知っていたら、こんなときに紗季と過ごすことを選んだりしなかった?
私の残された時間があとわずかだと知ったら、少しは後悔してくれるのかな……
私は痛み止めを飲み、病院を出た。
向かったのは家ではなく、結婚式の準備をしているウェディングプランナーのもとだった。
試着したウェディングドレスは少し緩くなっていて、鏡の中の私は、それでも綺麗だった。
スタッフが私のドレスの裾を整えながら、ぽつりと言った。
「美月さん、本当に細いですね……そこまでダイエットしちゃ体に悪いですよ。何度もサイズを直したのに、今日また痩せたみたいで」
私は笑って誤魔化しながら、心の奥に広がる痛みをどうすることもできなかった。
見ず知らずの他人でさえ、私がやせ細っていくことに気づいてくれるのに。どうして、家族も、健太も、それに気づこうとしないの?
ドレスを抱えて帰宅すると、リビングには紗季と健太が並んでソファに座っていた。
二人の表情は険しかった。
私の姿を見た紗季の目が、わずかに冷たく光った。
健太が口を開く。
「美月……あなたが病院に薬剤ミスの報告をしたのか?」
「何のこと?」
「とぼけるなよ」
健太の声が冷たくなる。
「病院に、不適切な薬を使ったっていう告発書類が届いたんだ。こんなことをするのは、あなたしかいないだろ?」
「健太、そんな言い方はやめて」
紗季がかばうように私を見た。
「美月、今回は確かに私のミスだった。けど、病院に告発なんて、あんまりよ……
もし本当に処分されたら、私は医者としての資格を失うかもしれないのよ?」
私は唇を噛み締めた。
私は何もしてないのに。
「私じゃない……」
「また嘘をつくのか!」
健太の怒りが爆発した。
「あなたはいつもそうだ。なんでいつも紗季に突っかかるんだよ?彼女はあなたのお姉さんなんだぞ!」
彼は私の腕を掴み、部屋に連れて行こうとした。
「美月、ちょっと頭を冷やしたほうがいい。ここでしっかり反省して、間違いに気づいたら出てくればいい」
そう言って、私を部屋に押し込み、ドアを閉めた。
私は膝を抱えて座り込み、涙が静かに床に落ちていく。
その中に、赤い滴が混じっていた。
口と鼻から血が溢れ、白いウェディングドレスに広がっていく。
私はそのまま力なく横たわり、視線の先にある時計の針をぼんやりと見つめた。
死まで、あと8時間。
もうすぐ、すべてが終わる。
夜ごはんの前、健太がふと二階の部屋を見上げた。
「美月の様子、見てくるよ」
両親もうなずく。
「行ってあげて。ご飯も持っていって。明日は結婚式だし、空腹じゃ式の最中に倒れちゃうよ」
「待って」
紗季がすっと立ち上がる。
「私が先に食事を届けておいたから、行かなくていいわ」
そして健太の腕をそっと取って、優しく囁いた。
「健太、あなたってすごく優しいけど……だからこそ、美月はその優しさにつけ込もうとするの。今は突き放して、反省させないと、ずっと甘えるわよ?」
健太はしばらく無言で天井を見つめていたが、やがて、静かに座り直した。
「わかった」
翌朝。
健太は早起きして、結婚式の準備に追われていた。
家の中もお祝いムードに包まれている。
出発の時間が迫るなか、両親が言った。
「美月、まだ降りてきてないの?またすねてるのかしら?健太、ちょっと様子を見てきて」
健太は階段を上がりながら、なぜか胸騒ぎを覚えていた。
その違和感はドアの前に立ったときにさらに強くなった。
手を伸ばし、ノブを回す。
扉が開いた瞬間、鼻を突く鉄のような匂いが広がった。
視線の先には、血に染まった純白のウェディングドレス。
そして、部屋の中には、床一面に広がる赤。
息が詰まった。
まるで見えない手が喉元を締めつけるような衝撃。
「美月!」
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