悦びは、旧い恋のためにあらず第3話
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「でも、今日はコンサートに連れて行ってくれるって約束したじゃない。彼女が危ない目に遭ったなら、どうして警察に……」
「夕部悦子!」
和光は眉間に深い皺を寄せ、冷ややかな視線を私に向けた。
「コンサートと人の命、どっちが大切なんだ?
彼女とはもう何もないって言ってるだろう。いつまでしつこく問い詰めるつもりだ?」
私は激しい衝撃を受け、呆然とした。
帰りの車中、二度と会話が交わされることはなく、車内には息が詰まるような沈黙が漂っている。
ガレージに車が停まると、和光はシートベルトを外し、ダッシュボードから綺麗な小箱を取り出した。
中には、私が以前から欲しかったデザインのネックレスが入っている。
彼はそれを私の首にかけてから、優しく手を握り、静かな声で言った。
「すまない、悦子。さっきは……言い過ぎた。
ただ、一度引き受けた案件は最後まで責任を持つ。それが弁護士としてのプライドなんだ。
だから、いい子にして。もうわがままを言わないでくれるかな?」
私は何も答えられなかった。
頭の中がひどく混乱している。
けれど、この恋を今すぐ手放すこともできない。
和光は五年間、私を愛してくれた。
けれども、私は十年間も彼を愛し続けてきたのだ。
何事もなければ、今月末に両家の顔合わせを行い、婚約を整える予定だった。
車を降りた直後、お腹に鋭い痛みが走った。
異変に気づいた和光は、すぐに私を病院へ連れて行った。
道中、彼は絶え間なく私を慰め続けてくれた。
「悦子、怖がらないで。俺がついてるから」
「悦子、もう少しの辛抱だ。すぐに着くから……」
検査結果を待つ間、和光は廊下の角へ電話をしに行った。
私は一瞬ためらったが、そっと彼の後を追った。
彼の表情は厳しいが、声はとても優しい。
「決定的な証拠はこちらに揃っている。あいつが逆転できるはずがない。だから葵、怖がらなくていいんだ。
まずは病院へ行って、顔の傷を処置してもらおう。跡が残らないように」
ふと、彼との出会いを思い出した。私をからかっていた先輩を、彼が厳しく叱ってくれたあの時のことを。
彼は私に飴を差し出し、微笑みながら言った。
「俺は法学部の二木和光だ。もしまた誰かにいじめられたら、俺のところにおいで」
当時、私を惹きつけたのは、彼の本質に宿る正義感と親しみやすさだった。
私は心の中で自分に言い聞かせた。もっと彼を信じるべきだと。
待合室に戻ると、ちょうど医師に名前を呼ばれた。
「妊娠四週目です。胎児は健康です。おめでとうございます」
お腹に手を当てると、不思議な感覚が湧き上がってきた。
思わず、一刻も早くこの知らせを和光に伝えたいと思った。
けれど、外に出ても彼の姿はどこにも見当たらない。
ふと振り返ると、廊下のテレビでニュースが流れている。
路上で妻に暴力を振るっていた男が、居合わせた男性に制止されたという内容だ。
画面には、地面に倒れ込んでいる一人の男。
そしてその傍らにいるのは、先から探している和光だ。
彼の服は乱れており、口元には誰かと殴り合ったような傷跡が残っている。
そして、その腕の中にいるのは、狂ったように泣きじゃくる葵だ。
二人は地面に膝をつき、強く固く抱き合っている。
医師が呼びかけに来た。
「ご家族の方はいらっしゃいますか?まだサインを済ませていません」
私は震える手で和光に電話をかけた。
プルルル……プルルル……
出ない。
もう一度。
何度も、何度も。
まるで、諦めるための答えを確かめるかのように繰り返した。
十回目にして、ようやく電話がつながった。
「もしもし、和光。私、子供が……」
「夕部さん、私だよ。小賀坂葵」
受話器の向こうから、葵の泣き声が響いてきた。
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