想いの果てに、すべては消える第1話
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不倫から家庭に戻った妻の高城美晴(たかしろ みはる)に、僕はあの男ときっぱり縁を切るための面会を3回だけ認めた。
彼女はその機会を逃すまいと、彼と夕食を共にし、一緒にものを作る時間を過ごし、夜通し看病した。
戻ってくると、彼女はあの男にまつわるものをすべて捨て、あらためて僕の手を握った。
「信じて。もうあなたを裏切らないから」
それは、僕が運転中に血気盛んな若い男と衝突事故を起こすまでのことだった。
相手の男が苛立たしげに助けを求めて電話をかけると、聞こえてきたのは妻の親しい友人の声だった。
「美晴、行かないほうがいいよ。3回とも、もう使い切ったでしょ。今度行ったら、旦那さんはきっと離婚を切り出すよ」
続いて聞こえたのは、それでも動じない美晴の声だった。
「悠人(ゆうと)は孤児で、これまで誰にも愛されたことがないの。離婚を恐れているのは、私よりあの人のほうよ。
みんな、このことは黙っていて。ちゃんと分かってる。これが最後だから」
血だまりに横たわる僕は、心まで冷え切っていった。
目の前で余裕を見せる男こそ、彼女が心を捧げた浮気相手だったのだ。
20分後、もう家庭を裏切らないと誓った美晴が、血相を変えて病院へ駆け込んできた。
* * *
カーテンの向こうから、美晴の、心配と苛立ちの入り混じった声が聞こえた。
「どうしてすぐ私に電話しなかったの?何のために私の番号を教えたと思ってるの?」
神谷怜央(かみや れお)は無理に上体を起こし、いかにも物分かりのいい顔をした。
「旦那さんから許されたのは3回までだって言ってたから、怖くて……」
「3回って何よ?」美晴は声を荒らげた。「何かあったらいつでも電話して。あなたにもしものことがあったら、私はどうすればいいの?」
隣のベッドで静かに聞いているうちに、僕の視界は滲んでいった。
事故が起きたときも、僕の意識ははっきりしていて、真っ先に彼女へ電話をかけた。
けれど何回立て続けにかけても、1度も出なかった。
怜央がかけたのは、たった1回。その電話には、美晴はすぐに出た。
美晴は、僕には頼れる人がいないから、どれだけ遅くなっても彼女からの折り返しを待ち続けると知っていたのだ。
そのとき、医師が処置のために入ってきた。
カーテンが開いた瞬間、「事故を起こした張本人」である僕へ向けていた美晴の怒りが、すっと顔から消えた。
一瞬、呆気に取られたものの、彼女の口から飛び出したのは――
「怜央のことをこっそり調べたの?わざと車をぶつけたの?」
僕がけがをしていないか確かめようともせず、美晴は事故の責任を僕に問いただした。
僕が浮気に気づいてから、美晴は怜央に関する情報をひた隠しにしてきた。
「彼は家庭環境に恵まれていないの。素性を暴かれたら、彼に迷惑がかかるでしょう」
それなのに、僕が親のいない施設育ちだということは、周囲にはとうに言いふらしていた。
僕がどれほど彼女なしでは生きられないか、周囲に知らしめるためだけに。
喉の奥の苦みを飲み込み、僕は自嘲するように笑った。
「これで4回目だ。約束を破ったね」
かつて僕が離婚を言い張ったとき、美晴は僕たちの家の屋上に立った。
「私と離婚するなら、ここから飛び降りる!あなたがいないなら私も生きていけない。私は一生、あなただけを愛するって言ったでしょう!」
僕はたちまち決意が揺らぎ、彼女に、あの男ときっぱり縁を切るための機会を3回与えた。
美晴が浮気の痕跡をすべて消したのを見て、僕はこの結婚を守り抜いたのだと、愚かにも信じていた。
だが今日、残酷な現実に思いきり頬を打たれた。
「3回が4回になったくらいで、何が違うの?彼が事故に遭ったのよ。放っておけるほど、あなたは薄情なの?」
美晴は怜央に聞かれまいと、声をひどく低めた。
僕に、何が言えただろう。
僕も事故に遭ったことか。彼は膝をすりむいただけなのに、僕は肩を10針縫ったことか。
そのとき、怜央が美晴に声をかけた。
「向こうとの話、どうなった?金を払うことになりそう?」
美晴は慌てて彼の不安をなだめた。
「あの人は大丈夫よ。あなたは安心して治療に専念して」
病床でその皮肉な呼び方を聞き、僕は笑った。
傷がどれほど痛もうと、胸の痛みの1万分の1にも及ばなかった。
美晴が僕に示した唯一の気遣いは、僕が眠っている間に、テーブルの上に山積みになった病院関係の書類へ署名したことだけだった。
けれど、少しでも書類の内容にきちんと目を通していたなら――
その中に、僕が署名を済ませた離婚届が紛れていることに気づいただろう。
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